「楽しく一緒に気分よく」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2018年3月

卓話『私にとって、歌とは』平成30年3月26日

鈴木慶江様

オペラ歌手 鈴木 慶江様

オペラの舞台というのは最高芸術と言われています。私たちは2千人、3千人の会場でマイクを使わずに、隅々まで声を響かせるという訓練をしています。人間自身が楽器になり、スピーカーになり声を響かせる、機械ではなく生きているものなのです。

オペラ歌手はコンサート等で、ご紹介いただくと特別なものを持っているように見られがちですが、全くそんなことはありません。どちらかというとオペラ歌手はアスリートだと思っております。アスリートの中でも、一番マラソン選手に近いかなと思います。先週も椿姫の舞台がありました。休憩を含めて、約三時間半の舞台です。ヴィオレッタという役なのですけれども、ほとんど舞台に出ずっぱりですので、休む暇がありません。マラソンと同じように三時間半を走りきる為に、どういう風に調整していくか考えます。優雅なドレスを着たり、巻き髪をしたり、舞台でも華やかにしているので、すごくお嬢様に見られがちなのですけれども、ほとんど中身は体育会系です。

私自身のことになるのですけれども、プロフィール上は、華やかな経歴といいましょうか、とても良い事ばかりが書いてあります。親や親戚に音楽関係の人がいるのでしょう、と当然のように言われますが、私はそういう環境では全くなく、父はサラリーマン、母は主婦でした。昔から運動が好きで、高校で剣道部に入って、普通に勉強していたのですけれども、ある時に音楽の先生に「鈴木さん声が良いから、声楽をやってみないか。」と言われたのが、歌を始めたきっかけでした。その時にも「声楽って何ですか。」と聞いてしまったくらい、全く何にも知らないところから始めました。オペラというものに触れていなかったので、音楽の先生にレコードを借りてマリア・カラス、ミレッラ・フレーニなど歴代のプリマドンナの方々の歌声を聴きました。こんなに美しい音楽を奏でられるようになる為の勉強だったら、してみたいと思い歌の道を志しました。

私にとって歌とは、というもののひとつに、『出会い』があります。先生の一言が無ければ、歌の道に行くことはありませんでした。大学院に受かって、イタリアにも行くようになった頃に、日本で職業を聞かれて「オペラ歌手です。」と言うと、住む世界が違う人ですね、と言われて距離を取られてしまうことが多かったです。それは凄く残念だなと思いました。私のように、ちょっとしたきっかけがあれば何か素敵なことが見つかるかもしれない、そんな世界ですから。イタリアに行って、同じように自己紹介すると、イタリア人はオペラについて全然知らない、と言うのです。実はほとんどのイタリア人、特に若い方は舞台離れが進んでいますので、ほとんどオペラに行った事がないのです。ですが「オペラというのは神様から与えられた素晴らしい芸術だよね、教えて。」という風に会話が続いて、逆にそこで距離が縮まるのです。それには凄くびっくりして、楽しみ方を知っている人たちだな、と感じました。そこからコミュニケーションが始まり、新たな出会いになりました。

私にとって歌とは、もうひとつは『使命』でしょうか。好きで始めた事でしたが、いろいろな場所に出ていくうちに、今度はお客様の喜んでくださる、反応というものに段々と気付いていったのです。

ある時、拍手の大きさを機械で測って順位を決めるというコンサートがあり、私はオーチャードホールで歌えるということだけに惹かれエントリーしました。拍手で順位を決めるので、出場者は皆派手な曲を歌うのです。テノールの大アリア「誰も寝てはならぬ」、超絶技巧の「夜の女王のアリア」等、そういう人たちばかりなのですけれども、私は当時そういう離れ技というのを持っていなくて、しっとりとした歌が得意な方でしたから、ドヴォルザーク作曲の「ルサルカ」を歌いました。月の輝く晩に、水面から人魚姫のルサルカが歌い出すという素敵な歌なのですけれども、拍手をワァーと貰うような曲ではありません。でも、派手な曲の中で1曲ぐらい清涼剤があっても良いかなと思って、そのホールで歌える喜びの中で歌いました。しかし終わってみると、私のその歌が一番でした。

その後イタリアにも行くことになって、凄くいろんな事を考えました。私たちはコンクールで力を見せるのが主なので、どういう風に聴かせるかという事を考えるのですけれども、私はその頃から自分の歌のスタイルを考え始めました。派手な歌ではなくて、しっとりとした、包み込まれるような歌がお好きな人もきっと沢山いらっしゃるのだろうな、私にはその方が向いているのかもしれない、と気付いて、その事をテーマとしてイタリアでも勉強しました。そして、その頃から段々とオファーを受ける立場になったので、歌いたい歌ではなく、オファーされた歌を如何に自分のものにして歌っていくか、ということが使命になっていきました。

『使命』となった歌が、今度は3つ目になるのですけれども『ギフト』という形に、私にはなっていきました。歌があることで人に喜んでもらうことが出来ます。勿論お仕事でもあるのですけれども、私は今、歌うということについて、仕事であるということ以上に、いつも使命感を持っています。人はそれぞれ役割を持って生まれてくると思うのです。自分の役割を見付けて果たすことによって、人は支え合ったり、繋がりあったり出来ます。単純なことなのですけれども、すごく難しい事です。自分なりの使命を見付けてそれを背負うということで、出来ていくのかなと思います。自分自身がギフトとなり、それが皆さんと繋がっていくのかなと思っております。

ありがとうございました。

卓話『なぜ今「戦争の危険」が叫ばれるのか。』平成30年3月19日

高島 肇久様

東京俱楽部 理事長 高島 肇久様

私がロンドンに駐在していた時に参考にし、それ以来愛読している雑誌が「エコノミスト」です。今年の1月27日号の表紙にこんな文字が踊っていました。

『THE NEXT WAR - The growing danger of great-power conflict.(次の戦争。大国による紛争の危険が増大化。)』

長文の記事が言わんとしたのは「第2次大戦終結以来世界では大国同士、あるいは大国に連なる同盟国が主役になる戦争は無かったが、近年はどうも様子がおかしい。大国が絡む戦争が現実味を帯びて来ている」という見立てです。エコノミストは極めて冷静かつ客観的に物を見ることで知られていますが、その雑誌が「大戦争の足音が聞こえる」と言わんばかりの表現で、今の国際情勢に警鐘を鳴らしているのですから驚きでした。

今、日本で戦争と言えば北朝鮮対アメリカの話がもっぱらで、もちろんエコノミストはそれにも触れているのですが、話の中心は中国、ロシアのいずれか、若しくはその両国がアメリカと戦火を交える危険が日に日に増しているという見立てです。米中、米露の戦争の可能性に触れているのはエコノミストだけではありません。イギリスの新聞フィナンシャルタイムズが「米中戦争が近づいている」という論評を掲げましたし、アメリカのニュース週刊誌のニューズウィークが去年暮れに「アメリカ、中国、ロシアがサイバーウォーをはじめとする新型の戦争の準備を始めている。」と伝えるともう一つのニュース週刊誌、タイムは今年はじめに「アメリカ、ロシアが核戦力の強化に急に熱心になり、破壊力が小さくて使い易い小型核兵器の開発に力を入れている。核戦争の危険が現実のものになり始めた。」という特集を組んでいます。

どれを読んでも基本的に共通している視点があります。それは「第2次大戦終結後の世界はアメリカが主導する平和と秩序によって安定が保たれていたのだが、最近は中国とロシアがアメリカ主導の基本的な価値観、つまり自由、民主主義、法の支配といった原理原則に納得せず、不満を強めている。中露両国はこれまでそうした思いを口に出さないよう控えていたが、今は違う。中国はこの20年間の急速な経済発展と軍事力の強化を後ろ盾に、これからは中国自身の価値観で世界を動かす立場に立ちたいと思うようになっている。最近の中国の南シナ海、東シナ海における露骨な領土拡張の動きはその具体的な表れだし、ロシアもクリミア併合やシリアへの軍事支援でそうした思いを露骨に示すようになったというのです。

アメリカのトランプ大統領が「アメリカ・ファーストでアメリカをもう一度偉大な国に」というスローガンで大統領選挙に勝ったのは記憶に新しいところですが、中国の習近平国家主席は昨年秋の共産党大会で「中華民族の偉大な復興」をスローガンにして独裁体制を一段と強化し、憲法を改正して自身の任期を事実上無期限に延ばすという強権政治を展開しています。ロシアのプーチン氏も同じで、先月の大統領選挙で掲げたスローガンは「ロシアをもう一度偉大な大国に」という内容。その心は『ロシアをもう一度冷戦時代と同じ超大国にしよう』というものです。プーチン氏は今回の大統領選挙に勝った結果、この先少なくとも2024年までロシア大統領の座に留まることになり、国際政治の波乱要因としての存在感を益々強めることは確実です。中でも注目されるのはプーチン大統領の核戦力強化への思いです。プーチン氏は今回の大統領選挙の直前に延々2時間以上に及ぶ大演説をしたのですが、そのメインテーマは核戦力。ロシアが開発中の新型核兵器の映像を次々と大スクリーンに映し出して、これらの兵器がいかに高性能で、アメリカのミサイル防衛網に打ち勝てるかをトクトクと述べ立てて、ロシアの力を誇示したのです。

一方のアメリカも負けてはいません。トランプ大統領は今年初め、アメリカの核戦力についての報告書を発表し「アメリカはこれまで核戦力の近代化に遅れをとってきたが、これからは新しい核兵器の開発に全力で取り組む。これによってアメリカの核戦力は一新され、世界中で勝利を収められるようになるのだ」と宣言したのです。前任のオバマ大統領の時代まで続いていた核兵器削減の時代は終わり、核をもっと強力なもの、あるいはもっと使いやすいものにしようという時代に大きく舵が切られたように感じられます。

方向転換はプーチン、トランプ両首脳だけではありません。中国の習近平首席も人後に落ちず、核戦力の強化・近代化を強く命じています。こうした米露中が絡んだ核開発競争の再来は世の中を決して安定化するものではなく、文字通り逆行する動きとしか言いようがありません。

中国とロシアのリーダーが国内的には強権政治の度合いを強め、国際的には政治的な思想、経済運営の仕方、社会の在り方などありとあらゆることについてアメリカ主導のやり方に不満を強め、自分たちの原理原則をもっと世界に広めたいと思っている訳ですから、どこかでぶつかってしまう可能性は十分すぎるほどあると言わざるを得ません。

ハーバード大学・ケネディースクールの初代学長を勤めたグレアム・アリソン教授は「過去500年の世界の歴史を振り返ると、新興国が覇権国に挑戦して最後は戦争になってしまったケースが12回あるが、今の中国とアメリカはまさにその典型だ」と述べ、この関係が米中戦争に発展しないようにするにはどうすれば良いかを、今こそ真剣に考えなければならないと説いています。北朝鮮の核問題は史上初めての米朝首脳会談という思いがけない予定が浮上して、一時は目の前にぶら下がった核戦争の危険が当面は回避されたようにも見えますが、会談の結果によっては事態がさらに悪化する可能性は十分あり、予断は許されません。北朝鮮への抑えが期待される中国は、金正恩委員長の非公式訪問受け入れという奇手で外交手腕を見せましたが、アメリカとの間では対中貿易赤字の問題をめぐる対立が続き、米中貿易戦争の可能性をめぐる議論が絶えません。

その中にあって日本の国会はモリカケ疑惑から財務省高官の不祥事に明け暮れて、外交防衛問題など論じる暇もないという状態を続け、マスコミも世界で交わされる「戦争の足音」の論議に関心を寄せる気配はありません。しかし、もし大国の戦争が起きた場合真っ先に大被害を被るのは日本です。日本が惰眠をむさぼることが出来る時間はもう無くなったと思うべきではないでしょうか。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『生きている伝統芸能 歌舞伎のいま』平成29年3月12日

岡崎 哲也様

松竹株式会社 常務取締役 岡崎 哲也様

歌舞伎には400年の歴史がございます。その歴史を少しずつ辿りながら、現在のお話しをしたいと思います。1603年、415年前の京都で出雲阿国という出雲大社の巫女さんの一座が「かぶき」というものを踊った、これが歌舞伎の始まりでございます。阿国は女性でしたが、それから20数年で風紀を乱すということで幕府の命令で女性が禁止になり、歌舞伎に女優がいなくなりました。なんと明治の頭までこの法律がございましたので、江戸時代に女優さんはおりません。さて、元禄1680年代後半に初代市川團十郎が江戸に現れまして始めたのが「荒事」という非常に勇壮な演出です。これに江戸っ子は熱狂いたしました。ほとんど同じ時代に上方では坂田藤十郎が、主に心中劇あるいは逃避行、今でも永遠のテーマでございますラブロマンスで当てました。これが「荒事」に対して「和事」です。

18世紀の真ん中になりますと、藤十郎とも提携した劇作家、近松門左衛門は美声の太夫、竹本義太夫にいまの文楽の元になった人形浄瑠璃を書き下ろしました。それが発展し、18世紀の真ん中になりますと、太夫・三味線・人形が一体となった此の現在文楽と呼ばれる人形劇が大変流行りました。歌舞伎と並んでユネスコの無形文化遺産です。竹本義太夫という非常に声が良く、そして表現能力に優れた歌い手が、三味線の伴奏で語るので義太夫節、いつしか音楽の名前が儀太夫というようになりました。早速この義太夫をそっくり歌舞伎にしてしまいます。人形浄瑠璃が歌舞伎になったピークとも言えるのは、1746年の『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』、翌1747年には『義経千本桜』、そして3年目に『仮名手本忠臣蔵』が出来ました。こんなにヒットした作品はございません。未だに上演され270年ロングランしているのです。このあたりから今でも海外のお客様が泣いてくださったり、感動してくださったりする非常にドラマ性のあるお芝居が出来てまいりました。

女形が活躍するのが歌舞伎舞踊です。『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』という演目では、一時間衣裳を替え踊り続け、最後は蛇になってしまいます。これの長唄という三味線音楽が、非常に洗練された舞踊伴奏となっています。江戸では長唄、大阪では義太夫、これが当時の2大音楽の潮流でございました。ドラマが出来て、女形が出来て、常磐津など音楽が発展するという、これが大体1603年から180年ぐらいの歌舞伎の進化でございます。

そして七代目の團十郎が現れます。たいへんエネルギッシュな方で、能の『安宅(あたか)』という演目を元にした歌舞伎を創ります。源頼朝に追われて北陸から東北へ逃げていく武蔵坊弁慶と源義経、それを迎え撃つ安宅の関の関守、富樫左衛門という男三人のドラマが展開します。正体を分かっていながら弁慶が義経を思う忠誠心にほだされた富樫が関所を通してしまいます。この演目が『勧進帳』です。これが出来たのが1840年で、今日でも一番の人気演目でございます。

さていよいよ幕末に登場するのが河竹黙阿弥です。生涯に360数編の脚本を書いた大作家で、終わりゆく江戸時代の良き歌舞伎を集大成した方です。中でも一番の人気作品は「白浪五人男」。白波というのは泥棒のことで、泥棒五人組というタイトルですけれども、その中に弁天小僧菊之助という人がいます。この弁天小僧のセリフで、例えば「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜。」というものがございます。七五調と申しまして和歌、俳句以来日本人が非常に好んだリズムで、これを歌舞伎のセリフにしたのは河竹黙阿弥でございます。

明治、大正、昭和にどんな流れがあったのかと申しますと、外部の作家による脚本をやってみようということになりました。これは欧米の文芸思潮やリアリズムというものが明治の近代化と共に入って来た結果でございまして、その第1号は1904年『桐一葉』という淀君の最期と豊臣家の滅亡を描いた大河ドラマのような芝居でありました。1951年には大ヒットいたしました『源氏物語』が初めて歌舞伎で上演されました。そしてそれから30数年経ちまして出来ましたのが、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』です。

2015年歌舞伎はとうとうラスベガスに参りました。ベラージオというホテルの前に、幅300メートルの大きな噴水がございます。ここを借りまして、噴水を霧の状態にしてウォータースクリーンを作り、CGで背景を動かし、その真ん中のステージの上で『鯉つかみ』という演目をいたしました。5日間で10万人を動員いたしまして、大変話題になりました。

そして2015年には人気アニメーション、ワンピースを歌舞伎化しました。2016年の『廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)』はタモリさんが番組で聞いた花魁の話を笑福亭鶴瓶さんが落語にし、それを歌舞伎化した演目でございます。そして野田秀樹さんの4作目の歌舞伎作品『桜の森の満開の下』など、大体1年に2作から3作の新作歌舞伎を上演しております。

いつも思いますが後から生まれる方は大変です。出雲阿国から100年ぐらいの間の方は勉強するのは100年分で良かったのですが、今生きている方は400年分のことを勉強しながら更に新しいものを創っていかなければなりません。今歌舞伎俳優はおかげさまで350名おります。音楽家も大体常時400名くらいの方が従事しておられます。衣裳、大道具、鬘、床山、小道具など全部で1000人の所帯でございますが、松竹はそれを123年お預かりしています。

歌舞伎は決して博物館に行ってご覧いただくというものではございません。古典はきちっとやりながら毎年新しいものを創るという、そういう物でございます。どうぞ皆さまも是非歌舞伎をご愛顧いただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。



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