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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2023年1月

卓話『日本産サフラン -ethical choice and beyond-』令和5年1月30日

Sales Director 伊藤 嘉紀様

Sales Director 伊藤 嘉紀様

わたくしたちAKAITOは、高品質な国産サフランを生産から販売まで手掛けているサフラン専業の会社です。本日はサフランを気軽に楽しんでいただくための方法や、サフランを取り巻く環境、諸問題などについてお話させていただきたいと思います。

ブイヤベースやパエリア、サフランライスを作る時のスパイスとして使われるサフランは、サフランというお花の雌蕊を乾燥させたものです。スパイスとして売られている時は赤色ですが、お水に浸すと鮮やかな黄色になります。料理においては主にサフランの風味が活用されますが、エキゾチックな香りは香水やコスメに、また鮮やかな黄色は染料などにも使われています。

サフランライスやパエリアを4~5人分作るために必要なサフランはだいたい0.2gほどで、サフランを1g作るためには、およそ150輪のお花が必要になります。一輪のサフランには雌蕊が3本付いていますので、雌蕊でいうと450本です。これらを全て手作業で行いますので、サフランというと高価なスパイスという印象があるかと思いますが、大変な手間がかかっていることを知っているわたしたちからすると、その価格は適正、あるいはものによっては安すぎると感じるようなこともあります。

サフランは日本の食文化の中に馴染みがないため、使い方や楽しみ方をご存知ない方が大半だと思います。市販で売られているサフランはだいたい0.4gやそれ以上で売られているので、想像ではありますが、サフランを買った方の70%から80%の方は、余ったサフランを無駄にしてしまっているのではないかと思います。これは立派なフードロスですので非常に悲しいことですし、自然の恵みを大切にしたいと思います。AKAITOとしてはごく簡単にサフランを楽しんでいただける方法を発信していくことも重要だと考えております。温めた牛乳やレモネード、甘酒にサフランを加えても美味しいですし、コンソメスープに一つまみ入れるだけで特別な感じに仕上がります。またホワイトソースを使った各種料理や魚介の鍋に入れていただくだけでも楽しみが広がると思いますし、フードロスの削減にも繋がります。

サフランはおよそ300年前の江戸時代に日本に伝来しました。その後1960年代までは医薬品や漢方の需要により、最盛期には1000kg近い量が生産されていました。その間に日本独自の栽培方法が確立され、改善の結果、現在日本で栽培されているサフランの球根は、外国産に比べて大きく、密度も高く、非常に優良な品種になっています。日本以外の国では畑に植えられて収穫まで土の中で育ちますが、日本ではお米の二毛作として田んぼを活用した栽培が行われており、十分な栄養を蓄えたあとに掘り起こされ、日光などを遮断した小屋の中で休眠させます。蓄えられた栄養で芽が育ち、11月のぐっと気温が下がった頃に開花収穫を迎えます。品質が良いこともあって最盛期には1000kg近い生産がされていたサフランですが、生産者の高齢化や、廉価な輸入サフランに押された経緯の中で、現在までに日本国内の生産量は20kg程度まで激減してきました。現在サフランを栽培している農家さんもほとんどが高齢の方で、このままでは10年経たずに国産サフランはなくなってしまうだろうと言われてきました。これは非常にもったいないことで、歴史、伝統、優良な品種を絶やしたくないと考えるのは自然なことではないかと思います。そこで生まれたのがAKAITOです。テンプル大学の教授を勤めているマーク・リー・フォードが学生向けのプログラムの一環としてリサーチしていた時に、日本でサフランが作られている事実や、非常に優良であること、また存亡の危機に瀕していることを知り、日本のサフランをこのまま無くしたくないという強い思いに駆られたといいます。どうすれば日本のサフランを未来に繋いでいけるか。考えた結果がAKAITOでした。世界最高レベルのサフランを作って適正な価格で販売し、世界に向けた事業展開を行って国内需要の創出を行い、日本のサフランを未来に引き継いでいこうという考えに至ったのです。AKAITOは2017年に設立し、数年間は高品質なサフランを安定的に供給するための研究を行い、また住み込みで既存の農家さんとの信頼関係作りをしながら、サフランの栽培や農業のいろはを学ばせていただきました。そして日本の伝統的な栽培方法や職人技、最新の技術を融合し、わたしたちにしかできない方法でAKAITOは世界最高レベルのサフランを安定的に生産できるようになりました。

サフランには国際規格があり、現時点においてAKAITOサフランは、最高ランクとして規定されているグレードが求めている数字をさらに50%ほど上回っており、当然更なる改善も続けています。現在までに多くのミシュラン星付きレストランからも高い評価をいただいておりますし、サフランを栽培している佐賀県の限界集落の棚田保全、空き家の活用、過疎問題と共存する生産という側面からもメディアが関心を寄せてくださっていて、大手新聞や大手メディアでも取り上げていただく予定になっています。

またAKAITOではサフランの需要を創出するために、料理以外の領域での商品開発も積極的に取り組んでいます。香水、皮製品、日本酒のほか、ドレッシングやジン、ヨーグルト飲料や調味料と多岐にわたり、総合してブランドの信頼性が確立してきた段階ですので、海外のマーケットにもアプローチをしています。

サフランの90%はイランで生産されています。イランでは非倫理的なサフランの生産が行われていますが、一方でAKAITOは倫理的かつ持続可能な生産という在り方にもこだわっています。Made in Japan の農作物や食品への期待度は高く、さらにAKAITOは現代社会が重要視しているSDGsやエシカルという文脈にも合致した生産を行っていますので、海外ユーザーからも選ばれる存在になっていけるのではないかと考えています。

日本のスーパーなどで見かけるサフランはスペイン産が多いですが、これには理由があり、イランは非制裁国ですのでアメリカを中心とした西側諸国と直接取引ができないため、一旦スペインを経由して入ってきています。そしてイラン産のサフランには多くの問題があり、一番は人権問題です。人件費を抑えるために長時間酷使されているのが弱い立場にある女性や子どもたちで、中間業者や犯罪組織が利益を上げているという構造が存在します。かつてカカオやコーヒーがそうであったように、一般的に多くの方は、自分が買い求めている商品が児童労働や強制労働によって生産されているものだとは知らずに消費しています。今では消費者がメーカーに対してエシカルであることを求めていますし、消費者の声によって人権問題に対する動きが進んでいるという側面もあり、サフランについてもイランについてもそうであってほしいと思っています。

高級料理店で美味しく楽しく過ごす時間の裏側にあるのは、生産者の笑顔であるべきで、子ども達の過酷な労働や搾取であっていいはずがありません。児童労働や不当な搾取のない世界をつくるためにも、一人でも多くの方がフェアトレードの商品を選び、非倫理的な商品の発展に加担しないようになること、そしてサフランが法外な利益をあげるための道具ではなく、関わる全ての人の笑顔を引き出す高貴なスパイスとなることをAKAITOは願っています。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『人の心に寄り添う公共政策』令和5年1月23日

大妻女子大学特任教授 翁 邦雄様

大妻女子大学特任教授 翁 邦雄様

人間はすべての利用可能な情報を利用して合理的に自分の利益を最大化するように行動すると仮定しています。まともに考えるとスーパーコンピューター並みの計算能力が必要になるわけですが、有名な経済学者であったミルトン・フリードマンは「ビリヤードで球を突くことは、物理学的には非常に高度な計算だ。でもそんなことを考えずに球を当てる。人間は同じように合理的な計算をしているはずである。」と言いました。これが伝統的なミクロ経済学の考え方です。

しかしどう考えても合理性だけでは人間行動の理解に偏りや歪みがでてきます。もう一つの考え方は行動経済学者的な理解です。ダン・アリエリーは「本当に賢い人達は自らの非合理性を認識して対処する」と言っています。本日は人間の行動の利己的合理性からの一貫したズレとその政策的応用を中心にお話をしたいと思います。

人間はどうして合理性から外れるのか。それを考える足掛かりとして、1720年に起きた英国の南海泡沫事件のときのエピソードを紹介したいと思います。この事件は、南海会社という会社の株式が爆発的な人気を集めたことをきっかけにした大バブルの発生と崩壊ですが、有名な物理学者のアイザック・ニュートンは、このとき、一旦は大儲けをしたあと後に大損をしてしまいました。明らかにニュートンは合理的な計算にたけた人です。それなのになぜ合理的な損切り(値段が下がった時に損を確定させてそれ以上拡大させない行動)ができなかったのか。

行動経済学では、人間には損失の痛みのほうが利益の喜びより倍以上大きく、損を確定させてしまうことに心理的な強い抵抗が働く、という特徴があることが知られています。これがニュートンに損切りを躊躇わせた一因、と考えられます。この損失と利益の心理的非対称性は、金銭的な問題に限りません。利益と損失の見方は基準になる点の置き方によって変わります。損失と利益の分岐基準となる点を参照点(リファレンスポイント)といい、それによってある出来事に対する人間の受け止め方が大きく変わってくるわけです。よって、リファレンスポイントをどこに設定するかということは、政策的応用に当たっても非常に重要になってきます。

ところで、なぜ人間には合理的判断と非合理性が混在するのでしょうか。行動経済学者は、人間は、スピーディーかつ直感的に反応し、「ヒューリスティック」と呼ばれる速断法を採用している直観的判断システムと、緻密な合理的計算を行う判断システムを行き来している、と考えています。ヒューリスティックには、典型例に引きずられる代表性ヒューリスティック、思いつきやすい利用可能性ヒューリスティック、最初に与えられた情報にこだわる固着性ヒューリスティックなど、様々な種類があります。

代表性ヒューリスティックの有名な例として行動経済学者カーネマンが作った「リンダ問題」の例をみましょう。
リンダは31歳独身で、非常に聡明ではっきりものを言い、大学では哲学を専攻して、学生時代は人種差別や社会正義の問題に関心を持ち、反核デモにも参加していた。リンダは現在銀行員か、銀行員で女性解放運動家か、どちらの可能性が高いと思いますか。

大抵の人は「リンダは銀行員で女性解放運動家」と答えてしまいます。しかしそれは間違いです。銀行員の中で女性解放運動家という特性を持っている人はごく一部に過ぎず、銀行員の部分集合ですから、銀行員である確率のほうが確実に大きいのです。しかしリンダの人格の代表性に引きずられて間違った選択をしてしまうのです。

ヒューリスティックの利用以外にも、認知バイアスと呼ばれる心理特性もあります。自分に都合のいい状況だけを重視してしまう確証バイアス、どうしたって取り戻せないコストを「もったいない」と思うことで判断が歪められるサンクコストバイアス、異常事態でも過剰反応を避けるために無視してしまう正常性バイアスなどです。

人間の持っている色々な歪みや特性は教育を受けるに従って消え、より合理的になるかというと必ずしもそうではありません。心理学者による研究では、幼子のほうが大人よりもサンクコストに囚われない正しい判断ができることが知られています。人間は生育過程で家庭でも学校でも「もったいない」という教育を受け、それが意識に浸透する結果、取り戻しようがないサンクコストにも引きずられるような行動をとってしまう、というのが心理学者の主張です。

また、正常性バイアスについては、些細な異常は周囲で毎日起こっているため、とりあえず異常は無視する傾向です。実際、災害の犠牲者は正常性バイアスによる逃げ遅れが圧倒的に多く、危険をなかなか自分自身の問題として受け止められまいまま、命を落とす事例が多いことが判明しています。

こうした人間の判断のさまざまな傾向は、企業のマーケティングや公共機関のソーシャル・マーケティングにしばしば応用されています。表現のしかたによって人間の判断が非常に大きく変化することを利用した「フレーミング」の技術はしばしば応用されているものの一例です。同じことを伝えるにしても、どう表現するか(フレーミング)は非常に大切です。例えば2020年4月に新型コロナ対策専門家会議から「コロナの感染を防止するための10のポイント」が発表されています。これをみると例えば、「ビデオ通話でオンライン帰省」などどのポイントについても推奨行動がポジティブに表現されています。帰省しないよりオンライン帰省はプラスです。同じことを「帰省しないでビデオ通話」というと帰省より魅力のないビデオ帰省を推奨、ということになり、損失を意識させます。そうなってしまわないようにリファレンスポイントを工夫していることになります。また専門家会議は、若者に対しては、「あなたの大事な人の命を守るために」と利他性を強調した呼びかけをしました。人間の利他性に働きかけることも非常に効果的な手法だということが知られています。

課税や補助金、規制を使わずに、強いることなく人々の行動を所期の方向に持っていくような行動経済学的な手法を「ナッジ」といいます。ナッジの概念のわかりやすい例として、アムステルダムのスキポール空港のトイレの例が挙げられます。このトイレは、小便器の真ん中に小さなハエの絵を描いてあります。それだけで、強制も罰金も使わず人々の自発的行動でトイレが劇的にきれいに使われるようになりました。

ナッジは「人の背中をそっと押す」というニュアンスです。ナッジの大きな問題はこの手法が、目的の善悪にかかわらず使える、という点にあります。この卓話のタイトルは「人の心に寄り添う公共政策」としましたが、悪い働きかけが忍び込んでしまう、という可能性もある、ということです。したがって、少なくとも公共政策としてナッジを使う時の大前提は「透明性」であり、ナッジを設計する人の利害なども明らかにしておく必要があります。

企業のマーケティングやミクロ的な政策分野に比べ、金融政策や財政政策などのマクロ経済政策は、分野として行動経済学的知見の利用は立ち遅れています。例えば、インフレは国民にとってポジティブな現象かというと、そうではありません。デフレ脱却が叫ばれていた2013年当時も国民はインフレを少しも待望していませんでした。それでも、日銀は異次元緩和で国民の持つインフレの確率的予想値に強引に働きかけインフレ目標を達成しようとしました。しかし、アンケートをみると、日銀のインフレ目標への国民の関心は全く高まらず、異次元緩和は空振りに終わりました。

ただ、インフレへの関心が高まらない、ということは、本来は悪いことではありません。関心を持つということはおおむね心配につながるからです。アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会の議長であったグリーンスパンは、「物価安定は、人々が物価に無関心な状態を実現すること」と定義しました。異次元緩和は行動経済学的な知見を無視したことで所期の成果を挙げそこなったのですが、国民が無関心だったという意味では物価安定は壊さなかったのかもしれません。

ご清聴ありがとうございました。



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