卓話
2015年8月
卓話 『安倍政権論』2015年8月24日
ジャーナリスト
嶌 信彦 様
今日は私なりの安倍政権論をお話しします。
今、一番週刊誌に書かれているのは体調の問題ですね。血を吐いたとかトイレに行く回数が多くなったとか言われています。安倍さんの側近に聞くと、今年は夏風邪がひどかったけれど週刊誌に書いてあるようなことはなく、元気だということです。体調はそうでも安倍内閣の支持率はちょっと黄色信号がついた感じで、新聞では30%台という数字が出ています。
その要因は安保法制の問題が広まったことにあると思います。安保法制はいろいろ問題があって議論もあっちこっち飛ぶもんですから国民には非常に分かりにくい。衆院を通って60日過ぎても参院で可決できなかったら衆院に差戻せるのですが、自民党としては参院で通してもらう方がいい。差戻すとすると早くて9月10日前後、遅くて18日が今の日程のようです。国会は24日までなので18日だと1週間しかなく、さらに連休が入るので、官邸は18日では困るといって、今そのせめぎ合いをやっているようです。
安保法案にこれだけ国民の反対が広がったのは、今年の春、安倍さんがアメリカで夏までに通すと約束しちゃったからですね。まだ国会で議論もしていない法案をアメリカで約束した。もう一つは参考人の憲法学者が3人とも反対で、自民党が呼んだ先生にも憲法違反だと言われた。そんな法案を通していいのかという世論が広がってきました。同時にこの法案の相手はどこなんだという点。一応中国が仮敵国になっているけれど、中国は本当に日本と戦争するのか、リアリティを感じない状況でアメリカを助けるために日本がホルムズ海峡とかに行っていいのかということです。これはやはり安倍さんの思想が背後にあるんだと思います。安倍さんのお祖父さんは岸信介さんで、その岸さんがやりたかった自主憲法を作るという思想は、今まで自民党の誰も手をつけられなかった。それを自分の手でやりたいと考えているんじゃないか。
総裁選は今のところ安倍さん1人の可能性が強いですね。そしてそのあとの人事。安倍さんは谷垣幹事長も菅官房長官も閣僚も、ほぼ今のままが最も安全だと思っていると思います。なぜかというとこれは実は深刻な問題で、つまり自民党に人材がいなくなっている。誰かを持ってくると何か問題を起こすんじゃないか。それが実は今の自民党の大きな問題です。
安倍さんだけでなく、実は今、世界全体が黄信号です。アメリカはアジアや中東から引き、それに対抗して中国が力をつけている。アメリカが引いた分を日本が穴埋めして欲しいというのが安保法制の根底にあるわけです。中国は今、厳しい経済、国内情勢にありますが、それを補うため相当大きい構想力で世界に仕掛けています。例えば安全保障では核心的利益は絶対に譲らないけれど経済では日本とうまくやっていく。一方でアジアインフラ銀行を作って中国の企業を押し込み、中国の経済もよくしようと考えている。だから日本も同じように大きな構想力を持って対応しないとどんどん小さくなってしまう。それをこれから議論しなければと思っています。
ありがとうございました
会員卓話 『創業者と私』2015年8月10日
齋藤明子会員
こんにちは。齋藤でございます。
今回卓話のお時間を頂きありがとうございます。
今日は「創業者と私」と言う題でお話してみようと思います。
私の仕事はゴルフ場経営です。ゴルフコースは埼玉県に二軒ございます。
一つのコースは、飯能パークカントリークラブと申しまして東京に近い側の飯能にございます。
またもう一つのコースは、関越道東松山インターからほど近いところにございます、武蔵松山カントリークラブです。ゴルフ同好会の皆様には何度かご利用いただいております。ありがとうございます。
飯能パークカントリークラブは、1978年7月にオープンいたしまして今年で37年を迎えました。丘陵コースですが少しトリッキーなコースと言われています。
まだコウライグリーンとベントグリーンを持っているコースです。若い年齢の方にはコウライってなんですかと聞かれる場合もあるようで、コウライは少なくなってきたのだなと感じております。しかしそこを売りにして今でも会員の方には楽しんでいただいております。
山の木々は主に杉の木なので、春の花粉の時期には空が花粉で黄色くなることもございますが、四季折々に、趣のある景観を味わえるコースだと思います。
武蔵松山カントリークラブは、1985年9月にオープンいたしました。
お陰さまで来月9月に30年を迎えます。
こちらも武蔵丘陵のなだらかな地形を生かしたコースです。松山という名の通り赤松を主とした豊かな松林の緑と、四季の花や木と水とのコンビネーションが美しいコースです。また紀文レディースというトーナメントを10年間開催したコースです。
少々PRになってしまいましたでしょうか・・・
コースのことを少し理解していただいたところで、じゃー誰が造ったの?という疑問が生まれたかと思いますので、これより少々私どもの創業者についてお話したいと思います。
このゴルフコースを作りましたのは私の父でございます。
私は「先祖は地主?」とよく聞かれますが、全くそんなことはなく両親とも出身は東京ですし、父の実家は外科の診療所を開いていました。なので父も医学部に進学いたしましたが、一学期で経済学部に転部し祖母と大喧嘩をしたと聞いております。
船会社のサラリーマンとなった父が、脱サラをして何年か勉強や経験を積み、造り上げたコースが飯能パークカントリークラブです。様々な人のご協力を得て出来上がったものだと思います。
私は父が脱サラした頃はまだ小学校低学年でしたので、ある日突然いつも同じ時間に朝出かけていた父が、家にいたり、出掛けたっきり帰ってこなかったりと子供ながらに家の中で何かが起きていると思った記憶しか残っていません。
5~6年たったある日ゴルフ場を造ると父からの告白が有り、1978年にオープンを迎えました。のちのち聞いた話ですが土地買収で200軒以上いる地主さんたちへの対応も自分の足でいったようで強い思いと男の意地を感じました。
そして息つく暇もなく7年後には二軒目のゴルフコースをオープンさせました。
またその底力は子供から見てもどこにこんな力があるのだろうとびっくりしました。母は「もう一軒あるのだから、もう良いでしょう!?」と反対していたことをあとで聞いて、心配していたのだなーと思いました。この父を支えた母は、父がサラリーマン時代は船会社に居たため転勤族で、結婚してから最後の家に落ち着くまで14回も引っ越しをしたそうです。
そして私にはひとまわり違いの姉がおりますが、転勤していた頃は姉も転校続きで大変だったようです。
創業者の父も2002年に他界致しました。母は父が亡くなる前から認知症になっておりましたが、父に振り回された分、余生をゆっくりとした時間を過ごし、一昨年静かに一生を終えました。私は介護を15年いたしましたが、母を最後まで見守れたことを良かったと思っています。今天国でまた夫婦喧嘩をしているかなと思っています。
さて、創業者の遺志を継いだ私とスタッフたちは、ちょうど世代交代の時期を迎えております。父がいた頃からのスタッフが少しずつ定年などで退いていき、新しいスタッフが増えています。古き良き伝統と新しいゴルフの時代との融合する時期なのかもしれません。昔はゴルフ場に対して、自然破壊すると言われておりましたが、最近は自然を守っているゴルフ場と言われるようになり森を作り森を守り続けています。
動物被害は多々ございますが、それも隣の山の開発に伴う木の伐採などで住むところがなくなった動物が移住してくると言う理由です。私たちも共生できるようになるべく距離を図りながら過ごしています。
オリンピックにもゴルフが入り、これからゴルフ人口が増えるであろうと期待する中、これからの新しいゴルフコース造り(改造等)を考えていくことにウキウキしています。問題も多々ありますがそれよりも前に進むことが大事だと思います。そこに女性の感性も少しエッセンスとして入れられればと思っております。
私は父から、「友を作りなさい。友を大事にしなさい。本当の友情を知りなさい。」とよく言われました。友だと名乗るのは簡単ですが、友情を育むのは大変なことだと思います。私は日々自分に問いかけながら過ごしてきたと思いますし、これからも問いかけながら過ごしていくと思います。
今になって、父の影響を多々感じる私ですが、これからも頑張って参りたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。
つたないスピーチで申し訳なかったので、癒される風景の画像をお見せして終わりにしたいと思います。(抜粋)
会員卓話2015年8月10日
マークエステル・スキャルシャフィキ会員
マークエステルさんにご自身の事と作品について卓話して頂きました。
卓話 『戦後70年のケジメ』2015年8月3日
ジャーナリスト
松尾 文夫様
私が最初に申し上げたいのは、戦後70年のけじめに関連して恰好の文書が出ました。74人の国際法、国際政治の専門家が名を連ねていて、要は安倍さんの戦後70年談話では、是非はっきりと日本の過ちとしての侵略を認めて日本人が誇りを持って引用できる談話にして欲しいという文書です。決して政治的ではない人たちが諄々と安倍さんに訴えています。私も署名しています。
私が申し上げたいのは、次の三点です。
第一に、日本はアメリカという国をきちんととらえていないということです。「銃を持つ民主主義—アメリカという国のなりたちー」という本の中で、私はこの点を細述しております。70年前の福井市でのB29の夜間無差別焼夷弾爆撃を生き延びたことからのアメリカとの出会いから始め、アメリカの原点には武力行使が民主主義の名において認められるということを説いています。アメリカで銃砲規制がいまだにできないのは、自衛というだけでなく、根っこはイギリス国王の勝手な課税に対する反発からアメリカ革命が始まっており、国民に銃砲の所持を認めなければ憲法ができなかったのです。
アメリカの憲法は中央政府は悪であるということから始まっていて、従って中央政府が独裁にならないために国民が銃を持つ権利を認めている。これがなかなか日本では分からない。戦前の日本は甲子園の高校野球が今年100年の記念の年を迎える事実が物語るように、映画、ジャズなど随分早くアメリカの文化を取り入れましたけど、肝心のアメリカの憲法・政治の正式の講座が東大で始まるのが甲子園より8年もあとの1923年だったのです。アメリカという国がどういうものであるかを、きちんと捉えることができずにあの戦争に入ってしまった。これを是非、今日申し上げたいと思ってまいりました。
第二に申し上げたいのは、70年経ってあの戦争の責任を日本人自らが裁いていないことです。ドイツでも日本と同じように占領軍による裁判がありましたが、それとは別にいまだにユダヤ人虐殺に関与した者を追及しています。日本ではそれがゼロ。日本はそういう基本的な問題を積み残している。これは我々全体の責任だと思います。
第三に、アメリカと中国の関係について、申しあげておきたい。私はここ10年程、この大きなテーマについて次の著作としてまとめるべく挑戦中です。今最後の章を書いているところです。そのきつかけとなりましたのは、私が1971年4月10日に発売された中央公論に「したたかなアメリカの対中政策」という論文を書き、アメリカと中国は仮想敵としてお互いに非難し合っているけれど、両国は近いのではないかと指摘しました。そして中国のピンポン外交が始まったのが同じ4月10日の週で、キッシンジャーが秘密裏に訪中して世界中を驚かせたのが7月。私が予言した3か月後です。それが私のライフワークになりました。
そのうえで申し上げたいのは、今の米中関係をきちんと捉える必要があるということです。今、米中関係はうまく行っていないというのが日本の世論の大勢ですが、意外に米中は似た者同士です。民族的な多様性、大陸国家、両国とも世界の真ん中だと思っている点で似ている。アメリカはManifest Destiny、中国は中華思想。従って対立はするけれど、最後はお互いの立場を受け入れて損得勘定で判断する。そういう中で私は中国脅威論も新しい目で見る必要があると思います。