卓話
2022年10月
卓話『東京、ときどき東川「二拠点生活で見つけた豊かさ」』2022年10月3日
ハースト・デジタル・ジャパン モダンリビング 発行人 下田 結花様
2014年に取材で訪れた東川町は、北海道の真ん中にある8500人程の小さな町で、国道・鉄道・水道がない町です。全国的に過疎化にある中で、どうやって町を活性化させて人口を増やしていくかという取り組みや、大きな企業を誘致せずに写真や家具、デザインを中心に町おこしをしている自治体であるということに大変共鳴いたしました。また数年前に北欧家具を中心とした1300脚以上の椅子「織田コレクション」を公有化し、それを元に今後デザインミュージアムを作っていくという構想を持っており、私も何かの形でお手伝いできたらという思いもありました。
当たり前にあるものの価値
私は昨年11月から、東川と東京を行き来する二拠点生活をしております。これから20年後の生活はどうあるべきかを夫と考えた時に、東京にいればあまり変化のない生活であろうということが予想できました。まだまだ元気に暮していく中で、もっと新しいことにチャレンジしようと2人の意見が一致し、ご縁がありました東川町に家を建てることになりました。
「東川2M house」とは夫がつけてくれた名前です。2Mの2は私と夫の小石、Mはみんなという意味です。「2人とみんなの家」がこの家をプランニングするときの基本的な考えでした。多くの方に東川に来ていただきたいと思いましたし、東川での暮らしを経験していただきたいという思いから、ゲストルームを作り、泊まっていただけるような家にしました。東川と東京を行ったり来たりし始めて、東京にいた時には当たり前だと思っていたことが、それはとても恵まれた豊かなことであると気づきました。東川では一流のアートやコンサートに出会う機会は限られています。東京にいる時は東京でしか経験できないことをする機会が以前よりも多くなりました。一方で東川の美しい田園風景、これはなんと価値のあるものだろうと思います。しかし東川の方たちにとっては当たり前のもので、このことにあまり価値を見出していません。東川では、東京にはない自然と触れ合う生活を楽しんでいます。テラスで朝ごはんを食べ、その日咲いている野草を摘んで部屋に飾り、夜は外に出てゆっくり夜空を見上げる。星が綺麗だということに気づいたのもつい先日です。美しいものは突然そこに現れるわけではなく、ずっと美しいまま存在しているんですね。ただ人がその美しさに気づくかどうかだけだと思います。二拠点という常に視点を変える生活をすることによって、今まで気づかなかった美しいもの、当たり前にある美しいものに気づくことができたことが、二拠点生活の大きなギフトだったと感じています。
シンプルで清潔な暮らし
私は2003年から2016年までMODERN LIVINGの編集長でしたので、一日のほとんどを会社で過ごすような生活が長く続いていました。暮らしというものがなかったような気がします。東川に行くようになり、朝は早く起きて散歩や庭仕事をし、丁寧に朝ごはんを作ってテラスで食べ、リモートで仕事をし、夕方は夕日を眺め、簡単な夜ご飯を作って食べ、本を読んだりして夜は早く寝る、というシンプルですが丁寧な暮らしをしています。植えてあるバジルを摘んでジェノベーゼを作っていただく。特別なごちそうではありませんが、東京にいた時には心慌ただしくてできなかったことだと感じます。同じように仕事をしながらでもゆとりがあるのが二拠点生活のメリットで、なんでもない暮らしの中にあることを丁寧に感じていく時間の過ごし方が、「清潔な暮らし」という言葉に置き換えられるのではないかなと思います。
ゆるやかな家族
東川2M houseは昨年の3月に竣工しておりましたが、私の夫であります小石至誠は2019年に白血病を発症し、残念ながら昨年の10月に肺炎で亡くなりまして、東川に行くことは叶いませんでした。小石が逝ってから東京にいるのが大変辛く、早く東川に行きたいと思っていた時に、友人が東川の家を整えてくれ、11月から住み始めました。それから間もなくして、この家を作るにあたりお手伝いいただいた方や、多くの友人が泊まりにきてくれるようになり、誰かが来てくれることで食事もきちんとするようになりました。鳥の声や、川のせせらぎ、自然の音を聞きながらゆっくりと食事をすることがどんなに素晴らしいことか。そこには音楽でさえ必要ありません。非常に疲れていましたし、落ち込んでいましたけれども、私を支えてくれたのも、友人たちの想いと、ここでの時間、普通の暮らしであったと思います。
私はここで暮すようになって、一つの言葉をいつも自分に言い聞かせるようになりました。「少しだけ丁寧に」。大変なことをしようとは思いません。例えば朝ヨーグルトと果物を盛った器に、庭から一枝ミントを摘んでくるその手間を惜しまないでおこうと思います。少しだけ丁寧に暮らすことで、自分自身を大切にしているという実感を持つこともできますし、時間に流されずにいられるような気がします。
東川に住み始めて、延べ70人以上の方が家に訪れてくださいました。私がセミナーを開催したり、織田コレクションをお持ちだった織田憲嗣先生が椅子の日のセミナーを毎月14日に開いてくださって、それを聞きに毎月のように来てくださる方もいます。それにしてもこの10ヶ月間で70人の方が東川を訪れているということは大きなことではないかと思います。
2016年にMODERN LIVINGの編集長を退いた後、現在は全体を統括する発行人という立場にあります。2019年からインテリアのプロの会員さんが参加するMLクラブを主宰し、この2年半は毎月、オンラインでセミナーをお届けしております。MLクラブの一部の方とMODERN LIVINGが契約をして、お客様の家のインテリアを直接コーディネートさせていただくMLスタイリングというお仕事もしています。雑誌という仕事は間接的にしか皆さまの暮らしにメッセージをお届けすることができませんが、MLスタイリングではインテリアコーディネーターの方とチームを組んで、直接インテリアのお手伝いをさせていただいております。
織田コレクションの織田さんは、先日こんなことをおっしゃっていました。「人には人生の使命というものがある。私の使命は、20世紀の美しいデザインを後世の人たちに残していくこと。それが自分の使命だったのだということを今改めて思います。」使命という言葉に強く心を打たれるものがありました。私の使命はなんなのだろうと考えた時に、やはり美しく豊かな暮らし方を皆さまにお届けしていくことなのではないかなと思っております。
この二拠点生活で学んだことは本当にたくさんありますが、一つ一つの毎日の小さな時を重ねていく、それが人生になっていくのだということです。東京にいた時には流れていってしまう時間を、掴まえどころのないように思っていましたが、こうして二つの場所を行き来する中で、東京では都会の素晴らしさとそれを享受できることの有り難さを感じています。そして東川に戻るたびに自然の素晴らしさを再発見し、私自身何ができるのか、何をすれば日本の暮らしを美しくできるのかを日々考えています。
小石が亡くなる時、「もう結花の幸せだけが望みだ」と言ってくれました。東川と東京でいっぱい泣いて、いっぱい笑って、そして自分ができることはなんなのかを考えて、この東川という町とこれからの人生を重ねて生きていきたいなと心から思います。
本日はこのような機会をいただきまして、誠にありがとうございました。
卓話『器を「よむ」感触と思考について』2022年10月24日
日本文学研究者 早稲田大学特命教授 ロバート キャンベル様
わたしの本業は研究者です。若い頃から、江戸時代の言語文化や興行、政治、法制など様々なものが展開していく中で繋がっていく日本の歴史的な必然に関心があり、学んできました。現在まで長く日本の文学を教えており、今は洋紙の書籍も毎日扱っています。しかし明治時代の前半以前は、和紙を絹の糸で綴じている糸綴じ本がほとんどで、実際に江戸時代に日本列島を行き来してきたものを手に取り、捲ることによって、中身だけではなく物語の素晴らしいリズムや喜怒哀楽や歴史を、モノとしてわたし達に伝えることができるということを研究のテーマにしています。実証的に、イタリアやドイツ、アメリカで長い時間をかけて、幕末から流出した日本の非常に貴重な書籍等の調査をしてきたこともありますが、その上で、7,8年前から紙ではないものも実は書籍と深く関わっているということに気付きました。ちょうどその時に裏千家の雑誌『淡交』の編集部から、全国にある茶の湯道具や茶器など、茶室で使うものを尋ね、門外不出の日本の宝を見て、それについて第一人者と語り合い、文章を寄せて欲しいというお話をいただきました。わたしは書物の研究をずっとしていたので、焼き物とは対極にあります。そこで、門外漢のわたしが引き受けるにあたり、二つのお願いをしました。一つ一つを実際に手に取って触れたいということ、もう一つは自然光の元で拝見したいということです。書物を読んで学生に教え、文献の研究をずっと行ってきましたが、うつわも読解してく、わたしを読み取ってくださいという何かを孕んでいるということを強く感じ、触れることで感覚器官から歴史的な状況を感じ、また一日の日照の移り変わりの変化の中で手に取ることで、まだ電灯がなかった時代の日本の美の感覚や日本人の芸術的な感性に触れたいと考え、そこから4年間の旅に出ました。
日本が誇る国宝、静嘉堂文庫美術館の『曜変天目』はおそらく日本の茶道具の中では最も著名なものです。12世紀のはじめに中国の建窯で焼かれ、江戸時代初期に淀藩の藩主稲葉公が手に入れ、200年以上ずっと大切にしていました。この曜変天目については戦前からたくさんの評論や文献が書かれていますが、これを実際に自然光で見ると、玉虫色のようなまだら模様がとても神秘的です。最近の研究で、釉薬に微細な凹凸があり、光が差し込むと乱反射を起こして構造色という様々な色が見られることが分かっています。中国に残らなかったのは、虹のような色は禍々しいと考えられているためで、それが日本に伝わったことで、文化史や歴史を考えると非常に重要な物証だと思います。煌びやかで美しく、大切にされてきたものと出会うことができました。
京都の樂家で十五代目樂直入さんにお目にかかり、本阿弥光悦の「冠雪」を拝見しました。直入さんが若いころにこの器と出会い、冠雪と名付けたそうです。へらを使って立ち上がりを作り、口縁を真っ平に仕上げているところは、光悦の自然に対する理解と尊嵩の念を強く感じ、作意や美意識、そしてあまり触らない自然のままの完璧なバランスがあって、若い作陶家だった直入さんが生涯の一つの目標にしていたそうです。
東京国立博物館にある『馬蝗絆』は、鎌倉時代末期から室町時代に日本に渡り、六代将軍足利義政のコレクションに入っていた青磁の素晴らしい茶碗です。2ヶ所のひび割れには鉄の鎹があり、上から見ると蝗のような形に見えるので馬蝗絆と呼ばれています。自然光が入る部屋で鑑賞していると、足利義政だけではなく、徳川家康や織田信長らが深い思いを込めて鑑賞している姿が紬薬に映るような不思議な感覚に陥りました。そして日本と中国大陸の大きな文明系の中の一つの羅針盤として位置づけされ、大切に伝来されていたものなのだと改めて感じました。
静かな心の中に、日本の長い歴史の様々な真実に触れる四年間の旅を経験させていただきました。記録資料には必ずしも残らない、人から人へと継承されるものと出会い、実際に触れながら意味を学べたことは、正に歴史を超えて時代を呼び止め、意味を一つ一つ汲み出すことができるように思います。専門家や、生涯をかけて実際に美しい伝統的なものを作っている方と語り合い、発見したことを少しご紹介いたします。
華やぎと静模黒
褐色の茶碗がそっと鈍い光を拡散している
釉を纏って光る茶碗は真ん中にあって
囲うようにして二人は指先を躍らせている
器はそれほど古いものではない
話をする相手は工芸誌が専門の美術史家で
この日わたしが尋ねることになった美術館の学芸員である
手捌きには寸分の狂いもなく
清潔なまな板の上で魚を切る料理人の仕草を彷彿とさせる
濃紺のフェルト布が目の前にある
テーブルの上にそれを敷き詰めたあとに
彼は心地よいリズムを刻みながら
木箱の中から小ぶりな茶碗をおもむろに取り出すのである
茶碗を布の上に静かに置く
日本語では静かにという
けれど大概それはやかましくなく無言であるsilentを意味するわけで
学芸員の動作とはニュアンスが違う
無・静かに には無音以外の意味がある
例えば物事が停止する瞬間の様
人が慌てることなく行動する様
穏やかな心(静模黒ともいう)で思考を集中させ動く様子などについて
静かにという言葉が使われている
それは耳に入る身体感覚を超え
生き方の趣や精神の作用にまつわる幅広い意味範疇として存在する
『わしらず たゞしづかなるを望とし、うれへ無きを楽しみとす』(方丈記)
よく知られるように、幸せはあくせくすることなくただ静かにしている時にやってくるものだとして
鴨長明は当世の弁を述べている
山中に響いてくる宮人の病苦や再三さいなまれる火災の話に対して彼は
悪あがきしない理想の人生をあみ出していたのである
ご清聴ありがとうございました