卓話
2015年10月
卓話 『一生勉強一生青春 父相田みつを を語る』2015年10月26日
相田みつを美術館 館長
相田 一人様
皆さまこんにちは。今日は息子の目から見た父、相田みつをについてお話しします。父は1924(大正13)年に栃木県足利市に生まれ、生涯をそこで過ごしています。戦後、本格的に自分の仕事を始めました。父の仕事は一つは書家、もう一つは詩人です。自分で詩を作って自分の筆で書く、音楽の世界に例えるとシンガーソングライターです。その仕事を30歳頃から始め、31歳で展覧会を故郷足利市で開き、書を売る生活を始めました。でも書は全く売れず、食うや食わずの時代が続きます。父は60歳になって初めて作品を1冊の本にまとめて出版しました。「にんげんだもの」という本ですが、それが世の中に広く知られるようになったのは亡くなってからです。
父の字は個性的で、多くの方が若いうちからこういう文字を書いていたんじゃないかと誤解しますが、17歳のときに栃木県で当時ナンバーワンと言われた書家に入門していて、書の基本をしっかりと身につけています。23歳のとき全国コンクールで1位になり、将来有望な新進書家として注目されたのですが、自作自演のスタイルにしてから文字を変えました。
東日本大震災から9日目の3月20日、1本の電話が美術館にありました。宮城県石巻の先生で、ある小学校が津波で被害を受け、先生も生徒も何人か亡くなった中で6年生が22日に卒業式を挙げることになった。しかし卒業証書が流されてしまい、証書も貰わずに卒業させるのに忍びないので、父の色紙を卒業証書の代わりに貰えないかという話でした。震災後の危険な状態の中で父の作品を求める声が寄せられたことに私は感激し、すぐお送りしますと答えたのですが、当時は宅急便も郵便も止まっていて送りようがないんですね。調べたら羽田から山形まで飛行機が飛んでいることが分かり、当館の男性スタッフ二人に頼んでレンタカーで山形から仙台まで行ってもらい、なんとかお渡しすることができました。
父はどんな短い詩であろうと言葉を作るには長い時間を掛けます。言葉が出来てそれを書くときも、納得いくまで何百何千と書くんです。書いてこれは駄目だと思ったものはボンボン投げ捨て、残った中で一番良くできたもの一点以外は全部燃やしてしまうという書き方でした。自分にはこれはよく書けたという書は一点もないというのが父の口癖で、展覧会にはその中で一番よく書けたものを出すのですけど、実際納得している書はなかったと思います。
私は父の仕事場の写真を見るたびに「一生勉強 一生青春」という言葉を思い出します。父は毎日毎日膨大な量を書きました。その失敗の山の中から生まれたのがこの言葉じゃないかと思うんです。父はこう言っていました。人間若いうちは心も体も柔らかいが、歳を取るとどうしても体が硬くなってしまう。自分は心だけは一生青春でありたい。そのためには絶えず勉強。だから「一生青春」と「一生勉強」は二つで一つ、どちらが欠けても駄目だ、というのです。
ご静聴ありがとうございました。
卓話 『福島の復興に向けて』2015年10月19日
東京電力株式会社 代表執行役社長
廣瀬 直己様
福島の原子力事故から4年7カ月が経ちましたが、依然としてご迷惑、ご心配をおかけいたしておりますことを改めてお詫びいたします。
本日は、福島第一原子力発電所での取り組み、福島復興に向けた取り組みについてお話しさせていただきます。
まず、福島第一原子力発電所での取り組みについてです。
福島第一原子力発電所の大きな課題は、汚染水の問題です。震災時に稼働中だった1~3号機の燃料は溶け落ちてしまっているので、冷却のために水をかけ続けています。この水を循環させている分には問題は少ないのですが、原子炉の建屋を貫通している配管やケーブルの継ぎ目などから地下水が汚染された建屋に流入し、汚染された水となってしまうことが課題です。この量は300t/日にも及び、毎日300tずつ汚染水が増え続けてしまうということになっています。対策として、汚染水を化学的に処理して少しでも安全にすること、汚染される前に地下水を汲み上げてしまうこと、プラントの周りを凍土壁で,海への流入を遮水壁でそれぞれブロックしてしまうことなどに取り組んでおります。
廃炉については、国とともに中長期ロードマップを作成し、廃炉計画を立てております。溶け落ちた燃料の取り出しは2020年前後からと計画しておりますが、最終的な廃炉には30~40年かかると見通しております。原子炉の中は放射線量が高くて人が入れませんので、燃料の取り出しは困難な作業となります。まずは燃料の状態や放射線量を調査するためのロボットの開発を行っているところで、状態確認後に適切な燃料取り出し方法を検討していくことになります。
現在,発電所では約7,000人/日の方が作業しています。労働環境改善に取り組んでおり、事故当初は全域で全面マスクを着用しなければなりませんでしたが、構内除染を進めた結果、限られたエリア以外では全面マスク着用が不要になりました。3,000食/日提供できる給食センターや大型休憩所も整備し、労働環境は大幅に改善されてきております。
つづいて、福島復興に向けた取り組みについてお話しいたします。
事故によって生じた損害に対する賠償については、すでに5.3兆円を被災された方々にお届けしております。今後は損害そのものをなくしていく取り組みも進めて参ります。
その取り組みの一環にもなりますが、福島で新たな雇用を創出すべく最新鋭の石炭火力(IGCC)を福島県内2箇所で計画しており、建設中は最大2,000人/日の雇用を創出できると見込んでおります。
一方、避難されている方々のお役に立てることはないかと、社員が数日間被災者の方々の家屋清掃,除草・除雪作業などの復興推進活動,除染活動に従事しています。復興推進活動には延べ20万人日,除染活動には延べ12万人日の参加があり、社員全員が最低一度は経験しております。社員のスピリッツは高く、福島への貢献を自分の責任と認識しております。
今後も発電所の安定化、福島復興に全力で取り組んで参ります。引き続きのご指導をお願いいたします。
ご静聴ありがとうございました。
卓話 『食と農の海外展開』2015年10月5日
農林水産大臣
林 芳正様
私が農林水産大臣になって新しい農政の枠組みを議論し、供給サイドの強化が中心だった戦後日本の農政を、今度はどうやって売っていくかという需要サイドの政策に変えて行くことにしました。
今日は需要政策の中の海外展開、地方創生についてお話します。需要のボリュームが大きいのはやはり世界の食市場で、10年で倍増すると言われており、この伸びを日本に取入れることが必要です。そのための戦略はFBIを考えています。Made from Japan、Made by Japan、Made in Japanの真ん中の字の頭文字で、この「from、by、in」を戦略的にシナジー効果を持たせ、2012年4500億円だった輸出を倍増させる目標を立てました。最初、役所では実現は難しいという雰囲気でしたが、売込む品目と売込む先を絞り込み、可能性のあるところを中心にやることにしました。役所は縦割りなので全体で1兆円というとみんな頑張らないわけですが、水産物で1700を3500億円にすると決めた瞬間に水産庁の目の色が変わって、自分たちでこの数字は達成しないといけないというように、細分化で責任意識がはっきりしました。課題もそれぞれありました。例えば水産物をEUに出すためにはEUハサップという衛生処理基準の加工処理施設でないといけないのですが、当時は全国で32か所しかなく、これを増やすために厚労省に掛け合い、水産庁でも許可を出せるようにして、従来、保健所で許可を取るのに1年半ぐらいかかっていたものを3分の1に短縮しました。イスラム教徒向けのハラール処理も、それがどういうものかを外務省にも入っていただいて研究するというように、それぞれの課題に官民共同で対応しました。
アベノミクスの円安の追い風も受けて食品の輸出は増えています。多分今年は7000億の大台に行くと思います。フランスは約10倍の7兆を輸出しているしイタリアも4兆円です。ブランド化、加工品化をやれば、まだまだ輸出は伸びる余地があります。
次にMade by Japanです。海外での日本食レストランは2006年の2.4万軒が昨年8.9万軒に増えたように、かなり人気です。この背景には和食ブームがあります。和食の特徴は新鮮な食材とその持ち味、栄養バランスに優れ、自然、旬を大切にすること。ミラノの食の万博でも大変な人気で、ヨーロッパの人に日本食の発信が随分できたと思っています。
地方創生との絡みでは、輸出と海外からの旅行客をシナジー効果で増やす好循環を作ろうと考えています。初めて日本に来る方はゴールデンルートの東京、大阪、京都に行くとしても、二度目以降には是非地方に行っておいしいものを食べて観光して欲しい。このため地域単位の体制を構築する取組みを考えています。外国人観光客にアンケートを取ると、一番やりたいのは飲食だそうです。2番が観光、3番が買い物で、これを活かして食と農の景勝地を構築し民泊の規制緩和や免税の拡大を併せることで1300万人のインバウンドの方が落とすお金を地方に取りこむ。それが今のスタンスです。
ありがとうございました。