「楽しく一緒に気分よく」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2016年8月

卓話 『青少年の育成について』平成28年8月29日

熊野 隆喜様

山の手東グループガバナー補佐
熊野 隆喜様(東京城西RC)

私は1996年、東京城西ロータリークラブに入会し20年になります。ロータリアンの6年目、当時の会長さんに奉仕活動はお金を出すだけでなく自分で汗もかいて何かやろうよと言われたのがきっかけで、青少年奉仕に関わることになりました。そのとき始めたのがジュニア支援、小中学生の課外活動、課外授業で、今日はそのうちの2例をご紹介します。

第1は杉並区立井草中学校です。この学校は十数年前は大変に荒れていたそうで、当時の校長はその改善には地域の人たちの力を結集する必要があると考え、学校支援委員会をつくり、年に1200人もの外部の人が学校に出入りして生徒たちに接したと聞いております。私たち城西ロータリークラブもその一員として協力したわけです。私たちが行った活動は、例えば杉並区が全中学校の2年生に課している5日間の職場体験に行くとき、先生にしてみるとマナーが悪いのではないかとか心配事が多いわけですが、それで我々が、生徒が職場体験に行ってきちんと自己紹介と挨拶ができるように社会での心構えとかマナーについて話をしました。また卒業前の3年生とは、義務教育が終ったあとどういう心構えで生活していくかについてロータリークラブから十数名の会員が出向き、生徒とグループで話合いをしました。このようにして地域の人たちも学校に関わりを持ち始めました。今、私たちが学校に行っても生徒さんたちはしっかりと挨拶をしてくれます。

二つ目はインターンシップです。これは約10年前に坂本パストガバナーが始められた2750地区特有の青少年奉仕活動ですね。その坂本氏からインターンシップの委員をやれという御下命を受けたのはインターンシップを始めて3年目でした。都立深沢高校から2年生250名全員やりたいというお話があり、私、すぐお伺いして校長先生とお話をしました。それによるとこの高校は都立の中では最も問題があり退学率も高く、この際、外部の力を借りるしかないと考えたということです。確かに校内をみると生徒の服装も乱れているし茶髪も多い。ただ世田谷区の話なもんですから世田谷南ロータリークラブにお願いしたところ、同クラブも真剣に受け止めてくれ、それ以来、同クラブが中心になり、山の手西グループが協力して進められています。慈善事業の取り組み、企業訪問時の教師の巡回、インターンシップ終了後の反省会と発表会の開催、どれをとっても学校全体が真剣に取り組んでいると感じます。2年、3年と経過するに従って生徒さんたちに変化が出始め、地元の商店会の人たちの見る目も変わってきました。今では生徒さんたちの態度も挨拶も最高で、全国の高校や教育委員会などの関係者が年に5~60人見学に来るそうです。

このどちらの例も大人の私たちが本気になれば生徒たちは変わってくれるという事例だと思います。私たちはそれを信じて青少年奉仕に頑張っていきたいと思っています。

ありがとうございました。

卓話 『お寺の未来』平成28年8月8日

松本 紹圭様

一般社団法人 お寺の未来 理事
松本 紹圭様

こんにちは。「お寺の未来」という法人は名前そのものが私たちの活動のテーマです。私は子供のころから宗教、哲学に興味を持ち、大学では哲学科に進んだのですが、東京に出てくる少し前にオウムの地下鉄サリン事件があり、人を幸せにするはずのものが何でこんなことにとショックでした。宗教、お寺はもうちょっと頑張れるという問題意識で、結局、就職を考える段階で仏門に入ることにしました。お寺に住み込みで勉強し、お葬式や法事や境内の掃除、ホームページを作ったり経理をやったりするうち、全国に7万もあるお寺のポテンシャルを発揮する何かをと思い、行きついたのがお寺のマネージメントです。お寺はいろんな宗派の大学もありますけど、そういう学びの場がないんですね。それでこれからのお寺が本当にやっていけるようにするには経営学が必要だと考え、インドにあるインディアンスクール・オブ・ビジネスという学校に入りました。その際、ロータリー財団の国際親善奨学生として留学させていただいたのは本当にありがたかったです。専攻は戦略やマーケティングなど。特にマーケティングは宗教組織にとって重要だと思いました。帰ってきて始めたのが「未来の住職塾」であり一般社団法人「お寺の未来」です。未来の住職塾はいろんな宗派の方が集まる1年間のマネジメントプログラムで、平均年齢40歳前後、住職、副住職、奥さんや総代さんなどが集まり、卒業した方は400人近くになります。そのような中で最近、気づきがありましたので、そのお話をいたします。

三方よしの話はいろいろな機会に聞かれることがあると思います。近江商人の商売の基本で、三方とは売り手、買い手、世間。でも最近、私、近江八幡市の商工会議所の方から、これは本当は四方なんだといわれました。四方目は仏法で、この仏法よしがあって初めて近江商人の成功があった。私なりに考えてみたのはこんなことです。1、2、3で4つ目というよりは数字でいうと0、方向でいうと垂直方向です。売り手、買い手、世間というレベルではなく、宇宙から見るような視点で全体を見る。その意味で仏法よしが位置付けられる。いま社会は非常なスピードで変革が進み、特にテクノロジーの変化は大きいですね。人工知能とかVRとか、人間の存在そのものを変えるようなレベルのテクノロジーが広がって行く。だからこそ大きな視点で先を見通す必要がある。近江商人もそのような視点があったから成功があった。その大きな視点は空間的にも時間的にも広がりがあり、念仏の阿弥陀という言葉も、実は時間、空間を超えるという意味があるのです。そういう観点から見ると、いわゆる葬式仏教も、実は仏法よしの一形態を担っていると思います。先祖供養を大事にされる経営者の方は多いですね。創業者ならこんなときどうするかというとき、自分を超えたところに視点を持つという意味で、ご先祖様に思いを馳せるということが生きているんじゃないかと思います。

ありがとうございました。

卓話 『日本の保守性』平成28年8月1日

三枝 成彰様

作曲家
三枝 成彰氏

こんにちは。今日お話のテーマを急に変えたのは、都知事選が終わって思うところがあったからです。クラシックの音楽はルネッサンス、バロック、古典、ロマン派、近代と、音楽のタイプが数10年おきにものすごい勢いで変わっていきます。しかし我国の能はもう600年変わらず、歌舞伎も400年変わらない。西洋の音楽家は、いかに前の音楽と違うものを書くかという責めを負わされていて、例えばバッハからモーツァルト、モーツァルトからベートーベンというように全く違う音楽が次々出てきます。

洋は絶えず唯物論的に進んでいくものにしか価値を見出さない。ベートーベンとモーツァルト、たった14歳しか違わないのですが、モーツァルトは作品番号を打たず、ベートーベンは残したい作品には全部番号を打っています。作品は永遠で音楽は享楽のためのものではないということが彼の前提になっている。音楽は芸術であるという考え方はものすごく新しい考えで、音楽家の地位が上がったと言えるかもしれません。

じゃあ日本はなぜずっと同じ形をとっていて、600年も前のものが日本の文化の代表になるのか。日本は変えることが嫌いなんです。日本人がなぜ前へ進まないのか最近分かりました。水田です。稲作の水田は毎年水が入れ替わる。新しい水を入れると新しい土が入ってきて新しい微生物が入ってくる。肥料を与えなくても毎年お米ができる。これがアジアなんですね。これでアジアは前に進むことが嫌いになり植民地になってしまった。日本のように例外的にならなかった国もありますが、基本的にアジアがヨーロッパの植民地になったのは、唯物論を取り入れなかったからです。 日本にも革命があったじゃないかというかもしれませんが、大化の改新や明治維新は最も進んでいた人たちが負けて古いことを言っていた人が勝った戦いです。尊王攘夷を言っていた人たちが勝ったんです。ところが大久保利通のような人が外国を1年半回って帰ってくると、これじゃだめだと気が付いて、不思議なことに突然、文明開化に転ずるわけです。大化の改新も仏教を入れるか入れないかの戦いですね。

新しい人間が新しい社会を作った歴史はこの国に一つもない。この国には改革はできない。昨日の選挙を見ても思います。別に鳥越さんが好きなわけじゃないけれど革新の人になってほしかったという思いはあります。この国が停滞する最大の理由は保守性が好きだからです。

今年5月の東京新聞に「水田は連作可能だが欧州の主食である小麦やジャガイモはこうはいかない。だから守旧的で改良主流の文化が我国に根付き、全く新しく次のことを考えなければ明日は生きていけない欧州にあっては革新的な文化が育つ」とあったんです。これから僕はヒントを得ました。ショックでした。なぜ能や歌舞伎が同じようにやられているのか、よくわからなかったんです。原因はここにあった。いいとか悪いとかでなく、これが我々の本質なんだと思って、今日、お話しました。



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