東京六本木ロータリークラブ




卓話

2015年2月

卓話 『感動品質を目指して』2015年2月23日

山内純子 様

元ANA取締役執行役員客室本部長
山内純子 様

皆さま、こんにちは。私は長い間ANAで客室サービスに関わってまいりましたが、サービスにゴールはないと実感しております。

航空会社のサービスは、安全性、定時性、快適性、利便性が主にあげられますけれども、安全性と定時性については限りない完璧さが求められます。快適性、利便性については新しい機材が次々に開発され、座席も今やビジネスクラスでフルフラットは当たり前です。ただこれら形のあるものは、いずれ普通となって競争力を持たなくなります。何で差が付くかといえば、お客様の琴線に触れるサービスだと考えます。ANAではこれを感動品質と呼び、それを感じていただくため、おもてなしの心の表わし方を6つのSに整理して行動基準として徹底してまいりました。それをご紹介します。

1つ目はSmileです。初めてお会いする方でも笑顔は不安感や警戒心を解きほぐす力があります。ただ、笑っているつもりでも案外伝わっていないことが多いんですね。眼で笑うことは意外に難しい。客室乗務員はフライト前に必ず笑顔をチェックし合います。

2つ目はSmartです。身だしなみ、身のこなしを良くすること。清潔な制服をきちんと着用している人は信頼感を与えます。親しみやすさと正しい言葉づかいも大切です。最近気になるのは「こちらコーヒーになります」とか「コーヒーはよろしかったでしょうか」という間違った言い方。言葉遣いの基礎が身についていないんですね。新人訓練では日本語教育を強化しております。

3つ目がSpeedy、お客様のリクエストへの速やかな対応です。

4つ目がSincerity。思いやりとか誠意、お客様の期待をはるかに超えた対応です。お客様、いろんな電波を発信していらっしゃいます。それを感性というアンテナで受け止め、すぐに行動する。このアンテナは使えば使うほど感度が良くなります。お客様をいつもそういう意識で見つめていると何を求めていらっしゃるかが不思議と分かるようになります。

5つ目はStudyです。割引運賃やマイレージなど専門外のことも機内でよく質問されます。担当でなくとも答えられるよう準備しておかなければなりません。

6つ目がSpeciality、プロ意識です。機内で例えば安全阻害行為が発生した場合、毅然とした態度で厳しいことをお願いすることもあります。そういった姿はほかのお客様から見た場合、安心感とか信頼感につながります。

以上どれも当たり前のことですが、大事なことは行動に出し言葉で伝えなければお客様には伝わりません。

職場に笑顔がなければ機内に笑顔は生まれない。これは私の持論です。その鍵を握るのは管理職で、メンバーが心おきなくお客様に対応できる環境を整備し支えになる。それでメンバーのアウトプットは全く違ってきます。期待をかけられた人はそれに応えようと努力し、結果的に感動品質につながります。サービス業というのは人の心を動かすことだと、今更ながら痛感しております。

ありがとうございました。

卓話 『ロータリー平和センタープログラムの概要』2015年2月16日

宮崎陽市郎 様

R財団平和フェローシップ委員会
委員長 宮崎陽市郎 様

皆さんこんにちは。今日はロータリー平和フェローシッププログラムのお話をさせていただきます。このプログラムは2002年に始まりました。ロータリーの創始者ポール・ハリスの没後50年を記念して新しいプログラムを作ろうということでRI内部で検討され、ポール・ハリスが二度の世界大戦を経験して戦争の悲惨さに心を痛めたロータリアンだということで、当初、平和学を中心とするロータリーの大学を創ろうとしましたが、最終的には平和研究に優れた大学にロータリーセンターを設置する形になりました。アメリカ、イギリス、日本、オーストラリア、スウェーデンの7大学に6つのセンターが設置されています。このプログラムは当初、平和及び紛争解決の分野における国際問題研究のためのロータリー平和センターという大変長い名前がつきましたが、現在ではロータリー平和センターに変更されています。

応募要件で重要なのは国際理解と平和に対する熱意があることです。学士号の取得者であること、平和関連分野で3年以上の職歴があること、英語を含む2カ国語に堪能であることも求められます。選考はクラブや地区での面接を経て7月1日までに本部に推薦をいただきます。これまでは1地区1名でしたが、今は何名でも推薦できるようになりました。書類の提出後、翌年10月にロータリー平和センターの委員とセンター長が集まって選考し、最終的には各センターがそれぞれの合格者を決定します。日本からの応募は13年間で27名と少ないのですが、それはこのプログラムがあまり日本のロータリアンに理解いただけていないためではないかと考えています。

フェローに支給される奨学金の原資はその地区の地区活動資金(DDF)と個人の大口寄付です。地区には毎年3年前に皆さまがロータリー財団に寄付した年次基金の50%がDDFとして戻りますので、その中から配分されるわけです。大口寄付は恒久基金として25,000ドル以上の寄付をいただいたものです。今まで日本にも60名近い方々がおられ、総額で630万ドルに達しています。奨学金の額はセンターによって若干違いがありますけれども、日本の国際基督教大学(ICU)の場合2年間で8万ドルです。

フェローの2年間の研究の成果は毎年行われる年次セミナーで発表され、RIの理事を始め、全国各地のガバナーや財団の関係者等に参加いただいております。研究テーマも非常に多様性に富んでいて毎年驚かされます。

フェローは11期生までで860名ほどの卒業生がおり、卒業後は世界各国で平和にかかわるいろいろな活動をしております。このプログラムの成果はまだまだ目には見えていませんが、一本一本植えた木が成長し茂みを作っていくように、いつかきっと平和な森を作ってくれると思います。是非このプログラムを皆さまに知っていただいて、六本木ロータリークラブ様からもフェローを輩出していただきたいと思います。

ありがとうございました。

卓話 『時速400km/hの向こう側』2015年2月9日

中野 信治 様

卓話
中野 信治 様

本日はお招きいただき、ありがとうございます。私は11歳のときにレーシングカートを始め、16歳で世界チャンピョンになることができました。それ以降、ご支援を頂ける方たちのおかげで、F1、インディ、ル・マンの世界3大レースに参戦させていただきました。
皆さんはモータースポーツにどんな印象をお持ちでしょうか。車がぐるぐる同じところを回って何が楽しいの、誰が乗っても一緒じゃないのっていう印象をお持ちかも知れません。テレビの映像ではスタートからチェッカーフラッグが振られるまでしか見られないと思いますが、レースは実はスターティンググリッドに立った瞬間に、勝敗の7~8割は決まっています。
例えばF1だと22台のマシン、みんな同じに見えると思うんですが中身はまったく違います。ドライバーには好みがあります。例えばコーナーに入るとき、ブレーキを踏む強さ、タイミング、ハンドルを切るタイミング、それぞれドライバーによって違います。そのドライバーの好みに車を近づける作業をテスト走行や予選の間にやるんですが、これはチームと僕が一体になってやります。優れたチームは、この作業を少ない回数で済ますことができるんです。それが出来て初めて僕らも最高の走りができる。だからチーム力とか組織力が重要だと言われるわけです。
そんな中で僕が経験した印象的なエピソードがあります。スペインのバルセロナでテスト走行したときのことです。テスト走行、1回やると100周以上走るので結構体力もいります。それで僕らすごいトレーニングをやります。持久系のトレーニングです。テスト走行のあとドライバーは疲れ切っていますが、必ずチームと次の日のテストのためのミーティングをしなければなりません。この時間はすごく重要ですけれど、多くのドライバーは1時間ぐらいで切り上げて、ホテルでシャワーを浴びたいんですね。そのとき僕はホテルに帰ろうとしていたんですが、ちょうどミハイル・シューマッハが彼のピットの前に置いてあったトラックに入って行くのを見ました。それは移動式のトレーニングジムで、ミーティングを終わったシューマッハがそこでトレーニングを始めたんです。当時、彼はドイツの皇帝とも言われ、年間40~50億のお金を稼いでいました。そのシューマッハが他のドライバーが帰ったあと、トレーニングをやりだしたのを見て、僕は考えました。彼がどこまで意図していたかは分かりませんが、当然、スタッフのモチベーションは上がりますね。いかにしてチームの勝ちたい気持ちをまとめていくか。彼はすごく努力していたんです。僕にはすごく衝撃的でした。
僕、今年44歳になります。レーシングドライバーにとってはぎりぎりの年齢ですが、今もル・マンで勝つという夢を諦めずに戦っています。うまくいけば6月、またル・マンの舞台に立てることになります。応援いただけるとうれしいです。ありがとうございました。

卓話『私の履歴書』2015年2月2日

浅田 豊久 様

会員卓話
浅田 豊久 様

昭和17年、金沢で生まれました。戦争の記憶としては防空壕のカビ臭さ、今にも消えようとするロウソクの灯、富山大空襲の夜、空が明るくなった事を覚えています。中学校まで金沢、高校から東京へ。父親の考えで兄と二人で自炊生活でした。祖母達は孫が心配で世話役として度々上京し面倒を見てくれたから卒業出来た、と感謝しております。
学生時代はアメフットに明け暮れていました、高校大学を7年間で卒業できた浅田は奇跡だ、と留年組からは羨ましがられたものです。当時「留年するのは当たり前」、のような風潮が体育会系には強かったのです。さて卒業はしたものの中々就職先が決まらず叔父が勤務する「高津装飾美術」というNHK等へ小道具を貸す会社に就職先が決定。当時のNHKは本体は内幸町、渋谷の放送センターに少しずつ移動しつつある、という頃でした。自分が担当した番組は「事件記者」「たまゆら」で<持ち道具>、<置き道具>、<決まり(連続ドラマで必ず画面上に出て来る小道具)>などの業界用語から入って行ったのです。 一年後、ようやく慣れて来た頃に父親から「店が忙しいから金沢へ帰って来い」と矢の催促。しぶしぶ金沢へ帰って稼業の手伝いを始めたものです。
浅田屋の沿革ですが加賀藩には御用飛脚「江戸三度」という組織があり藩命を百年間忠実に実行した事を認められ萬治二年(1659年)に「五人扶持」「苗字帯刀」を五代藩主から赦されたのです。組織の株は代々世襲、藩からの税金は免除、飛脚人足の身分は保証人二人で身分を保証、などの決まりあったと歴史資料館の資料には残っております。慶應三年、当時の当主<庄平>は大政奉還まじか、と読み取り飛脚を廃業し旅館へと改廃しました。従って慶應三年を第二創業期と社内では呼んでおります。
次男で生まれた事から昭和62年に分家し東京に移住、赤坂の店を継ぎました。爾来28年間お蔭さまで店は赤坂、青山、名古屋と三店舗となり多くのお客様に加賀料理をお楽しみ戴いております。
ロータリー歴は金沢北RCチャーターメンバーでスタート。東京西RCへ1982年に移籍、西RCが50周年記念事業で六本木RCを創立する際佐藤特別代表の指示で拡大補佐をしました。設立時の幹事小島さんが西RCへ帰る時浅田が六本木へ行けと命ぜられお蔭さまで健康と会社経営と家族の理解に恵まれ42年皆出席をあと半年で達成できる事になりました。
ありがとうございます。

卓話『美術館は、いま』2015年2月2日

森 佳子 様

会員卓話
森 佳子 様

森美術館はお正月明けから約4カ月間、改装の為に休館しています。これには3つの理由があります。
まず、森美術館は身近にアートを楽しんでいただけるよう、朝10時から夜10時まで、ほとんど無休で長時間営業してきました。そこで施設の消耗スピードが速く、開館12年目での改修となりました。これが一つ目の理由です。
二つ目の理由は、現代アートの形が大きく変化している為です。インスタレーションやデジタル美術といった、絵画や彫刻とは全く異なった作品も増えています。このような最先端のアートも積極的に紹介できるよう、設備を一新して適応力を高めます。
三つ目の理由は、美術館が扱う地理的勢力図の変化です。世界の近現代美術館も、西欧中心主義から、グローバル化を余儀なくされ、今特に注目しているのがアジアです。アジア各国も国力を付け、作家も育ち、富裕層が美術市場に参入し、国立の大型美術館が次々と開館しています。
アジアの指導的立場にある森美術館では「アジアを代表する美術館」として、常に「日本の現代美術をリードしていく」ために、生まれ変わります。
4月25日に「シンプルなかたち展」で再オープンいたします。是非ご期待ください。



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