「楽しく一緒に気分よく」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2021年5月

卓話『読み聞かせの支援活動について』令和3年5月10日

フリーアナウンサー 内田 恭子様

フリーアナウンサー 内田 恭子様

フリーアナウンサーの内田恭子と申します。わたしはドイツのデュッセルドルフで産まれ、横浜とアメリカのシカゴで高校生まで過ごしました。慶應義塾大学商学部でマーケティングを学び、フジテレビのアナウンス室に入社いたしまして、30歳の時に結婚を機に退職、現在はフリーアナウンサーとして活動をさせていただいております。小学生の2人の息子を絶賛育児中で、毎日慌ただしい日々を送っております。

そして、わたしと一緒に読み聞かせ活動をやってくださっている小山敦子さんをご紹介させていただきます。元々は看護師をやっておりまして、現在はイベント会社で働いております。アメリカ人のご主人がいらっしゃって、女子高生のお母さまでもあります。心強い友人であり、パートナーである彼女がいなければ、今の活動は続けていられなかったのではないかと思っております。

わたしのようなアナウンサーや、色々な自己表現を持っている方たちが個人的に集まってVOiCEというグループで読み聞かせ活動を初めて11年目に突入しました。現在はコロナ禍で思うような活動はできておりませんが、これまでに聖路加病院の小児科病棟での月1回の読み聞かせや、東日本大震災のあと、宮城県女川町の保育所で読み聞かせ活動を行っています。今年震災から10年を迎え、被災地での活動も10年目を迎えました。

10年前の3月11日、皆さんはどんなことをして過ごされていたでしょうか。当時母親になったばかりのわたしは、目を覆いたくなるような映像を目の当たりにし、とにかくなんとかしなくてはという気持ちでいっぱいになりました。けれどもわたし個人の力では何ともすることができず、悶々とした気持ちで過ごしていました。そんな時に読み聞かせのメンバーと話をする機会があり、微々たる力かもしれないけれども、なにかをしようという話になりました。本来ならば大きな組織にお金を寄付して終わりだったかもしれませんが、当時のわたしたちは、自分たちの力でなにかをしなくてはという気持ちに動かされていました。

震災から2ヶ月が経った5月、宮城県の女川にご縁があり、避難所へ炊き出しに向かうことになりました。道という道がなく、がれきが取り敢えず脇に寄せられている状態で、女川町の被害はとても大きかったのだと愕然としました。14mの津波に襲われ、人口の55.9%の方が行方不明、もしくは亡くなり、住宅の7割が全壊したという数字だけを見ても、甚大な被害であったことがお分かりいただけると思います。

わたしたちは、住職と、3人目の赤ちゃんを抱えた奥様の二人で取り持っておられるお寺に伺いました。殺伐とした雰囲気の避難所が多いと思いますが、わたしたちが伺ったところは、笑顔で受け入れてくださいました。読み聞かせをした際にはじっくりと聞き入るように話を聞いてくださり、改めて絵本の持つ力はすごいなと思いました。そして「今日一日、初めて震災の日のことを忘れることができた」といっていただいた言葉が強く心に残っています。

また一緒に子どもたちと遊んだことで、彼らは彼らなりに小さな心で一生懸命津波や震災のプロセスを消化しようとする過程にいるのだと思い知らされ、物資の支援とともに心のケアも必要なのだということを痛感しました。

この炊き出し以来、わたしたちVOiCEと女川町のご縁は未だに続いています。年に数回女川町立保育所で読み聞かせで訪れており、また、ハロウィンパーティーやヨガ、お茶会などもしました。今でも保育所の子どもたちには、毎年ささやかながらクリスマスプレゼントを送っています。その他、これまでに過去3回ほど東京アメリカンクラブにて女川市のためのガラパーティーを開催しました。東京ではあまり被害がありませんでしたし、大変な状況を映像で紹介することしかできませんでしたが、それでも東京にいる方たちが女川に気持ちを向けていたこの時間は、大変有意義で嬉しい時間でした。またパーティーでは、ダウン症の書道家として有名な金澤翔子さんお招きして作品を提供していただいたり、たくさんの企業からラッフル商品を提供していただき、300万円以上の支援金を集めることができました。その支援金は、例えば続く余震や避難訓練の時に乳幼児の非難に利用できるようなお散歩用のバギー、パーテーション等、女川の保育所への寄付として使わせていただきました。保育所の子どもたちが届けてくれるお礼のカードや、嬉しそうな子どもたちの笑顔が、わたしたちの楽しみの一つにもなっています。

さて現在の女川、大変きれいになっています。町は少しずつ整備され、土壌が高く積まれ、堤防ができ、駅のそばには商業施設もできました。女川駅のシンボル的存在として、女川温泉ゆぽっぽという温泉施設も完成しました。震災当時は復興まで10年かかると言われていました。本当の復興とはなんだろうと考えた時に、4割減ってしまった人口や、漁村の後継者不足、親しい人を亡くされた方たちの心のケア、生まれ育った女川から他県に避難したまま戻っていない方々、たくさんの大変な課題が残っていることに気が付きました。

「あの日から10年、みんなが無我夢中で日々を歩んできたように思います。皆さんからたくさんのご支援をいただきながら、10年を目標に頑張ってきたのだなと思います。形としては復興できました。『女川は生まれ変わりました。素敵な町です。どうぞいらしてください。』と明るい笑顔でお伝えしなければいけないのですが、やはり寂しさはあります。昔のわたしが生まれ育った女川を忘れることはできません。夢でもいいから昔の女川を見たい、歩いてみたいというのがわたしの想いです。」

訪問の際にお世話になっていた保育所の前所長は、こんな気持ちをお話してくれました。わたしたちの活動も10年経った今、確かに物理的な支援は必要なくなったとはいえ、女川町の皆さんが笑顔で受け入れてくださる限り、なにかしらの形で女川との絆を大切にしていきたいと考えています。

最後に、震災から1年後に女川一中の男子生徒が書いた詩をご紹介いたします。

あの地震は わたしたちの町だけでなく
わたし自身も変えてくれました
水も電気も食料もない世界で
学んだことがたくさんありました
人間はとても弱いです
一人でなんか絶対に生きていけません
支えて 支えられて生きています
あの地震を体験し 乗り越えようとしているわたしたちには
自然に強い絆ができていると思います
助け合い 協力して命を守りあったわたしたちは
もう なにも負けないと思います
あの地震で わたしは成長することができました
初めて死を覚悟しました
それからは 生まれ変わったように過ごしてきました
あの地震を乗り越えたことで
自信がつきました
命の儚さを知り
一日一日を一生懸命に生きるようになりました
自分が生かされていることを知り
少しでも誰かの力になれるように
努力し続けました
これからも 生かされている命を大切に
一生懸命生きて 生きて 生きまくります

ここ数年度々起こる自然災害やコロナのパンデミックなど、想像もしなかったようなことが実際に起きる中、わたしたちは今生きています。

年齢や性別に関係なく、お互いに支えあうことにより、豊かな気持ちが生まれ、豊かな毎日が生まれてくると思います。わたしたちは引き続き支援活動を通して、そういった温かい気持ちを、未来を担っていく方々へ伝えていきたいなと思っております。

本日はご清聴ありがとうございました。

卓話『一点突破 変化の時代を生き抜く「食」の事業設計』令和3年5月17日

スノーアイティエヌ株式会社 常務取締役 中川 勇志様

スノーアイティエヌ株式会社 常務取締役 中川 勇志様

スノーアイティエヌの中川と申します。わたし自身2015年から2年間、熊本西陵ロータリーに在籍をしていました。震災後、地域創生で震災復興リーダーを任されることになり、休会させていただいたまま2021年を迎えました。

わたしは45歳になりますが、20歳から25年間、北海道から沖縄までの地域資源をベースにしながら食品の開発をさせていただいております。25年間現地へ足を運び、地域の方々と一緒にやり続けてきた中での経験をお話させていただきます。

会社の取り組みとして、gelato piqueなどを展開するマッシュホールディングスさんのフード部門で、地域の野菜を使用した飲む発酵野菜スムージーの開発や、九州の生産者をまとめて世界に向けて発信していこうということで、三菱商事さんや肥後銀行さんと協力をして、農業の生産ブランド、サプライジングファーマーを立ち上げ、香港をベースにアジア圏に流通導線をつくりました。またジェイアール東日本企画さんに講師として迎えていただき、7年間各地域のプロデューサーの育成をさせていただいております。

わたしどもの関連会社であるスノー商事が東京の駒込にございます。50年近く前にキューピー醸造さんや協和発酵さんのご支援の中でできた会社です。食品資材の流通の中で素材流通をしながら、各地域資源を活用した商品を開発していますが、最初は食品添加物からスタートし、東京新高屋さんのべったら漬けの味付けをやらせていただきました。日本らしくかつおだしを使ったキムチや酸味が少ないキムチのレシピ設計により、日本で爆発的に売れました。その結果、白菜の産地では1日に10t車約10台分の白菜が出荷され、商品が売れるだけではなく産地形成もできたのではないかと思います。

現在では一般量販店さんのプライベートブランドが非常に増えてきていますが、お漬物やキムチの他には、トップバリューさんのミートソース、八海山を皮切りにブームになった甘酒、ドレッシング、ビーガンカレー、キムチ鍋の素など、調味素材に近い商品のレシピ設計や事業設計もさせていただいております。またコンビニさんの商品開発や、世界に800近く店舗がある味千ラーメンさんのたれ、乳酸菌発酵を使ったヨーグルトなど、開発商品は多岐にわたります。

原料から生産、販売までを一元化し、どこの誰に販売するかという流通ターゲットを目安にして商品設計をすることで地方創生に繋がると考えております。

加工食品だけではなく野菜本来にも付加価値をつけて販売をしてほしいという各地域の農業生産者さんからの要望で、31歳の時に「特別な日本を食べよう~SURPRISING FARMERS」をスタートさせました。作り手の想いや生産した背景などを表に出していけるようなブランディング、またモニュメント的な面白いものができないかと考え、まず熊本の有名な植木のスイカでハート型のスイカを作りました。失敗もたくさんありましたが、今では世界各国で売れている商品になっています。農業生産は人口が減少していくといわれていた中で、一つの想いや取り組みに賛同してくれる方たちの融資を募って現在までやってきました。モノだけではなくヒトを活用した地域創生が非常に魅力的です。

モノが余り情報過多な今の時代、生産から販売、デザイン、物流経路の選定、販売促進方法、消費者の方がどのようなシーンで購入されるのかまで、全てで意識の共有をしないと、消費者へ想いを繋げる、モノを売ることは非常に難しいのではないかと思います。そんな中でわたしなりに4つのコンセプトを掲げました。

≪セレクト≫海外への輸出はデメリットもあります。越境させるために品質的にしっかりしている酒類、また信頼できる生産者のセレクトが大切です。

≪分析と五感≫味の素さんに協力いただきながら、おいしいと言われる基準の出しこみを行っています。苦みや甘み、酸味、うま味などのマッピングをして、各国でどのセクションがおいしいと言われるかというデータを出しました。

≪デザイン≫若い方たちの流通離れや野菜離れが日本の中で進んでいます。手に取ってもらえるようなデザインを作り直しました。

≪生産者≫生産者のストーリーを一つずつ出し、流通をさせていく時にどういった人が協力をしてくれるのかを可視化できるような図面スキームを作りました。資金的な部分で行政や金融機関に協力いただきながら各地域にハブリーダーを作って情報を集約させ、全体のチームで輸出していこうという流れを作りました。

2010年当初はちっぽけだった売上目標でしたが、アジア圏やアメリカに進出しているドン・キホーテさんと組ませていただいたことで商品出口が安定し、熊本県内のいちごだけで約1億7000万円の売上となり、地域形成に繋げることができました。いちごの他にも年間で約500t近く輸出をしております。

町づくりのお話をさせていただきます。商品を日本で有名にするには、商品を一本に絞り、供給先にアイデアをいただきながら様々な商品展開をすることです。加工食品や一次生産品の流通の経験をもとに、例えば広島では瀬戸内レモンという広島ブランドを立ち上げました。地方創生や活性化、また観光開発やインバウンドサポートが進むと、そこに合わせてさらにモノを作りこみながら、地産外商、地販地消、再雇用の確立、首都圏を主軸としてPRをしながら地域に人を分散化させることができると構想しております。

また地域と市場の繋がりを続ける持続可能な関係づくりも非常に大切です。日本自体がどのような国になれば次世代が幸せになるのか、若い世代や子どもも含めた中で一緒にアイデアを出そうという流れを作り、ビジョンマップを作成しながら地域の志がある人たちを育てていくという事業もさせていただいております。

今コロナ禍の中で、宿泊や観光、体験が難しい状況の中、人に関わる衣食住のうち、食の部分は需要があまり落ちていません。また量販店の小売や製造、運送や通信販売業などの業績は非常によく、しかし安いモノだけが売れているわけでもありません。わたし自身も、どういった時代でも生き抜いていけるようにと自社でできる野菜の生産や流通加工、広告関係の勉強をさせていただいています。また20代から全国各地を歩かせていただき、700名近くのプロデューサーと一緒に仕事をさせていただいた中で、集約させるプラットホームの作りこみをしているところです。農業を始めた時、絶対にビジネスには繋がらないと言われ続けてきましたが、生産者が減っていく中でも生産者を育てることができれば、きちんとしたビジネスに繋がっていきます。モノを作り上げる時、ありとあらゆるデータを収集し、ターゲットを決め、マーケティングデザインから宣伝販売までを含め、どこの誰に何をどう売るかという市場ニーズをしっかり決めて商品づくりをしていくことが大切だと考えております。そして最後は勇気と覚悟と行動です。「人は人、我は我」自分の強み、自社の強み、地域の強みを洗い出したら、あとは目標に向けて日々努力することが大事ではないかと思います。

本日はご清聴ありがとうございました。

卓話『カンボジアの課題と今後の教育方法の提唱』令和3年5月31日

NPO Follow Your HEART 青木 里紗様

NPO Follow Your HEART 青木 里紗様

NPO法人Follow Your HEART 広報部 青木里紗と申します。本日はカンボジアの教育現場の現状についてお話をさせていただければと思います。

カンボジアについて、どういった印象をお持ちでしょうか。わたし自身実際に訪れるまでは、治安が悪く貧しい国といったイメージがありました。しかし実際はとても発展しており、きっと今皆様が想像している以上に経済発展が進んでいる国です。

カンボジアは日本から約4000km離れた場所に位置しており、日本よりも赤道に近く、1年を通して非常に暖かい国です。世界遺産であるアンコールワットをはじめとした歴史的な建造物が非常に多く、世界中から観光で訪れる人が年々増加しています。今までは縫製業や農業が主な産業でしたが、近年では観光業や土地開発なども非常に進んでおり、新型コロナウイルス感染症が発生する前の2019年のGDP成長率は世界第10位と、まさに経済発展が著しい国の1つとなっています。さらに若い年代の労働人口が多く、今後も更に成長が期待される国として注目されています。

そんなカンボジアにも、教育現場の環境が整っていないという大きな問題があります。日本では小中学校は教育が義務付けられており、昨年のデータによると、進学率は高校で98.8%、大学で54.4%と、教育を受けることが当たり前という素晴らしい環境があります。それに対してカンボジアは、高校の進学率は46.7%、大学は14.7%と、日本の学生の半数以上が大学に進学している一方で、カンボジアでは半数以上が高校にすら進学していません。どうして進学を選択しない、もしくは選択できないような子どもたちがこんなにも多いのでしょうか。実はカンボジアの悲しい歴史が関係しています。

1975年から1979年の約3年間、カンボジアはポル・ポトによる独裁政権が行われていました。原始共産制を掲げ、格差のない社会こそ平等であるという思想が非常に極端になってしまった結果、紙幣や宗教、学校や病院といった様々なものが廃止されました。ポル・ポト政権の思想に反論されることを恐れ、知識人とみなされた国民の1/4以上の人たちが虐殺され、多くの教育者が犠牲になったことで、カンボジアの教育が完全に崩壊してしまいました。この悲しい現実が起きたのは、たった50年ほど前の話です。

ポル・ポト政権以降、教育の立て直しが行われましたが、犠牲になった方が非常に多かったため、大幅な教員不足が起こりました。教員資格の有無に関わらず採用した結果、現在教員の方でも中学校や小学校が最終学歴という方も非常に多く、教員の質の低下が大きく問題視されています。また農村部では教員不足により生徒の授業時間が十分に確保できず、学習環境が厳しい地域も多く、都市部との教育格差も問題視されています。これは昔の話ではなく、今この瞬間にも4000km離れたところで起きていることです。

わたしたちは、カンボジアにより良い教育を届けることはできないかと考えました。そこで出した答えが、カンボジアのこれからの教育の質を高めることができるようなオンライン教育の普及です。日本でスマートフォンやパソコンを持つことが当たり前の時代になったように、カンボジアでも2008年からの10年間でインターネットの普及率は250倍になりました。こうした側面から、オンラインという手段であれば教員不足や学習環境が整っていない地域に対しても教育を平等に届けられるのではないかと考えました。

わたしたちは現在、知識で人生をより豊かにしてほしいという願いを込めて「KnowRich」

と命名したオンライン教育システムを開発しています。カンボジアで教員を目指している大学生を講師として採用し、またカンボジアの未来の教育を良くしたいといった想いに共鳴してくださった現地の大学教授が講師の教育指導を行います。

具体的な流れとして、大学生講師が授業の台本を作成し、大学教授が添削して授業の構想を作ります。授業を撮影する段階においても大学教授から随時アドバイスをいただきながら改善し、1つの映像授業を作成します。こうして作成された完成度の高い授業動画はKnowRichのウェブサイト上に随時掲載され、受講生はいつでもどこでも受講できるようになります。時間や場所に縛られないだけでなく、学年や科目にも一切縛られず、予習や復習はもちろん、受験勉強まで一貫してウェブサイト上で完結できる仕組みです。オンラインツールを用いて、個別の質疑応答ができる仕組みを取り入れ、また1科目に対して複数の講師が在籍しているため、自分にあった講師を選択することで理解度を深めながら授業を受けることが可能です。教育実習が盛んではないカンボジアでは、実際に授業を行い、教授から直接指導を受けるということは、大学生講師にとっても非常に貴重な機会になります。インターン生として採用することで、経済的な補助をしっかりと行い、経済的な理由で夢を諦めることがないような環境作りをしていきます。

こういった利点を通して、教育を受ける側も提供する側もしっかりとわたしたちがサポートをしていくことで、カンボジア全体の教育の質の底上げを狙っていきたいと考えています。将来的には必修科目だけではなく、様々な授業を展開していく予定です。

わたし自身、海外の映画や音楽が非常に好きで、暇さえあれば観たり聴いたりしているような、そんな学生時代を過ごしていました。そういった中で英語の知識がついたり、海外に興味が沸いたり、自分の価値観が広がったりという経験をしてきました。教育という枠に捕らわれず、KnowRichを通して様々なものに触れ、価値観を広げるきっかけの一つになれればと考えています。現在新型コロナウイルス感染症の影響で、活動は一進一退という状況が続いていますが、できるだけ早くカンボジアにより良い教育が提供できるよう、日々試行錯誤しています。

本日はカンボジアや教育について身近に感じていただけたでしょうか。わたしはカンボジアに出会い渡航を繰り返していく中で、様々なことを感じるようになりました。もし自分がカンボジアに生まれてきた子どもだったら。教育を受けられずに読み書きができなかったら。こんなに広い世界があることを知らないままだったら。どんな場所に生まれても、どんな境遇であったとしても、自分の夢に向かって走っていけるような、そんな社会であって欲しいと思います。

Follow Your HEARTのビジョン「生まれた場所や環境に限らず、誰もが夢へ挑戦できる社会」を目指し、今後ともメンバー一同、切磋琢磨して活動してまいります。

本日はご清聴ありがとうございました。



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