東京六本木ロータリークラブ




卓話

2022年9月

卓話『日本のロータリー100年、そして未来へ』2022年9月5日

RI第2750地区 山の手東G ガバナー補佐 渡辺 美智子様

RI第2750地区 山の手東G ガバナー補佐 渡辺 美智子様

皆さん、こんにちは!

ご紹介を頂きました、本年度・山の手東グループガバナー補佐を務めております、渡辺美智子でございます。本日は、例会に先立ちまして、クラブ協議会を開催頂きました。本年度のクラブ運営につきまし、活発にご発言を頂きました。しっかりガバナーにご報告をさせて頂きます。ご出席を頂きました、会長幹事さんをはじめとする、クラブ役員の皆様に厚く御礼を申し上げます。

ロータリー歴を、画面に記載させていただきました。

2004年、東京六本木ロータリークラブへ、チャーターメンバーとして入会致しました。クラブでは、クラブ幹事を務めた後、17‐18猿渡年度で、クラブ会長を務めました。地区へは、12‐13年度、佐久間年度で初めて出向し、水野年度、大槻年度で、地区研修委員を経験し、淺田ガバナー年度でも、お手伝いをさせて頂きました。昨年度は、ロータリーファミリー支援委員会で、初めて、青少年の様々なプログラムに係り、ロータリーファミリーの優秀さに大変、感動、致しました。

職業ですが、レストランを7店舗運営しておりますが、代表店舗が、こちらになります。どちらの店舗も皆様には、大変お世話になっております。ありがとうございます。上段2店舗、表参道と箱根仙石原が自社物件で、下段の2店舗が、歴史的建造物として行政が持っております建物をPFIにて、借受けて、建物を維持管理しながら、事業展開をしております。

ロータリーの話に戻ります。私達の地区は、日本のロータリー中で、リーディング地区といわれております、その中でも特に山の手東グループは、多様性に富んだ素晴らしいクラブの集まりです、2750地区の中心的なグループでは、ないでしょうか。歴代、素晴らしい指導力を備えたガバナー補佐の方々にご活躍頂きましたが、本年の私のスタンスと致しましては、11クラブ会長さんたちの応援団、相談相手、として、後方よりバックアップが出来れば、そんな気持ちで努めて参りたいと思っております。改めまして、宜しくお願い致します。

本日は、2020年に、100周年記念事業として制作したしました、「日本のロータリー100年の歩み そして未来へ」を改めて、見て頂こうと思い、持ってまいりました。私も、制作班の一人として加わりまして、日本全国に渡る「写真集め」を担当致しました、思い入れのあるビデオとなりましたが、その後、あまり日の目を見ず、制作者の一人として、是非、皆様に見て頂きたいと思い、用意いたしました。どうぞご覧ください。

ビデオ、いかがでしたでしょうか?

たった4人から始まったこの活動が、これほどまでに、世界中に浸透し、このような大きな組織になることを、ポールハリスは想像できていのでしょうか?ハリスは、1915年の「ロータリー誌2」でこう述べています。1905年ロータリーを創設して10年後のコメントです。

「今から、100年後のロータリーはどうなっているのでしょうか?生きている人には想像もつきません。現在のロータリアンにとって不可能はないのです私は、ロータリーは生き続けると信じています。生きているなら発展するでしょう」そして、日本のロータリー100年、そして、次の100年に向けて歩み始めました。同じように私達も、100年後は想像できませんが、ハリスが言うように、不可能はないのです

今を生きている私たちの、着実な一歩が、100年後につながると確信を致します

ロータリーは、次なる100年間を目指して、新たなビジョンを策定致しました。長期展望の立った、方向性を示す、新たなビジョンです。

「私たちは、世界で、地域社会で、そして自分自身の中で、持続可能な良い変化を生むために、人々が手を取り合って。行動する世を目指しています。」またビジョンを達成するために2019年から5年間の活動を方向付ける、4つの戦略的優先事項が、示されました。

1.より大きなインパクトをもたらす
2.参加者の基盤を広げる
3.参加者の積極的な関りを促す
4.適応力を高める

ロータリーの創設者たちが推進してきた、ロータリーの中核的価値、ロータリーの目的、四つのテストは、ロータリアンの根幹をなす原則です。変えてはならない、そういった価値観に、新しいビジョンや行動計画が加わりました。私たちは、過去を振り返り、尊重しながら、未来に進んでいかなければならないと思います。

ジェニファー・ジョーンズ2022-23年度RI会長は、カナダ・オンタリオ州、ウィンザー・ローズランド・ロータリークラブ所属、1996年の入会です。ラジオ・テレビ番組や、企業の動画などを制作する会社を経営しております。夫のニック氏も、ロータリアン、第6400地区のガバナーノミニ—です。ジェニファー・ジョーンズRI会長が、示した本年度のテーマは、「イマジン・ロータリー」です。

ジョン・レノンの1970年の作品、「Imagine」の一節を書かせていただきました。ジョーンズRI会長は、こう呼びかけています

私達は、皆夢があります。そして、その夢のために、行動するかどうか決めるのも、私達ですロータリーが、ポリの根絶や、平和の実現と言った大きな夢を頂くなら、それを実現させる責任は、私たちにあります。ポリオのない世界を想像してください。みんなが安全な水を使える世界を想像してください。疾病のない世界、そしてすべての子どもが読むことのできる世界を想像してください。やさしさ、希望、愛、平和を想像してください。

だからこそ「イマジン・ロータリー」が、テーマとなります。

11月17日(金)私たちの合同例会にお迎えいたします。どんなお話が聞けるか、楽しみにいたしましょう。

2020年9月ロータリーは、DEIタスクフォースを設置致しました。

ロータリーで私たちは、持続可能な良い変化を生むために、人々が手を取り合って、「行動する世界」というビジョンの実現には、「多様性があり、公平で、インクルーシブ(包括的)」な文化を担うことが不可欠であると言っております。この、「多様性、公平さ、インクルージョンの原則」が、ロータリーのあらゆる活動に根付くよう期待をされております。これは、新しい取り組みの様に聞こえるかもしれませんが、新しい考え方ではありません。第24回1933年のボストン国際大会で、ポールハリスは、こう述べています。「ロータリーの会員は、人生のあらゆる段階(職業や地位)にある人、すべての国、すべての宗教の人たちに開かれています。ここにこそ、ロータリーの特性と栄光があるのです。と述べております

そして、本年度、2750地区は、富澤為一ガバナーが、就任されました。

丁度、今年で70歳、「古希」をお迎えになりますロータリーへのかかわりは、19歳の時に入会されたローターアクトの活動から始まります。そして1993年、41歳で、東京品川ロータリークラブへ入会されました。「ロータリーを広げよう」本年度の地区のスローガンです。

三大研修の冊子に、ガバナーはこう書いておられます。

日本のロータリークラブは、100年の歴史を刻んできました。先人たちの素晴らしい発想と友情と繋がりで、次々と社会に良い変化をもたらし、世界に貢献してまいりました。しかし、残念ながら、ここ数年、会員の減少に歯止めがかかりません。クラブが5年後、10年後でも、生き生きと元気で活動し続けるには、新しい仲間を増やすことが不可欠です。それぞれのクラブが、将来どんなクラブになりたいのか、そのための「戦略計画」が重要である。そしてそれに基づいて、クラブ全員で実行することが大切だと、言っておられますガバナー公式訪問で、直接、お話を伺えればと思います。

3年に渡るコロナの影響で、ロータリー活動は思うようにいきませんでした、しかしこれを停滞ではなくロータリーにとって新しい世界を切り開くチャンスと捉えて活動しようでは、ありませんか。

大戦下の日本のリーダーたちの、それでもロータリーを続けてきた、たくましい歴史があります。七曜倶楽部の時も、多くの会員離れがあったにも関わらず、その「ともしび」は、消されることなく、存続させることで、RI復帰に繋げています。この逆境にひるむことなく、次の100年に向けての絶好の機会と捉えましょう。ロータリークラブは地域社会にとって、かけがえのない大切な存在だと思います。

最後に、ポールハリスは、1935年、こう言いました。

「世界は絶えず変化しています、そして私たちは、世界と共に、変化する心構えがなければなりません。ロータリーの物語は、何度も、何度も、書き換えられなければならないでしょう」

ご清聴、ありがとうございました

卓話『人文情報学時代の多言語化』2022年9月12日

独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所 アソシエイトフェロー 呉 修喆様

独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所 アソシエイトフェロー 呉 修喆様

わたしが前回ここに来たのは2018年の6月、夜間例会の時でした。その時は前年度に共同執筆した本を出版したことと、帝京科学大学の非常勤講師に就任したことをご報告したと思います。現在は奈良文化財研究所に採用され、任期付きの研究職ですが、久しぶりに思い切り研究をしています。

少し遡って2020年8月のことでした。当時奈良文化財研究所に就職することが決まって両親に知らせたところ、「文化財研究所というのは、すなわち中国でいう文物研究所なのか」という質問を父から受けました。なぜなら、日本と中国の各メディアでは、しばしば日本語の文化財を中国語の文物(wénwù)の対訳語として使っているからです。ちょうどその頃わたしは文化財保護法について勉強しており、「日本の文化財は中国の文物と範囲が違うから、そうとは言えない」と答えました。

では、具体的にどう違うのでしょうか。まず語源を見てみますと、日本で文化財という言葉を最初に使ったのは、おそらく左右田喜一郎という経済哲学者です。1919年に「文化主義の論理」という記事の中で、文化財をドイツ語のkulturgüterの訳語として、「文化生活全般の裏における一方的努力の所産」と定義付けました。ただし、この文化財という言葉が一般用語として定着したのは、第二次世界大戦のあと、英語のcultural propertyの訳語として、特に昭和25年に文化財保護法が成立したあとのことです。注意しなければならないのは、英語のcultural propertyの概念には未だに普遍的な定義が存在しません。関連する国際公約やユネスコが採択した勧告などを比較すると、cultural propertyに関しては各国の裁量に任せる部分が大きいことが分かります。そして、同じ漢字を使っていても、日本語の文物と現代中国語の文物(wénwù)は意味が異なります。中国語での文物(wénwù)はモノに限定するのが特徴です。中国ではそれを一般的にcultural relicsと訳します。そして骨董品を指す場合もありまして、そういう場合はantiqueと同じ意味になります。

なぜ文物(wénwù)がモノに偏ってしまっているのでしょう。そこには中国の考古学が発展してきた経緯、歴史的な要因が関わっています。中華人民共和国が成立したあとに発展してきた学術分野は、ほとんどがソ連をモデルにしていました。ソ連を真似して「物質文化史」という言葉を使い、その影響によって、中国の考古学分野においては物質以外の面の研究は少ないとも言われています。そしてもう一つの理由として、日本語の文化財という言葉に対するちょっとした抵抗感が挙げられます。実は近代日本の翻訳語、特に政治や哲学、学問や思想の基本用語は中国に輸入されていましたが、文物(wénwù)という用語が既に浸透しているという理由以外にも、戦争による負の記憶や感情が関わっていると思います。

こうして中国の文物保護法(Wénwù Bǎohùfǎ)は日本より30年ほど遅れて1982年に制定されました。その対象範囲はおよそ日本の有形文化財、民俗文化財の中の実物、記念物の一部、そして伝統的建造物群に該当しますが、そのあと2011年になってようやく、それを補った形で非物質文化遺産法が制定され、物質専門の文物保護法と物質以外専門の非物質文化遺産法、この二つの法律を合わせてようやく日本の文化財保護法に近い対象範囲をカバーできるようになりました。

調べた結果をまとめると、文化財と文物(wénwù)は語源や意味から見ても法律の対象範囲から見ても、完全に一対一で対訳となれるような概念ではありません。法律用語の文化財と文物(wénwù)は固有名詞ですので、訳せずに元の漢字を使うべきだと思います。中国科学技術情報研究所が公開しているチャイニーズ・シソーラスで日本語の「文化財」を検索すると、推奨する英語訳は日本語のローマ字表記のbunkazaiとなっており、つまり英語の中の日本語由来の固有名詞と同じ扱い方となっています。わたしが出した結論は、文化財は文化財、文物(wénwù)は文物(wénwù)、それぞれの表記を維持するということですが、見た目的にまるでなにも訳していないように見えますが、慎重に訳し方を決めています。

ところが、訳し方というのは時代と共に更新されていくものでもあります。ユネスコが2003年に無形文化遺産保護条約を採択したことをきっかけに、世界中にcultural property(文化財産)という用語からcultural heritage(文化遺産)への用語チェンジが起きています。文化財産は国レベルのもので、固定的・実物・所有権などのイメージが伴いますが、それに比べて文化遺産を語る時の主体は、世界・人類であるので、公共的なイメージがあります。人類全員で保護して存続させて、伝承させるという意味合いが強いです。文化遺産という新しい用語が国際的に広く使われるにつれて、今まで各国で使用されていた訳語や造語は徐々に統合されていく動きがみられます。ですから、日本語も中国語も、いずれは文化遺産という言葉に統合されていくのではないかと思います。

多言語化という仕事は、このように、法律の対象範囲を比較したり、漢字圏言語の間に生じた微妙なズレを、第三言語の英語を経由して「調律」してみたり、世界的な動きに応じた新しい適切な訳語を提案することがメインとなります。多言語化と聞くと、多くの人は異言語間翻訳を連想しますが、実際のところは言語の種類に関わらず専門的な知識を非専門家にうまく伝えるための、サイエンス・コミュニケーションの役割も担っております。

文化財情報研究室の多言語化チームでは、展示関連の翻訳やYouTubeの字幕といった普通の翻訳をはじめ、リーフレットのプロデュースなども行っています。展示関連の翻訳は普通の翻訳とも言えますが、専門的な用語に関しては調査と議論を重ねて慎重に決めています。木簡に関するリーフレットは英語・中国語・韓国語版でデザインも内容もそれぞれ違う、楽しめるものを作成しました。また、奈文研の収蔵品データベースは元になる日本語版は存在しないので、資料を集めるところから作り上げました。そして毎年自ら手掛けた事業を事例に、様々なノウハウや調査結果をまとめた、『文化財多言語化研究報告』という報告書を刊行しています。中には書下ろしの研究論文、多言語化事業の報告、さらに、これから多言語化の参考になるような関連用語のリストなども掲載しています。境界を越えた情報発信を実現するために、これらの報告書は全てインターネットで公開しており、誰でもアクセスが可能です。

人文情報学時代の展望について

人文情報学とは、簡単に言えば、デジタルツールや情報学の技法と技術を人文学に応用する学問です。今まで研究者たちが手作業で行っていた膨大なデータ整理の作業を、これからの時代はデジタルの力を借りて省力化していくとともに、新しい知見の発見を目指すものです。この学問の重要性を国レベルで唱えたのは、日本学術会議が2017年に出した提言です。提言の中には、日本の人文学における現状と課題が書かれています。ひとつは、言語と情報が乗り越えるべき2つの大きな壁であること、もう一つはデータベースへのアクセスの可否が研究の質に直結していること、となります。これは5年前の提言ですが、今はまだ少しずつ世界の流れについていくような段階です。このような現状を踏まえて、人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ)の時代の多言語化はどうすべきかについて、わたしなりに展望してみました。まず一つはオープンサイエンス、要するに研究成果を門外不出のものとして貯蔵していくのではなく、タイムリーに発信して、より開けた科学研究に発展していくことです。そしてプログラミング、これは情報化時代において外国語と同じくらいに不可欠な技能となっているでしょう。プログラミング言語も多種多様ありますので、これからの多言語化は機械言語も視野に入れたほうがいいのではないかと思います。そして何より大事なのは、やはり教育です。今はグーグル翻訳やDeepLというディープランニング技術を使った機械翻訳は、既にかなり精度が高くなっています。もう人間による翻訳が要らないのではないかと考える人も少なくないと思いますが、しかし忘れてはいけないのは、そういった技術を発展させるには、やはり人間の研究が基盤となっているということです。自然災害が頻発する時代に、通信障害や停電もしばしば起きています。そういった場合、外付けのデジタルツールを使えない時に、人間が体一つでどこまでできるのかということが問われます。ソフトウェアのバージョンアップだけではなく、人間自身もバージョンアップしていかないといけない、とわたしは考えています。そして、今は世界中に保守的な思想が強まっていて、グローバル化されていたはずの世界は再び分断に陥る危機が迫ってきています。だからこそ、共生=共に生きるということの尊さを再認識しなければなりません。これからも人間同士を繋げるためのネットワークを構築していかなければなりません。本日の卓話で少しでも貢献できたら幸いです。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『アフガニスタン:タリバン制圧から一年と今後』2022年9月26日

同志社大学客員教授 元国連事務総長特別代表 山本 忠通様

同志社大学客員教授 元国連事務総長特別代表 山本 忠通様

アフガニスタンは今、国内的にも国際的にも非常に大きな困難を抱えています。タリバンがこれまで反政府武装勢力として効果的な活躍をして制圧したわけですが、責任政府として行うべきことができていないこと、また国際社会も20年に及ぶ支援が結局うまくいかなかったという傷から立ち直っていません。そして一番大きく関与したアメリカも国連も、本来なされるべき反省は、まだで。これから行われることになります。

アフガニスタンは内陸国で、人口3900万人、国土は日本の1.7倍という大きな国です。現在のアフガニスタン紛争は1979年のソ連の侵攻に始まります。89年にソ連が撤退した後も、内部のムジャヒディンの勢力の中、内戦で多くの人が亡くなっています。内戦の混乱の中で、非常に厳格なイスラムの考え方に基づいて規律を重んじるタリバンが制圧したのが96年です。タリバンは、当時国際的に原理主義を広めようと考えていたアルカイダを客人として迎えました。

アルカイダが2001年9月11日に同時多発テロ事件を起こします。国連の安保理決議に基づき、アメリカが多国籍軍を率いてアフガニスタンに攻め入り、あっという間にタリバンを駆逐しました。その結果国際会議で合意されたのが、アフガニスタンに民主国家を作るということでしたが、当時の国際社会の本当の目的は、テロの撲滅でした。アメリカ国内でアフガン国家を再建するのかという議論がありましたが、公式の立場にはなりませんでした。他方、タリバンの狙いは、アメリカに率いられた占領者を追い出し、イスラムに基づくアフガン国家を再建するということでした。2009年オバマの時代、米軍がタリバンを殲滅するために軍を一気に派遣しますが、2014年の終わりには軍を引くという決定をします。その段階でアメリカはタリバンを駆逐できないことが分かっていたわけです。しかし戦いは継続して悲惨な状況が続きます。世界で最も多くの人が亡くなる戦いがアフガニスタンで長く続き、和平交渉によりアメリカが兵を引くことを決定したことに乗じて、タリバンが国を制圧するという結果になりました。

アメリカとしては実はそんなに早くアフガン政府が負けるとは思っておらず、無責任に兵を引こうとしていたわけではなく、兵を引きながらその間にアフガン政府とタリバンの間で国の和解を進めたいと思っていました。しかしそれには前提があって、和平交渉の進展と、アフガニスタン軍が十分強力でタリバンとの間に軍事的な膠着状態を維持できる、ということでした。これは実現しませんでした。また選挙を通じて政府を確立しようと試みましたが、民主主義や国民が熟していないところでは、かえって政治的分断を強めてしまい、かえって国を分断させる結果となりました。

国際社会の何がいけなかったのでしょうか。まず、アフガニスタンと国民の利益を第一に考えるということを十分にしませんでした。国際社会の目的はテロの撲滅、つまり自分のための目的であり、アフガニスタンの人のための目的ではありませんでした。タリバンと早い段階で一緒になって国づくりと和解のプロセスに入ればよかったのです。今でこそ国際社会、特に西側諸国は、タリバンはすべての政治勢力をまとめて国全体のすべての人が代表される政府を作るべきだと言っていますが、2002年にタリバンが「自分達には新しい政府、国づくりに参加する用意がある」とアプローチしてきた時に受け入れませんでした。そしてアフガニスタンの政治体制への配慮等が不十分で、国民の信頼を失っていきました。いかに民主主義が根付かなかったかという証拠に、2004年の第一回大統領選挙では84%だった投票率は、2014年には34%、2019年には19%という結果となりました。途上国においてどういう形で国を代表させながら政治を安定させるかということをよく考えなければいけないと思います。

陥落後1年が経った今、アフガニスタンは大変厳しい状況にあります。経済活動が3割から4割縮小、パーキャピタが350ドル以下、インフレは年率43%、失業率が4割と、大変に国民の生活はひっ迫し、国外流出が起きています。これは人材の流失という意味で国にとって大変なマイナスです。国民生活が圧迫されると働くところがないので過激派に流れてしまいます。国民の半分は極めて厳しい食糧不足で、これから冬になるとさらに厳しい事態が待っていると思いますが、国連のアピールに対して40%程の資金しか集まっていないという現状です。

アフガニスタンは非常に厳しい状況にありますが、タリバンと国際社会、相互の不信感をどのように取り除けばよいのでしょうか。それには双方の努力が必要です。タリバンは責任感を持った統治をし、国際社会の同じコミュニティの一員として、人類共通の理想、国連の理想を共有し、協力して共存するという意思を明確に示す必要があります。タリバンがアフガニスタンをどのような国にしたいのかというビジョンを明確にすることで、それに基づく支援やアドバイスが可能となります。国際社会としても、まずアフガニスタン現地の理解を得ることが必要です。8月15日にタリバンがアフガニスタンを制圧した直後にキッシンジャー元国務長官が言った言葉があります。「国際社会の大きな目的は間違っていなかったと思う。でも実現しようとした目的は達成可能ではなかった。達成可能な目的を積み上げていって、大きな目標を作るべきではないか。」その通りだと思います。まずは現地の理解が必要です。その為に、イスラム諸国、近隣国は、理解を示していくことが出来るでしょう。その上で西側ドナー国が将来一緒にやっていけるような土壌を作る必要があります。それを主導していけるのは、不偏な立場にある国連です。イスラム諸国、近隣国の協力を得ることが必要でしょう。また、日本は政治的野心がなく非常に信頼されていますので、政治的決定がなされれば西側のドイツと並んで最も貢献ができる国だと思います。今後日本が国として支援ができるようになることを期待しています。

ご清聴ありがとうございました。



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