「楽しく一緒に気分よく」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

文字サイズ変更



卓話

2023年10月

卓話『N響100年~日本のソフトパワーとしての使命』令和5年10月23日

公益財団法人 NHK交響楽団 理事長 今村 啓一様

公益財団法人 NHK交響楽団 理事長 今村 啓一様

世界を見渡すと、国家間や民族間の対立は一段と激しさを増しています。ロシアのウクライナ侵攻は未だ紛争終結に向けた糸口は見つかっておらず、アメリカと中国の対立も激しくなり、イスラエルとパレスチナの戦闘も激しさを増しています。冷戦終結後、インターネットで情報が瞬時にして世界を駆け巡る時代となり、もしかしたら世界はひとつになるのではないかと思った時期もあったのですが、残念ながら国際社会は分断と対立、多極化に向けた動きが加速しています。しかしそうした複雑な国際情勢の中でも、音楽界には国境を越えて人と人とを結ぶ力があると考えています。激動する国際情勢の中で、世界を少しでも安定的なものに導くために音楽文化には何ができるのでしょうか。

N響は、渋谷のNHKホールや赤坂のサントリーホール、その他、お子さん向けの公演や地方公演など、全国で年間120回の公演を行っています。昨年11月、世界で聴くべきオーケストラのリスト21に選出していただきました。中にはウィーン・フィルやベルリン・フィルといった名立たるオーケストラが含まれています。大変光栄なことですが、しかし一方で注目されるのは、その中にシンガポールのオーケストラが入っているということです。経済成長が著しいアジアではクラシック音楽の人気が急速に高まっています。マレーシアのコンサートホールの担当者の話では、創設直後は観客集めに大変苦労したが、今ではチケットの争奪戦になっているということでした。オーケストラが実力をつけてファンが増えれば当然資金力も豊富になり、今後は恐らく指揮者やソリストの争奪戦になってくるのではないかと思います。N響もこうしたオーケストラに負けずに演奏技術を高め、日本の音楽文化の演奏水準を世界にアピールする役割を担っていきたいと考えています。

NHK交響楽団の前身たる新交響楽団は、97年前の1926年10月5日、有楽町の数寄屋橋近くの雑居ビルに44人の音楽家が集まって結成されました。第二次世界大戦中に空襲警報が鳴っている中でも演奏を続けてきました。

「休みなく定期演奏を続けられたのは奇跡的だと言える。彼らにとって電波に乗せて放送することはさらに重要な仕事だった。それはまだ日本が生きているぞという虚勢とも言えるメッセージだった。従って例え放送中に空襲警報が発令されても、楽員と芸術者たちは退去を許されなかった。中止すれば、東京が空襲を受けている、もしくは崩壊したことが敵国に分かってしまうからだ。目の前に爆弾が落ちて放送局がぐらついたとしても、演奏を中断することはなかったのである。当時の日本放送協会は頑丈に作られていた。例え8階の屋上に直撃を食らっても、3階のスタジオまでは届かないだろうと楽観的に考える楽員も多かったという。」N響80年全記録より

結成からずっと続いてきた定期演奏会は、2020年の新型コロナウイルスの感染拡大で初めて中止を余儀なくされました。しかしその最中でも医療関係者と協力をして感染防止対策ガイドラインの策定にあたり、一昨年から定期公演を再開しました。今年の12月には2000回目の公演を迎えます。

マエストロはN響をどのように見ているのでしょうか。N響の桂冠名誉指揮者であるブロムシュテットさんは今年で96歳になられる巨匠で、ベルリン・フィルやウィーン・フィルなど世界でも限られたオケでしか振ることがない方です。有難いことに日本にはN響のためだけに毎年来日していただいています。ブロムシュテットさんは「オーケストラはお互いに対するリスペクトで成り立っている。お互いに対する敬意、尊敬する気持ちが一番大事だ。」と常日頃仰っています。なぜ長時間かけて日本に来ていただけるのかと尋ねると、N響の演奏水準が高いことと、日本の観客の皆さんが素晴らしいからだということでした。去年から首席指揮者をしていただいているイタリア人のファビオ・ルイージさんも、オーケストラの演奏会というのは指揮者と楽員、そして観客が三者一体となって作り上げるものだと話しています。指揮者の永年の経験やそれに基づいた指導が楽員に熱意をもって伝わり、それに応えて楽員が情熱をもって演奏する。そうしてできる音楽が観客に伝わって感動を呼び、拍手や歓声が指揮者や楽員に伝わることでさらに演奏の集中力が高まるということです。これまで97年に渡って作り上げてきたN響の演奏水準というものは、楽員の努力ももちろんですが、リードしてきた指揮者たち、長年に渡って応援してくれているお客様によって培われてきたものだと感じています。

今後は若い世代にどのようにクラシック音楽の魅力を伝えていくかということが一番の大きな課題だと思っています。NHKのアニメ番組「青のオーケストラ」と連動して特別公演を開催し、また25歳以下の若い世代の皆さんには半額以下で聴いていただけるようなユースチケットも扱っています。そしてもう一つの課題は財政基盤の問題です。NHK本体の経営も厳しくなっており、本年度は助成金が2億円減額されました。来年度はさらに厳しくなる恐れがあります。N響では賛助会員という制度があり、一口50万円からスポンサーシップをいただいています。日本のソフトパワーを維持するために、お力添えをいただければと思っています。

さらに我々が目指しているのは、社会に貢献するオーケストラでありたいということです。全国の小中学校を回るこども音楽クラブという活動や、ひとり親世帯のお子さんや児童養護施設に入っているお子さんを招待する活動も行っています。もちろん最高水準のクラシック音楽をファンの方にお届けするということが使命ではありますが、それとともに、世界全体に潤いや癒し、そしてお一人お一人の暮らしに彩りをお届けする、そんなオーケストラでありたいと願っています。

また、クラシック音楽は長い伝統がありますが、もう少し開かれたものにできないかという試みも行っています。N響は日本のオーケストラで初めて写真撮影を解禁しました。最初はシャッター音が会場の雰囲気を壊してしまうのではないかなど心配がありましたが、アンケートでは90%以上の方に写真を撮って良かったという意見をいただきました。そして何よりも、コンサートの感想とともにSNSで発信してくれる方が多く、N響だけではなく日本の他のオケにもこの動きをフォローしていただいています。もちろんコンサート自体の音楽、公演は大切にしつつ、クラシック音楽をもっと開けたものにするための工夫の余地はまだまだあると感じています。

音楽というものは、自国民を鼓舞してナショナリズムを掻き立てることに使われた時代もありました。ただ音楽は国境を越えてお互いを知るとても有効な手段だと思っています。ベートーヴェンを通じてドイツの音楽や文化、歴史を知ることができますし、N響が海外で行う公演でも八木節や日本の伝統民謡をアレンジして演奏することもあります。日本への理解を深めて、海外の人に日本を知ってもらう一翼を担いたいと考えています。中国が覇権を強め、北朝鮮からもミサイルが飛んでくるような状況の中で、日本が防衛力を高めて抑止力を強化することは当然必要ですが、果たして軍事力の拡大だけで紛争を食い止めることができるのでしょうか。やはり紛争を防止するためにはお互いの国民同士がお互いを知り合うことが不可欠ではないかと思います。人口が減少していく中で今後30年40年今のままで経済的なプレゼンスを強めていくことはなかなか難しいと思います。ただ幸いなことに日本には海外にアピールできる文化のソフトがたくさんあります。アニメや漫画、寿司やラーメンも世界に誇れる文化だと思います。六本木ヒルズにある森美術館も素晴らしい施設で、大きな日本のソフトパワーの発信拠点だと思います。音楽も例外ではありません。N響には中国も含めて世界から公演に来てほしいという依頼がたくさんあります。N響も日本のソフトパワーの一つとして国際相互理解を深めるための一翼を担わせていただきたいと考えております。是非N響の公演に足を運んでみてください。

本日はご清聴ありがとうございました。

卓話『銀座の街づくり』令和5年10月16日

遠藤波津子グループ 代表取締役社長 遠藤 彬様

遠藤波津子グループ 代表取締役社長 遠藤 彬様

わたしの実家は1905年に銀座で開業した美容室で、結髪や美顔術、婚礼の着付けなど総合的な美容室としては日本で初めてだったのではないかと思います。祖母の父が13代東京府知事で宮中顧問官であったことの影響があったのかもしれませんが、祖母の代から清宮さまや美智子さま、雅子さま、秋篠宮さまなど皇室の支度を賜っています。四代目遠藤波津子はわたしの母で、NHKラジオ放送局開局にちなんでラジオで着付けをしたり、またアメリカから送られてきた青い目の人形の返礼として日本人形に着付けをしたり、様々な活動をしていたようです。わたしが家業に携わるようになってからも、創業から118年銀座で営業している美容室のほか、日本の老舗ホテルや外資系のホテルでの結婚式に関する仕事、オリジナルの打掛や振袖の提供、ウエディングドレスの製作などを手掛け、現在はわたしの娘がデザインしたドレスやアメリカのヴェラウォンやヨーロッパのドレスなど、なるべくオリジナルに近いドレスを扱っています。

戦後の銀座には焼け跡の広場がたくさんあり、銀座4丁目の交差点では進駐軍のMPが交通整備をしていました。わたしと銀座の関わりは祖母を訪ねてよく銀座に行っていた幼稚園の頃からですので、70年間お世話になっていることになります。

1985年に銀座百店会の理事を仰せつかり、また1989年には銀座通連合会の理事になりました。それから常務理事や副次長などを経験し、銀座ロータリークラブに入会したのは1977年です。

銀座は1km四方の商店街で、徳川時代から街並みや街区はほとんど変わっていません。街ブラで知られているように「歩いて楽しい街」をコンセプトにしており、大きなビルや小さなビル、路地裏、高級なお店、老舗、飲食店が立ち並び、外遊性のある街です。また夜は盛り場として別の顔を持っていると思います。

銀座には多くの通りと多くの会があり、わたしが所属する銀座通連合会は大正8年発足、銀座通りと晴海通りに面するビルや商店が加盟する会で、100年を超える歴史があります。2001年に発足した全銀座会は銀座を網羅する会で、わたしが理事長になってすぐに超高層ビルの案件が持ち込まれました。しかし銀座通りの道幅はそんなに広くなく、超高層ビルが建てば空が見えなくなり、日照も悪くなり、防災の心配もありました。なによりも、「歩いて楽しい」という昔から守ってきた街区が失われてしまうのではないかという心配がありました。しかし一番は、銀座の民意や総意はどこにあるのかということ、銀座の人たちの銀座への思いがその計画を受け入れるかどうかということで、なにか問題が起こった時に「銀座の総意」はひとつの武器になるのではないかと考え、銀座街づくり会議を立ち上げました。会議では建築家や有識者の方にお願いをして、銀座に高層ビルが必要なのか、2年間に渡り何度もシンポジウムを開きました。銀座のコンセンサスをまとめてディベロッパーの方々に伝えるとともに、中央区にも理解してもらえるように活動しました。最終的に全銀座会を最高意思決定機関として認めていただき、行政である中央区を巻き込んで銀座の地区ルールを作り、高さ制限をお願いしました。問題が解決するまでに長い時間がかかりましたが、銀座の民意を守りながら今のGINZA SIXのビルが完成しました。2つの街区に跨る大きさは銀座で初めての規模で、銀座の皆さんの総意でお願いをし、ビルの真ん中に区道を通すことで車道と歩道を確保しました。これは所有者が変わっても存続するという約束もしていただいています。GINZA SIXの開発に伴い銀座デザイン協議会を立ち上げ、今後銀座での開発案件はデザイン協議会を通らないと要請の許認可に回らないという協議型の街になりました。

銀座には古くから代々伝わる商店がたくさんありますが、銀実会という青年実業家の組織も存在します。40歳が定年の若い人達で構成され、イベントや街の運営の実施部隊として活動をしています。銀実会を卒業すると、全銀座会や銀座通り連合会などに参加してもらい、親から子、先輩から後輩に受け継がれる銀座のシステムが出来上がっていきます。

銀座は元々新しい業態を受け入れる土壌がありますが、銀座らしくないものが自然と消えていき、銀座らしいものだけが生き残ることでできてきました。ですので、あまり銀座に相応しくない業態に関しては事前に協議をして出店を止めていただくようにお願いをすることがあります。実際にパチンコ、カラオケなどの出店はありませんし、最近ではペットショップの出店計画がありましたが、ヨーロッパでは生体を販売すること自体を規制している国もあり、多くの外国の方がいらっしゃる銀座のメインの通りにはふさわしくないのではないかという街の思いを伝え、出店を止めていただいたことがありました。

銀座の若い人達は、これからの銀座がどうあるべきか、今考え始めています。銀座は外国からの観光客で賑わっていますが、本当の銀座の魅力、銀座らしさとはどういうことなのでしょうか。元々銀座は職人の街として、新聞社や画廊、歌舞伎などの文化を発信する街であったと思いますが、現在は地価が高く、家賃も高いため、職人やアーティストが活動できる場所ではなくなってきてしまっています。行政と協力をしてスタートアップ企業をサポートする、あるいはアーティストの住居やアトリエを提供することでアートを発信できる場にするなど、今後の銀座の魅力をなんとか構築していきたいと思っています。また景気が悪くなったことで消えてしまったパレードやお祭りの代わりに、様々なイベントを新たに考えなければいけない時代になっているとも思っています。

銀座で商売をするわたしたちは、代々銀座で仕事ができるということを大変誇りに思っています。銀座の街を愛し、銀座らしさを大切に思い、昔からある街区を大切に保ちながら、いらっしゃるお客様が安心安全でゆっくり楽しめる街づくりを目指していきたいと思っています。

卓話『日本橋再生計画について』令和5年10月2日

三井不動産株式会社 日本橋街づくり推進部長 七尾 克久様

三井不動産株式会社 日本橋街づくり推進部長 七尾 克久様

日本橋は、江戸開府とともに五街道の起点ということで、全国から人やモノが集まる商人の街としてスタートしました。19世紀初頭の江戸は、人口100万人都市ということで高度循環社会が成立する推進的な街で、日本橋には魚河岸の流通機能や日本銀行の前身とも言える金座、また三井グループのルーツである三井越後屋があり、さらに商人の楽しみの場であった歌舞伎小屋など、様々な機能が比較的コンパクトな中に併存していました。

江戸・明治・大正・昭和と、金融や経済の機能で栄えていた日本橋ですが、1990年代のバブル崩壊や金融危機など様々な社会環境の変化が重なり、日本経済の全体的な悪化と共に賑わいを失っていきました。

その状況において、日本橋に賑わいを取り戻そうということで、1999年に官民地元一体の努力により日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会が設立され、日本橋の再生への取り組みがスタートしました。日本橋に多くの人や企業に来ていただくという意味で様々な取り組み、例えば観光案内所のオープンや舟運観光の実施、無料巡回バス『メトロリンク日本橋』の運航、さらに『名橋「日本橋」橋洗い』など、地域の再生に繋がる活動が行われています。

わたくしども三井不動産では「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに、古き良き伝統があるものは残し、歴史の中で失われた貴重なものは蘇らせながら、時代を先取りするような形で新しいものを創っていくという活動を地域の方々と一緒に続けています。そんな中で、建物を建てて整備していくだけではなく、「産業創造」「界隈創生」「地域共生」「水都再生」という4つのテーマを掲げました。

産業創造:日本橋本町は江戸時代に多くの薬種問屋が軒を連ねていたことから、2016年に製薬を中心に日本のライフサイエンス分野の企業を集めてイノベーションを起こすことができるシステムを構築しようということをスタートしました。一般社団法人LINK-Jを立ち上げ、産官学のライフサイエンス企業が活動する場や、企業として成長していただくための資金の提供を行っています。元々製薬企業の本社があるところ以外にも、周辺にライフサイエンス関係で集まった方のためのコミュニティやラボなどの機能を提供しながら、海外の様々な団体や組織と協力・提携し、日本橋からビジネスを生み出すという活動をしています。

これまで日本橋は宇宙関連産業との関わりはあまりありませんでしたが、ライフサイエンスのコミュニティづくりをやっていたころ、JAXAさんが宇宙開発や宇宙技術の活用について同じようなコミュニティづくりの共創活動をしたいということで団体へ入られ、宇宙関連産業を活性化させるため、弊社も2拠点ではありますが活動場所を設けています。場の提供とコミュニティの構築、またJAXAさんと包括連携協定を結び、社団法人の活動にご参画いただいています。現在、宇宙に関連する技術で地球上の課題解決に役立てていきたいと考える企業がかなり増えていますので、プラットフォーマーとしてコミュニティ活性の機会づくりをしながら、ビジネス創造に繋げていけたらと考えています。

界隈創生:これはまさに、日本橋における人間味ある潤いのある景観情緒に関する取り組みです。2014年に再開発のビルの間に敷地を設けて福徳神社に遷座していただき、イベントなどを通じて神社のまわりで街づくりや賑わいの創出を行っています。また地区計画として空の広がりを生み出して圧迫感を減らし風格がある街並みをつくったり、桜の植樹、路地を石畳に整備する、路面の小さな土地に飲食店を誘致するなど、たくさんの地道な活動を行っています。

地域共生:災害時に強い街にしたいということで、東日本大震災後、日本橋室町三井タワーを開発する際に、コジェネレーションシステムという発電システムを建物の地下部分に埋め込みました。平常時は供給エリアのCO2の約30%削減に役立つシステムで、日本橋川沿いや豊洲の開発でも同様のコジェネレーションシステムを活用しています。全域をカバーできるわけではありませんが、もし災害時に停電になっても瞬間的に切り替わり一定の電気を使用いただくことができます。

水都再生:1999年の日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会発足から20年以上が経ちましたが、街を見てみると来街者がかなりグローバル化しており、また昔と比べて夜や土日でも多くの方で賑わうようになりました。この20年ほどの間に再開発等で新たに出来上がった地域がかなりありますが、これからは川沿いの地域の再生に取り組んでいこうとしています。2017年に首都高速の地下化が決定し、2021年から準備工事が始まりました。再開発と地下化を同時に行うという事業で、極めて難工事であると聞いています。首都高速の地下化が実現すると川の上空には青空が広がることになり、また再開発ではオフィスを作るだけではなく、川沿いの歩行者ネットワークの創出や、ホールやエンターテインメント施設、ホテル、商業施設なども数年おきに出来上がっていく予定です。

日本橋は徐々に再生を続けているところですが、日本橋川沿いの再開発によって生まれる親水空間と歩行者ネットワークは、東京駅周辺と日本橋・八重洲エリアを一体化します。水都・日本橋はまさに東京の交通の大動脈となるでしょう。

ご清聴ありがとうございました。



▲ PAGE TOP