卓話
2015年3月
卓話 『玉川上水を世界遺産に!』2015年3月23日
学び舎江戸東京ユネスコクラブ会長
多摩美術大学名誉教授・農学博士
渡部 一二 様
これからお話しする玉川上水の世界遺産登録は、皆さまのご理解とお力添えがあって初めて具体化すると思います。
玉川上水の中で最も重要な羽村頭首工は、ほぼ江戸時代に作られた形のまま今も活躍しています。この水門は今は電動ですけれども、過去には手動で開けられていました。この歴史ある玉川上水の取水口を昨年、日本土木学会は選奨土木遺産に認定しました。これは世界遺産への大きな前進だと思います。武蔵野台地に降った雨は北側の荒川、隅田川水系と南側の多摩川水系に分かれます。羽村頭首工は多摩川に設けられた堰で、そこから玉川上水に入ります。400年近くその形を残しているわけですが、当時の最先端の土木技術を駆使して約2年の工期で完成したこと、手作りで開削したという点で世界に類を見ないものだと思います。
水路の幅は最上流部で15~17m、途中の三鷹近辺で7~8m、四谷大木戸が約4mと徐々に細くなっています。本来川は下流に行くに従って大きくなるのが普通ですけれども、これは人間が作った川ですし、江戸に水を通すだけでなく武蔵野台地の右左に沢山の水路を作って、農村開拓で欠かせない水を分水したという点でも大きな役割を果たしました。
享保時代の1720年頃に描かれた絵図では多摩川と東京湾をつないで木の根のように描いてあります。途中には野火止用水や小平用水、仙川用水、砂川用水があり、六本木界隈にはため池もありました。四谷大木戸からは地中に入っています。高低差をいうと四谷大木戸は標高34m、羽村の取水口近くでは126mです。延長43kmで約92mの高低差というのは本当に緩やかな勾配です。四谷大木戸から地中に入った水は江戸城や江戸の町に行きますが、水門があって調整しています。監視人の番屋があり玉川上水碑という大きな石碑が立っています。水は大半は生活用水に利用されましたが、一部は大名屋敷の庭園の池に貯められ、そのあとまた分水されていきました。
文化的な面の話をしますと、武蔵小金井の桜を描いた広重の絵があります。水と桜と富士が実にうまく描かれていて、玉川上水に立って西側を望むと遠方に夕日の沈む富士を仰ぐ。武蔵小金井はそういう場所なんでしょうね。
江戸の下町では共同で水を使います。水路網が地中を這いまわっていて、途中の井戸に貯めた水を汲み上げ、それぞれが自分の家へ桶で持ち帰ります。まさに映画に出てくるような井戸端で、井戸端会議というのは江戸の下町の文化を継承する拠点だったと言えるでしょうか。江戸庶民の気持ちを表わした川柳を二つ申し上げます。
味わえば 甘露に勝る 玉の水
ありがたき たまさか井戸で アユを汲み
アユは香魚と言われており、井戸に紛れ込んだアユの香りが周辺に漂っているという情景ですね。玉川上水とその井戸にまつわる川柳は沢山ありますし絵も沢山あります。このように玉川上水は庶民に大事にされ、400年の間大切に使われ続けたわけです。
ご清聴ありがとうございました。
卓話 『シニアの旅とアンチエイジング、その魅力とは』2015年3月9日
(株)グローバルユースビューロー代表取締役会長
古木 康太郎 様
私がこの会社を始めた頃は若い人向けにチャーター機を使ってやっておりましたが、24年前からはシニアの方々向けに活動しております。最初の10年間大変苦労しましたが、少しずつご理解をいただいて今日に至っております。
私どものお客様、68歳から75歳の方が一番多いんです。その中で非常に親しくしていただいておりますのが三浦雄一郎さん。80歳でエベレストにお登りになりましたが、この間は90歳でもう一度挑戦したいとおっしゃっていました。やはり元気な方は目標を持っていらっしゃいますね。自分は今年1年何をやるんだということをはっきりさせていらっしゃる。それと明るい方が多い。それで旅が何かの形でアンチエイジングに繋がらないかと、いろいろなことをやっております。
ツアーで拝見していますとご婦人の方って結構元気なんですよ。男性は退職されて1年目はゴルフに誘われるけど、2年目、3年目からだんだん誘いがなくなるということをお聞きします。奥さまは逆に元気になる。それは奥様は若いときからコミュニケーションをとられているからなんですね。皆さん、この時間銀座に行ってみてください。奥様方が集まってお食事されてますよ。奥様はセレブ、ご主人はセルフという笑い話がありますけど、男性はコミュニケーション、会社人間だっただけになかなか難しい。そこでどういうことが私たちの旅行であったかを申し上げますと、とても素敵なお客様とご一緒になる、お話ししてみると学校が同窓だったとかね。もう全部お仕事を終わられてさあということでこられた方々がそこでお友達になるというのが、シニア向けの旅でよくあることです。そういう方々が一堂に会して元気をもらい合う、旅はそういう力がございます。
私たちが気をつけなくちゃいけないのは、旅に行かれる方々が求めていらっしゃるのは、やはり元気でいたいということなんですね。生命保険会社のデータでは、健康が許せば旅に出たいという方が非常に多くいらっしゃいます。私は今の日本はシニアの方々の元気でもっているような気がいたします。私の父親、明治生まれです。明治に生まれた人は、苦労しながら今日の日本のために貢献したと思うんです。93で亡くなるまで非常に元気でした。おふくろは101歳でぴんぴんしております。昔の人はなんでこんなに元気なのかというと、やはり若いときに苦労したということがあるんじゃないでしょうか。そして大変前向きです。アンチエイジングには物事をポジティヴに考えることが重要。この仕事を通じてお客様を拝見していて、そう思います。
私は社員にもよく申すことがございます。短い楽しみを作れと。友人と食事をするとかいうことで1週間に1回。もうちょっと大きい楽しみを1か月に1回。1年に1回は10日ぐらい海外にいくとかね。こういう目標を持ったら元気が出る。少々の苦労はすっ飛んじゃうんですね。
ご清聴、ありがとうございました。
卓話 『AEDの取扱方法について』2015年3月2日
綜合警備保障株式会社 営業推進部 常駐・綜管営業室
常駐・綜管営業室 室長
長尾 昭 様
皆さん、こんにちは。本日はお招きいただきありがとうございます。今日は卓話というより皆さんにAEDを体験していただきたいと思ってまいりました。ご存じのとおりアルソックは警備会社でございます。オリンピック選手を使ったコマーシャルをやっていてご理解いただいていると思いますので、今日はAEDについて少しだけお話をさせていただきます。
AEDは皆さんよく目にされると思うんですが、不特定多数の人が集まる駅だとか空港、ホテル、ショッピングセンター、それに今では新幹線とか飛行機、あるいは客船や漁船にも積んでありますし、富士山の山小屋にも設置されています。以前はAEDは医療従事者の方しか扱えなかったんですけれど、2004年7月から一般の人も使えるようになりました。それからもう10年経ちまして、皆さんAEDは身近に感じておられると思うんですが、実際にお使いになられたことはまずないと思います。価格も以前に比べると相当安くなりまして1台が大体30万円、月々レンタルにすれば5000円程度になっています。今は一般の人が使いやすいように自動的に流れる音声ガイダンスも付いています。
日本全国では年間の突然死が約10万人おられます。その中で心臓病が約7万人といわれています。心室細動といって心臓が止まるんではなく痙攣するんですね。そこにAEDショックを与えることで再び正常に動きだすということです。今、救急車を呼んだとしても平均で7分かかるんです。心臓が5分間止まってしまうと助かる確率が約50%といわれています。救急車が来る7分まで待っていると約20%以下となってしまうんですね。ですから救急車が来る前にそばにいる方に何かやっていただきたい。
2007年夏の高校野球の関西の予選会で、打者が打った球が投手に当たって、すぐAED措置をやって助かったとか、2009年に東京マラソンでタレントの松村さんが倒れて、これもAEDを使って助かったというような事例もあります。またテレビ番組で「なんでも鑑定団」というのがありますね。そこでも2010年からAEDを取り入れています。高齢者や心臓に持病を持った方が鑑定結果にショックを受けて万が一ということがありますので、それで設置されているということです。2011年8月にはサッカーの元日本代表の松田直樹さんが練習中に倒れて心筋梗塞で亡くなられました。病院に運ばれたんですが、グランドにAEDが設置されていなかったんですね。それで2012年以降はJリーグのチームはすべてグランドにAEDを設置するようになっています。このようにAEDがあれば助かる可能性がありますので、今日は、皆さんこの機会に触っていただきたいと思います。
…実技指導…
皆さま、ありがとうございました。もし身近で誰かが倒れたとき、どなたかが駆け付けることで、周りの方も協力してくださると思います。是非積極的に動いていただきたいと思います。
今日はありがとうございました。