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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2024年3月

卓話『蜷川実花展Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』令和6年3月11日

写真家・映画監督 蜷川 実花様

写真家・映画監督 蜷川 実花様

蜷川実花と申します。本日はお招きいただきありがとうございます。

幼少期から「蜷川幸雄のお嬢さん」と呼ばれ続けたわたしですが、“自分をどう確立していくか”ということと常に向き合い、戦ってきた何十年間でした。最近は蜷川実花として認識されることが多くなり、やっとここまで来ることができたと思っている日々です。

ベースは写真家からスタートし、その後は映画監督、空間プロデュース、展覧会の開催、写真集出版、パラリンピック関係のお仕事、海外の雑誌、広告、ミュージックビデオ、マンガとのコラボレーション、ウエディングドレスのディレクションなど、とにかくできそうな事は全部やってみよう、求められることころがあればなんでもチャレンジする、というスタンスでここまでやってきました。各界の素晴らしい方々とセッションをすることはとても勉強になりますし、基本的には自分の表現したいものがはっきりとあるので、表現方法が変わっても芯はブレないということを最近体感しています。今回はTOKYO NODEの開館記念イベントとして新しい展覧会をやらせていただき、81日間で25万人以上のお客様にお越しいただきました。

アートは難しさを感じる方もたくさんいらっしゃると思いますが、本当はとても身近で、ご自身のこととして受け入れるチャンスがたくさんあります。わたしは、作ったものをどれだけ広く多くの方々に見ていただけるかをデビューの時から大切にしており、とにかく入口を広く、さらに満足していただける深さを持つことを目指してやってきました。アートは限られた人たちのものだけではないということを多くの方に伝えたい、という思いにフォーカスして活動しているので、実際にたくさんの方にお越しいただくことで背中を押してもらいましたし、また次の創作意欲になると感じています。そして作品が世の中に出ていく時にできる努力はするべきだと思っているので、取材もたくさん受けますし、どうしたら展覧会に足を運んでもらえるかということを常に考えています。SNSにも早くから力を入れており、自分がやっていることを直接伝える手段があるということは強さのひとつかなと思います。

今回は1500平米という広大な会場で、写真とは全く異なるアートの作品に挑戦しました。とても贅沢な空間で、無理かもしれないという状況や高い目標があると、そこに向かって頑張るしかなく、本当にTOKYO NODEという場所に引っ張ってもらい、育てていただいたなという気持ちが強いです。

これまで基本的には1人で活動してきましたが、今回は「Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」のタイトルに因んでEiMというチームを組み、かなり深い部分から協働し作り上げました。異なる分野の作り手や研究者といったメンバーが得意なことを持ち寄って色々な視点から考え、共に作っていけたからこそ、自分だけではできない場所に辿り着けたのだと思います。

「Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」

生と死は常に隣り合わせで、失われていくから美しく感じるものでもあると思います。例えば今回の枯れている花のインスタレーションは、枯れていく様もまた美しいということを表現したいと思ったことと、コロナ禍において、わたしたちは暗いトンネルを歩いていたし、今も歩いているような気がしますが、そこにシンクロするところからスタートしようと思っていたので、暗い通路から入っていって最後は光に向かっていくというストーリーにしました。真っ暗な中に生命の循環をテーマにしたもの、都市の中に感じるいのちの息づかいを描いたもの、ユートピアのような場所、その他にも寝転がりながら映像を見ていただく展示や、スクリーンの間を人々が通っていくことによってそのシルエットにより新しい風景が見える展示、日本の四季をめぐるの展示、光をテーマにした展示など。こういう世界があったらいいなとか、まるで自分が守られているような大切な空間、ユートピアのようなものを作りたかったので、出来上がっていく様は興奮しました。

散歩した先で四季の花々が咲き乱れたり、刻々と時間が流れるなかで表情が変わっていったり。写真を撮っていていつもハラハラするのは、こんなに美しい瞬間はあっという間でそれをなんとか残したくてシャッターを切っているような気がします。瞬間の中に永遠を見るというか、永遠に続いたらいいのにという願い、もしくは瞬間が重なっていくことによって未来に繋がっていくのではないかと思っていて、そういったものの瞬きや美しさは、自分で掴みに行かないとどんどん流れいってしまう。その日常の美しさがどれだけ大切で、実は儚いものかということをわたしたちはここ何年かで実感したと思います。そういったものを大切にしながら紡いでいけたらいいなという思いがタイトルに入っていて、わたしの活動でも大事な核になっています。

辛いこともたくさんある世界ではあるけれど、その中にも光り輝く瞬間があります。世界は美しいという前提で外に出てみると、こんなに素敵な世界に住んでいるのだと思う側面もあると思います。そういったことが伝わったらいいなと思います。

作品は自分を映す鏡です。わたしは年間に7万枚ぐらいお花の写真を撮るのですが、1回1回感動してシャッターを押しているので、それだけ感動しているのかと思うと、「写真っていいものだな」と思います。人がシャッターを押す瞬間は、何らかのプラスの気持ちが動いた時で、写真を撮る時には身の回りの素敵なことを探すんですよね。100枚撮ろうと思うと、100枚分の素敵なことを探さないといけません。そうすると感度が拡大されていき、素敵なものを見つけられる目が鍛えられるのです。さらに言うと、この100枚の中に自分が好きなことが確実に残るので、己を発見することができます。それはすごく人生においてプラスなことだと思っていて、そういう目を持って生きるということは素敵だなと思います。

これからのステップとして、またTOKYO NODEで展覧会をやりたいという気持ちがあります。今回を超えるためにまたもがくと思いますし、必ず良いものにしたいという気持ちが強いのでかなりハードルは高いですが、高く設定しておくとすごく良いものができそうだなとも思います。また体験型のアートの可能性を感じているので、新しい挑戦や展開がどんどんできそうです。しばらくはインスタレーションを中心としたアートを進めて、もちろん映画もやりますし写真も撮るのですが、今はまた次のTOKYO NODEに向けて頑張りたいなと思っています。

4月6日から弘前のれんが倉庫美術館で個展が始まります、TOKYO NODEと同じ作品は1つもなく、写真がベースになっています。また来年の1月に京都市京セラ美術館で個展をやることが決まり、また高いハードルに向かってどんな展覧会にするかを練っているところです。

ご清聴ありがとうございました。

プロフィール
蜷川実花[にながわみか]
写真家、映画監督
写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。
クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している。
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。2010年Rizzoli N.Y.から写真集を出版。
『ヘルタースケルター』(2012)、『Diner ダイナー』(2019)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』を監督。
最新写真集に『花、瞬く光』。
2024年4月6日(土)より、弘前れんが倉庫美術館にて「蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界」を開催。
https://mikaninagawa.com
主な個展
「蜷川実花展」台北現代美術館(MOCA Taipei)2016年
「蜷川実花展—虚構と現実の間に—」2018年-2021年(日本の美術館を巡回)
「MIKA NINAGAWA INTO FICTION / REALITY」北京時代美術館2022年
「蜷川実花 瞬く光の庭」東京都庭園美術館2022年
「蜷川実花展 : Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」TOKYO NODE 2023年-2024年

卓話『アフリカ地域医療の革命を目指して』令和6年3月4日

NPO法人ロシナンテス 理事長 川原 尚行様

NPO法人ロシナンテス 理事長 川原 尚行様

わたしがアフリカと関わるようになったのは、九州大学と外務省の提携により、1998年に医務官としてタンザニアに行ったことがきっかけです。多くの観光客や、在邦人も300人ほどいましたので、マラリアや高山病など色々な対処をしました。外務省にいながらも色々な勉強ができて非常に面白く、大学には帰らずに外務省で働くことを決意しました。

2002年、現在の南スーダンとスーダンがまだ1つの国で内戦があった時期に、スーダンへ行きました。スーダンと聞くと非常に有名な「ハゲワシと少女」の写真が思い出されます。戦争があって飢餓がある国、そのような国に対して日本は援助を停止していました。欧米、特にアメリカの意向が強くあったとわたしは認識しています。そうして支援がないまま寄生虫疾患に苦しむ子ども達をなんとかしたいと思いましたが、わたし一人の力では手が出せませんでした。そうしたこともあり2005年に辞職し、翌年NPO法人ロシナンテスを立ち上げました。

当時はわたしも医者として様々な地域を回っていました。地域の中に入ることは危ないというイメージもあるかと思いますが、地域や部族の中に入ると彼らが守ってくれて、危ない思いをしたことがありませんでした。

地域の方と一緒に生活をして医療活動を行い、今まで4つの診療所を建ててきました。また水を確保するために診療所の横に井戸を掘ってきれいな水を確保しました。水を介する感染症は非常に多く存在しますので、アフリカの医療の問題を解決するには、まず水の問題を解決することでかなり改善できると思っています。また子ども達が通う学校も環境が整っておらず、今まで4校作っています。わたしたちは医療だけではなく、水や教育も含めて包括的に支援し、モデルを作ろうということで動いています。

支援する立場ではありますが、わたしたちは地域住民に支えられて成り立っています。医療を提供することで支援し、地域の方々に生活を支援してもらう。支援する側とされる側の垣根がなくなり、ひとつのチームなのです。

2019年からは、色々な構想がある中で本来やりたいことをやろうということで、ザンビアで母子保健の活動に力を入れています。分娩室や健診室があるマザーシェルターを開設し、そこで子どもが産まれたらワクチン接種なども行うオールインワンの母子保健です。現在2棟目を建設中で、2025年度には3棟目も建設を予定しています。

今まではモデルとなるのは村などの小さな範囲でしたが、今後はモデルを州とし、大きく構えていこうと考えています。その中でデジタル技術を導入しようと考えており、現在も実際に日本のメーカーが製作したポータブルエコーを導入しています。スマホとプローブだけで行うことができ、医者がいないところでもスマホの画像をキャプチャーして送ることが可能です。さらにAIが導入できれば、医者がいない地方でもスマホを遠隔操作することで妊娠週数などの簡単なことは分かるようになります。オランダが実際開発しており、日本でもメーカーに製作を依頼しようかと考えているところです。そして本来なら様々なデータを集約してフィードバックすることが望ましいですがまだそこまでには至っておらず、現在は長崎大学と一緒にデジタル管理をしようと動いているところです。

日本の企業は様々な素晴らしいものを開発しています。例えば富士フイルムは小型の携帯型X線撮影装置を開発しました。今までレントゲンは鉛に覆われたレントゲン室でしか撮影できませんでしたが、極力X線の線源を抑え、フィルムの感受性を上げ、更にAI補正がかかります。1台貸与いただき1年使ってみましたが非常に素晴らしく、外務省に申請を出して購入し、4台体制で活動を広げる予定です。結核の検診を例にとってみると、今までは患者さん自身がレントゲンを撮るために公共交通機関を使用しての移動が必要でしたが、わたしたちが地方へ行って治療することができれば、感染を食い止めることができます。このように的確にデジタルやITを使うことができれば、医療資源が乏しい地域では革命的なことが起こるのではないかと思うのです。

スーダンでは、1998年に薬品工場がアメリカによって爆破されました。原因はテロを支援する薬品工場ではないかと疑われたからです。アメリカからテロ支援国家として経済制裁を受けることになり、経済が回らなくなり、当時の大統領バシールさんが辞任に追い込まれてしまいました。その後民間と軍が手を取り合って暫定政権を作ったのですが、結局民間人を追い出して主導権を握りました。民兵は裏でロシアと深く繋がっていて、ロシアが西側から経済制裁を受ければ受けるほど良くない方向へと進み、内戦が始まった時にはわたしも退避せざるを得ない状況になりました。しかし退避して全てが終わるわけではありません。一番大切なこと、究極の医療とは、戦争をしないこと、させないこと。わたしたちにできることは限られていますし、なにができるか手探りの状況ですが、現在熊本大学の薬学部が中心となってアフリカの薬草を研究しており、薬を作ることでアフリカの利益になるのではないかと考え、アフリカの発展、そして日本の発展を目指していこうと活動をしています。

恩師である井口潔先生が、亡くなる前にわたしにメモを残してくれました。

「知性にものを言わせるな。感性に知恵はある。日本は知性ばかりが優先的になっているが、おまえ自身日本人としての感性をもっているだろう。その感性を磨いた上で後世に繋げろ。それが間違った判断をせずに伝統的な日本の国を築いてきた。その根幹を忘れずにいれば後世に繋げることができる。」

この言葉を胸にこれからも頑張っていこうと思います。わたしたちスタッフ、現場の人たち、アフリカの人たち、そしてなにより支援してくださっている方々、皆チームロシナンテスです。ひとつのチームになって、アフリカの為、日本の為、そして牽いては世界の平和の為になると思い、これからも頑張っていきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。



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