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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2023年2月

卓話『「平和はどこにあるのか?」~ウクライナ避難民学生との交流を通して~』令和5年2月27日

ウクライナ ハウス ジャパン 事務局長/かすみがせき婦人会次期会長 天江 英美様

ウクライナ ハウス ジャパン 事務局長/かすみがせき婦人会次期会長 天江 英美様

日々皆様がテレビや新聞でご覧になるウクライナの情景は非常に悲惨であると思いますが、2002年から2005年まで、わたくし共が在勤していた当時は、誠に穏やかで美しい国でした。郊外には映画でも有名なひまわり畑が広がっており、京都市と姉妹都市を結んでいるキーウ市は、森の中に街があると言われるほどに緑豊かな所で、市内にはお伽噺に出てくるようなアンドレイ教会や世界遺産のペチェルスク大修道院などがあり、5月になると満開のライラックの花で街中が包まれます。そして肥沃な黒土に恵まれた世界有数の農業国でもあり、市場には豊富な食材が並び、苦労せずに何でも手に入りました。

昨年の2月24日、こうした平穏な日常は突如として壊されてしまいました。侵攻が始まったその日を境に、現地の知人等から頻繁にSMSで惨状が送られてくるようになりました。そうこうしているうちに、避難のタイミングを逃した人たちから、どのように逃げればよいのか・・・という相談が入るようになりました。各国の大使館員がウクライナを出国する際に、運良く合流し無事国境を越えた方もおりましたが、一体どのようなルートで自分が移動していたかも分からず、大変な思いで数日を過ごした緊迫した様子が伝わって参りました。現地には、ウクライナ人と結婚した日本人もおります。高齢なご両親や小さな子供、病人を置いて移動するわけにはいかない・・・と出国を断念した方もおりました。

2022年3月2日、日本政府はウクライナ避難民受入を表明しました。本年2月24日現在、日本には男性604人、女性1704人、合計2308人のウクライナ避難民がおります。18歳から60歳までの男性は基本的には出国ができませんので、日本に避難民として入国した多くは女性で、10代後半から20代前半、日本でいうところの学部生が多数おります。世界各地に逃れたウクライナ人は1110万人以上という大変な数で、この方たちを含めて世界の難民は既に1億人に達し、80人に1人が難民と言われる混迷の時代を迎えました。

ロシアによるウクライナ侵攻を受け、元在ウクライナ日本大使の黒川祐次、天江喜七郎、角 茂樹が共同代表となり『ウクライナ ハウス ジャパン』を結成。わたくしは事務局長を務めさせていただいております。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」ユネスコ憲章前文にあるように、日本に退避中のウクライナ人学生には、日本で学び経験したことを、祖国の再建や復興に役立てていただくことを望むと共に、負の連鎖を断ち切り、世界平和構築の一助を担う心を養っていただきたく願います。わたくし共は、ユネスコ憲章前文に適うべく、教育支援を中心に活動をしておりますが、主には、万相談的なことで、夫々の小さな問題や悩みに共に向き合うように心がけております。また、チャリティーイベントを企画、実施し、地域の方々や日本の学生たちにも参加を促し、共に交流しながら世界情勢や平和について意見交換をする機会を作り、避難民学生とコミュニティの繋がりを計るよう努めております。同時に、キーウ市内にあるJICAと国際交流基金によって開設されたウクライナ日本センターへの支援にも携わっております。当センターでは、日本語教育の他、裏千家茶道や池坊の華道、その他書道、囲碁などの日本文化に親しむ講座がございます。驚いたことに、侵攻が始まって以降も有志が集い、お茶やお華のお稽古、日本語学習を続けているということで、不屈の精神で日常を堅持せんと務める彼らの活動を維持継続できるように、当センターの支援を強化したく考えております。

衆議院議員会館では時折、ウクライナ政府関係者と意見交換の機会があり、現地からのレポートを伺い、日本からの今後の具体的な支援内容につき協議が行われております。光栄なことにウクライナ ハウス ジャパンも加えていただき、教育、文化の側面から日本らしい支援活動を継続していきたいという内容を共同代表から提案させていただいております。

年末年始に掛けて、現地からの要望に応え、越冬のために使い捨てカイロ、ヒートテック、ダウンジャケット他、止血剤や包帯などの応急処置に使用する医療品、衣服につける反射テープ、非常用の懐中電灯などをお送りし、加えて学研さん製作の2歳から5歳までの子どもたちのためのウクライナ語のワークブックを日本センターにもお届け致しました。この3月からセンターでは子どものための日本語講座を開設するということでございます。

さて、夫がソ連外交を専門としていたこともあり、いわゆる冷戦時代には、赴任する先は西側ではなく鉄のカーテンの向こう側ばかりでした。ゴルバチョフ大統領が書記長に就任されてからはソ連の雰囲気が一変。人々に笑顔が見えるようになったのですが、1991年ソ連は崩壊。わたくし共は赤の広場でその瞬間を迎え、これでようやく冷戦が終わるのだという非常に感慨深い思いを抱きました。その後エリツィン大統領、そしてプーチン大統領へと政権が引き継がれ現在に至ります。

ウクライナに滞在した、2002年から2005年の間にはオレンジ革命がありました。親露派のヤヌコーヴィチと欧米派のユーシェンコが大統領選挙を争いましたが、ヤヌコーヴィチ候補者が演説をしているその横にプーチン大統領の姿。二度に亘り応援に駆けつけたことに、驚きを隠せませんでした。結果的にはユーシェンコが勝利し、ウクライナは欧米路線を目指します。2005年、大統領ご夫妻が訪日された際には、カテリーナ大統領夫人を森美術館にご案内し、森様にお目に掛からせていただいた懐かしい記憶がございます。

話は再び遡り、2000年に訪日したプーチン大統領は、10歳の少女と講道館で柔道をし、見事少女がプーチン大統領を投げ飛ばしたというエピソードがございます。偶然にもこの少女はわたくしの実家の隣に住んでいた子で、その後、プーチン大統領はその少女と家族全員をロシアに招待し、クレムリン宮殿でのランチに招いたのです。その席での会話で、少女の母親が柔道をして何が良かったのかと問うと、プーチン大統領は、「初めて会った人にどこに『隙』があるのかが分かるようになった・・・」と回答したそうです。まさに2月24日の侵攻に通じるところがあるように思い、同時に日本を取り巻く環境に危険が迫ってきているのではないかと今肌で感じております。

本年広島で開催されるG7サミットは日本が議長国です。日本としてウクライナの問題に対してどのように取り組むべきなのでしょうか。やはり日本独自の外交「和を以て貴しと為す」という哲学でリーダーシップを発揮することを期待しております。

80億という人類の営みと共に、この地球上にいる生きとし生けるもの全ての為に・・・。一国の利益ではなく、地球全体の利益について、世界のリーダーたちにはそのことを念頭に置いていただきたいと思います。繰り返しになりますが、訪日し退避中のウクライナの学生たちには、日本で学び身に付けたことを、祖国の再建、復興に役立てるのみならず、地球の環境問題や世界平和の構築に貢献できる人材に育っていただきたいと願っております。そのような思いを抱きつつ、『ウクライナ ハウス ジャパン』としてわたくしどもは活動を続けて参ります。どうぞ引き続きのご支援ご協力を賜れましたら有難く存じます。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『日英関係等について』令和5年2月13日

駐日英国大使 ジュリア・ロングボトム様

駐日英国大使 ジュリア・ロングボトム様

日英間のパートナーシップはここ数十年で最も強化関係にあり、英国政府が非常に重要視しているパートナーシップです。英国はインド太平洋へのコミットメント、そして日英関係のコミットメントを深めています。ロシアによるウクライナ侵略は国連憲章に反しており、英国はウクライナに対して主力戦車の供用や軍事訓練プログラムを行うなどの支援を続けています。また日本政府のしっかりとした対応と、日本国民の皆様による寛容な心遣いにも非常に心を打たれました。

英国と日本は世界の安全保障の面で緊密なパートナーであるとともに、共通の価値観を有する友人でもあります。この不安定な世界で様々な課題に直面する中、志を同じくする日英は、民主主義、人権、法の支配を守るため、かつてないほどに積極的に取り組む必要があります。日英両国とも、社会におけるダイバーシティ、そして労働力の多様性を通じて、働く人々のスキルや創造性、イノベーション力などに注力し、今もこれからも国際競争力を高め続ける必要があります。

両国の経済関係は、イノベーションへの共通の情熱に支えられた長年の協力の歴史があります。自動車、エレクトロニクス製造、IT、エネルギー、ライフサイエンス、金融など、多様なセクターでの数十年に及ぶパートナーシップは、産業の繋がりを劇的に拡大させる基盤となっています。日本の対英投資は2012年の360億ポンドから2020年には1020億ポンド超へとおよそ3倍に拡大し、投資元としては米国や欧州を除くと日本が最大となっています。2020年10月には日英包括的経済連携協定が署名され、双方の繋がりを更に深める足掛かりとなっています。

ウィリアム・アダムス(三浦按針)が初めて日本に来て以来、日英関係における主役は常に人々でした。人と人の絆作りは両国関係の未来を担う若者たちの交流を促進することから始まります。2020年に英国政府は、数学者として有名なアラン・チューリングに因んで命名した、交換留学をさらに発展させる制度を新設しました。これにより毎年日本に留学する英国の若者の数が倍増する可能性があります。また日本では多くの若き英国人がジェットプログラムと呼ばれる外国青年招致事業に参加し、次世代を担う日本の子ども達の国際交流に繋がる能力向上や好奇心喚起に尽力しています。

外交の世界は日常の生活からは縁遠く感じられたり、別世界のように見えたりするかもしれません。しかし外交も突き詰めれば「人の繋がり」に他なりません。そして国民の期待に応える国家間の協力関係もそうです。相互に繋がり合った世界で、わたしたちの目の前に立ちはだかる課題は文字通りグローバルな課題であり、志を同じくする友人との緊密なパートナーシップがかつてないほど重要になっています。それだけにわたしは、この両国関係が繁栄の一途を辿るものと信じて疑いません。

卓話『経営戦略としてのダイバーシティ・マネジメント』令和5年2月6日

NPO法人J-Win 会長理事 内永 ゆか子様

NPO法人J-Win 会長理事 内永 ゆか子様

人権問題として女性も男性も同等に扱い、チャンスを与えようということは当然のことではありますが、経営としての「多様性」、そしてその第一歩である「女性」ということが極めて大切だということを強いて申し上げたいと思います。日本における多様性、女性活躍の現状や問題点について、経営戦略としてのダイバーシティ・マネジメントという題目でお話をさせていただきます。

World Economic Forumでは、健康面、教育、政治、ビジネスにおけるジェンダーギャップのランキングを毎年公表しています。2021年度に日本は146ヶ国中116位でしたが、実は女性活用やダイバーシティという言葉すら聞くことが少なかった2010年には94位でした。安倍元総理が女性の活躍ということで一生懸命活動した時代を経てもランキングは下がっています。わたしが憂慮していることは、日本国内では絶対的に進んでいるにも関わらず、相対的には落ちているということです。女性活躍やダイバーシティについて、なぜ世界はこの10年間一生懸命に推進してきたのでしょうか。

今から20数年前、わたしがまだ日本IBMにいた頃、トーマス・フリードマンが書いたThe World Is Flatを読んだ際、目から鱗が落ちました。「これからの世界は今までとガラッと変わる。テクノロジーの進歩は半端ではない。競争に勝つためには、ビジネスモデルを変えるしかない。」例えば今までは時間や距離、国境や人種などの色々な壁があり、同じビジネスをやっていてもお互いにテリトリーはありました。さらにこれからは、安くする、クオリティを上げるということでは競争には勝てず、固定電話から携帯電話、スマホへとモデルチェンジし、世界の情報やビジネスと繋がることができるようになったようなことがどこでも起きるのだと彼は言っています。今の機能をどう良くするのか、どのようにコストを下げるのか、もうそんな時代ではないということです。またテクノロジーは半導体技術の進歩によって急速に変わってきており、ムーアの法則によると10年間で100倍良くなると言われています。さらにネットワークは10年間で1000倍と言われていますから、今必要だと思っているビジネスやニーズは不要となり、必然的にビジネスモデルを変える必要が出てきます。しかし成功した企業は今のビジネスモデルが沁みついているため、これまでの成功体験にまみれていない違った価値観を持った人たちを経営の中に入れていかなければ会社は変われません。今の若い人の情報収集や発信の能力は格段で、且つやる気があれば起業家マインドを持った新しいイノベーターとなれるのですが、この人材を企業としてどう活用していくのかが重要です。多様性ということがこれから経営陣にとっては避けて通れない必須の条件で、今まで大成功してきた企業が、新しい人材活用や環境の中でどのようにビジネスモデルを変えていくのかが実は大きな課題であると思います。

組織体系に関しても、10個のアイデアを1個に絞る20世紀型モデルから、21世紀型モデル(ヒューリスティックタイプ)へと変わりつつあります。本当の意味でのダイバーシティとは会社を変えるためであり、発想やバックグラウンド、価値観が違う人たちが必要ですが、日本のようにモノカルチャーが強い文化においての変革はなかなか難しく、優秀な人を集めてヒューリスティックに変えようとしても上手くいきません。しかし会社には成功を経験しておらず、能力がある人が3割ぐらいはいるのです。それは女性です。女性だから優秀だと言っているわけではありません。しかし優秀な女性が3割いれば、彼女たちをチェンジエージェントとして是非活用して欲しいのです。わたしは、女性はダイバーシティのリトマス試験紙だと思っています。たまたま女性はマイノリティの塊で、男性はマジョリティの塊で、それが日本を支えてきました。しかしここで変化を起こそうと思ったら、マイノリティのほとんどを占める女性を活用しない手はありません。海外の人を入れると確かに多様性はありますが、企業とビジネスの知識があり、文化や社風に慣れている人が入ったほうがリスクは少ないというメリットもあります。

テクノロジーの進歩、ムーアの法則は、これからまだ10年20年続きます。今あるテクノロジー、今あるビジネスのやり方、今あるルールは10年後にはないと思ってください。それは皆さん過去の10年20年で経験されていると思います。確かに今あるものでいかに良くするかということは、今日、明日、明後日の話としては必要ですが、会社としての長期計画を考える時には3年ぐらいのスパンで考えていかなければ、世の中の変化に追いつけません。そしてここで必要なのが女性なのです。

わたしが腹落ちした理由は2つあります。ひとつは、White Anglo-Saxon Protest東海岸の超エリートがずっと引っ張ってきたIBMがどん底になった時に立て直しを行ったルイス・ガースナー(IBM会長 兼 最高経営責任者)の言葉です。彼は初めてダイバーシティという言葉を使い、46万人いた社員を16万人までリストラしました。ガースナーは、「ダイバーシティということをやらない限り、IBMはcultureが変わらない、会社のpriorityが変わらない。どんなにテクノロジーや組織や仕組みを変えても立ち上がれない。」と言いました。そしてもうひとつは、日産がルノーの傘下に入った時に志賀さん(日産自動車 最高執行責任者)が言った言葉です。「自分達は今までいっぱい議論していっぱい施策をやったけれど、日産の成功体験という額縁の中からしか見ていなかった。」額縁なんかどこにもなく、とんでもないアイデアや発想こそ大切なのだと気が付いたと仰っていました。わたしにはこの2つの言葉が大きかったです。

ダイバーシティの取り組みにわたしがアサインされた時、女性社員の割合は13%で、管理職は1.5%でした。彼女たちは、日本IBMの教育も仕事のアサインメントも差別はなく、だから今更女性活用なんて嫌だなんて言っていました。問題点としては、まず女性自身が仕事に対しての将来像をきちんと持っていないこと、そして仕事、家事、育児のワークバランス、さらにオールド・ボーイズ・ネットワーク。まずはこの3つの問題を解決しようということで、2001年には今で言うテレワークを取り入れました。時間も場所も自由に、仕事の結果で評価をし、情報と業務プロセスの見える化や共有化を全社で行ったのです。そして、男性のみのコミュニティであった、成功した組織や企業の中で培われてきた約束事やルール、暗黙の文化や雰囲気に対しては、会社の中で女性社員をどう育てていくのか、キャリアを上げるとはどういうことなのかを説明しました。その結果、結構ですと言った人ももちろんいました。しかし会社の中で頑張りたいと思うのであれば、キャリアという馬に乗り続けなければいけないのです。

NPO法人J-Winをスタートして16年が経ちました。わたしが女性たちに伝えたことは、「キャリアという馬に乗ったら降りるな」ということです。苦しい時もある、嬉しい時もある、失敗もある、成功もある。しかしキャリアという馬に乗り続ければ、必ず景色が変わります。そしてたくさんの男性に、マイノリティとはどういうことかを経験して欲しいと思います。

ご清聴ありがとうございました。



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