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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2018年7月

卓話『現代アートから世界を見る』平成30年7月30日

片岡 真実様

森美術館チーフ・キューレーター 片岡 真実様

森美術館が開館して今年で15年になります。

「現代アートとは何ですか」と、よく質問されてきました。定義をすることが難しいですが、簡単に現代美術界の構造を整理してみましたので、まず現代アートの大きな概況をお話しさせていただきたいと思います。

80年代までは、アーティストが作品を作り、商業ギャラリーが販売し、コレクターが買う、美術館で見せる、という非常にシンプルなもので、ビエンナーレやトリエンナーレなどの国際展はごく少数の大変特別な世界のアートイベントでした。

90年代以降、個別に世界各地のギャラリーを回らずとも主要なギャラリーが集まる「アートフェア」が発展し、各地で開催されるようになりました。それと併行して経済新興国の富裕層など新たなコレクターが増えてきて、アート市場の構造がより複雑化しました。また、世界各地からより多くのアートが見られるようになったことで、どこの誰のどの作品かを選ぶ必要性が高まりました。美術館で展覧会を企画制作したり、ビエンナーレで作品を選んだりテーマを決めたりする、キュレーターという仕事に注目が集まるようになったのにも、こうした背景があります。もともとキュレーターとは、美術館に収蔵されている作品を物理的にケアし、貸出や状態管理をする仕事でラテン語の「curare(治療する、世話をする)」という言葉に由来しています。

作品の売買に関してはアート市場が生まれます。一方で美術館の展覧会も作品の直接的な販売を行いません。ビエンナーレやトリエンナーレも直接的には売買をする場所ではないので、基本的にはノンプロフィットの活動として考えられています。最近では「ソーシャリー・エンゲージド・アート」という、コミュニティを活性化し課題を芸術的な視点から解決するような役割を期待するもの注目されています。

では、「世界をアートから見る」とは、どのようなことなのでしょうか。

1989年のベルリンの壁の崩壊は、冷戦構造の時代から、世界の理解が各地の文化や文明に視野を広げる多文化主義の時代へと広がる契機となりました。世界各地のあらゆる言語や宗教、政治や社会を背景とするようアート作品が生産され、それらと出会う機会も各地のビエンナーレやアートフェアを通して拡大しています。それに伴い、そうした背景とともに作品を理解していく必要がでてきました。

大きく変化してきた世界のなかで、改めて「現代アートとは何か」と考えてみると、現代アートは学校で習う教科の一つではなく、あらゆる科目に関係していることなのではないかと思っています。日本の美術教育は造形教育を重視してきましたから、「現代アートを通して世界をみる」という考え方には発展してきませんでした。今日は、現代アートを、場所や時間を超えて世界を多様な視点から考える機会として、いくつかご紹介したいと思います。

世界の社会問題や政治問題に言及した作品も大変多くあります。難民問題をテーマにした作品では、例えば、世界で最も知られているアーティストのひとりアイ・ウェイウェイが、世界40カ所以上の難民キャンプを回り、巨大な救命ボートのインスタレーション、映画などで人々の意識を喚起しています。ヴェトナム出身のティファニー・チュンも、ヴェトナム戦争の記録写真を若いアーティストに描かせながら歴史を学ばせるという活動をしています。メキシコのペドロ・レイエスは、銃規制の課題に対し、銃を溶かしてシャベルを作り、子ども達と一緒に樹を植えるというプロジェクトで、社会問題をポジティブに転換する例を提示しています。さらに日本の柳幸典やインドのN・S・ハルシャなどには、万国旗を使って国家という枠組みの意味や、国境の変化、多言語・多文化の国家などを問い掛ける作品もあります。

世界を地理や物理、科学といった観点から見てみると、例えば地震データを使って大地の動きを視覚的に見せるセミコンダクター、オーストラリアの砂漠を撮影して地球のエネルギーを感じさせるローラン・グラッソの映像作品、宇宙という大きな意味では、ロンドンのテートモダンに人工太陽を造るというオラファー・エリアソンの壮大なプロジェクトもありました。また、音を科学的に捉えれば、空間の共振周波数を利用したオリバー・ビアのパフォーマンス、さらに身体を使ったアートとしては、パフォーマンスやアクションペインティングなどの例を挙げることができます。

料理や食べることも現代アートの文脈で見ることができます。展覧会で料理を振舞ったり、アーティストと一緒にディナーを食べたり、様々な方法で食を通して日常の平凡な出来事に新鮮な眼差しを向けさせるアーティストもいます。

空間や時間など、より哲学的に世界を考えさせるものとしては、毎日の日付を絵画にしたり、自分の生存を葉書で友人に知らせ続けた河原温、また時間という概念に着目し、「変化し続ける」「あらゆるものと関係を結ぶ」「永遠に続く」という3つのコンセプト制作を続ける宮島達男、鉄板と自然石など異なる素材を出会わせることで、そこに生まれる空間やエネルギーを考えさせる李禹煥といったアーティストも世界で高く評価されています。

このように現代アートをいろいろ見ていきますと、社会的にも政治的にも、あるいは物理や科学という非常に多様な視点から考える機会を与えられます。今まさに、異なる政治や社会、もしくは文化的な背景を持った方々のいろいろな考え方がぶつかり合うことによって、戦争や紛争が起こっています。現代アートに何ができるのかと、いつも問い掛けておりますが、これからの時代、現代アートを通して、人種・民族・文化・ジェンダーなどきわめて多様な考え方や価値観に出会い、世界のダイバーシティを理解していくということが、より豊かな人生を生きることに繋がるのではないかと思っています。これからの世代の方達にも、現代アートを通して、こんな世界の見方ができるようになってもらいたいと思っています。

卓話『介助犬とは』平成30年7月23日

橋本 久美子様

社会福祉法人日本介助犬協会 会長 橋本 久美子様

私は日本介助犬協会の会長をしておりまして、本日は介助犬のことについてお話しさせていただきます。

盲導犬というのは、目の不自由な方を案内する犬で、60年の歴史を持っております。それに対して介助犬の歴史はまだ20年程度で、なかなか皆さまに周知徹底できておりません。

介助犬は手足に障害のある方の日常生活の手助けをする犬です。

盲導犬、介助犬、そして耳の不自由な方に電話が鳴っていることなどを教えてくれる聴導犬、その3つの種類の犬を身体障害者補助犬と申します。

身体障害者が自分の補助犬を連れて、例えばホテルでも映画館でもオペラでもそれからレストランでも連れて入っていいです、連れて入ることを拒んではいけませんという法律が2002年の5月に成立いたしました。これが身体障害者補助犬法でございます。

今から16年程前、補助犬を推進する議員連盟が出来まして、その議員連盟の会長を主人が務めており、補助犬のことを是非やってあげなければいけないと主人も燃えまして、努力をいたしました結果2002年に成立した訳でございます。

やはりそれでもまだ補助犬を連れていると、「犬は外に置いてきてください。」と言われ、拒否、拒絶される場合が多いので、まだまだ周知徹底させなければいけないということで、私どもも一生懸命にPRしております。

介助犬は、全て寄付で成り立っております。そして基本的に介助犬を必要とする方に、育成された介助犬をあげてしまうのです。お金をいくらくださいというのではなく、飼育の責任を持ってあげてください、ということだけで差し上げてしまいます。

介助犬になるにはまず、産まれてから一年間パピーウォーカーという一般のボランティアの家庭に預けられます。そして愛情いっぱいに育てていただいた一才の犬をセンターに集めまして、センターでそれが介助犬に向いているかどうか見分けます。子犬はだいたい6、7頭一度に産まれるのですけれども、同じ兄弟でも向いている子と向いていない子がいます。蝶々が飛んでくるとそっちに行ってしまうとか、そういう気の散りやすい子と集中力のある子を見分けて、集中力のある、これは介助犬になれるという子をトレーニングします。

だいたい1年強の期間トレーニングいたしまして介助犬に育った子は、必要とする、欲しいという方と、センターで2週間ぐらい一緒に生活をして、その方の必要に応じたヘルプができるように訓練していきます。それで両方がうまくいきそうだということになると、またトレーナーが必要としている方のお家に出向いて、今度は生活の中でうまくいくように訓練します。なかなかその相性や、生活に溶け込むこととか、そういうことが難しいのです。

今、介助犬は実働しているのが75頭ぐらいです。人間の生涯の方が長いので、一代目が年寄りになって引退すると、また二代目ということになって、結局なかなか広がりも小さいのです。私どもも一年間に10頭ぐらい介助犬を手助けが必要な方に渡せるようになったらいいと思っておりますが、今のところ年間5頭もいかないぐらいです。

なかなか難しいのですが、微々たるものであるとは思いますけれども、障害をもった方たちが少しでも社会復帰出来るお手伝いになればと一生懸命にやっております。

私たち人間は、ともすれば不足を言ったり、不平不満を言ったりしますけど、ものを言わない犬があのように細やかに人に奉仕してくれるということの素晴らしさを皆さま方もご理解いただいて、ご協力いただけることがございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

この様な良い機会を頂けた事に感謝致します。

ありがとうございました。



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