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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2022年3月

卓話『世界の聖地から伊勢神宮へ』令和4年3月7日

写真家 随筆家 稲田 美織様

写真家 随筆家 稲田 美織様

私は小さい頃から、アートが大好きで、小学校の卒業文集に将来の夢はアーティストと書いていました。そして迷うことなく、多摩美術大学の油絵科に入りました。その後、教員になりましたが、その当時、コンテンポラリーアートの先端はニューヨークだったので、そこで勉強したいと思い、渡米して17年間住んでおりました。その間に世界中の人々と友達になり、文化や様々なことを学び、自分の人生が大きく変わったのだと思います。

何故、絵画から写真になったかと言いますと、当時のニューヨークは治安が悪く、道でスケッチをすることができなかったので、その代わりにポータブルのカメラであちこちを撮影していたのです。それらの写真をニューヨーク大学のコンテストに出品する機会があり、驚いたことに、賞をいただきました。その後、ハーバード大学のキュレーターに写真を見て頂く機会があり、フォトグラフィーコレクションで個展デビューしました。特別なコネクションがなくても、作品を見てもらえて、作品が良ければ、受け入れてくれるという懐の大きさは、アメリカのいいところだなと思いました。

その後、私はニューヨークのヘルズキッチンの自宅から、9.11の同時多発テロを目撃したのです。最初は火事かと思いましたが、その後、突然2機目が突入し、2763人の命を飲み込んだまま、ワールドトレードセンタービルが崩落しました。その後、まるで原爆の煙のようなものが一週間立ち上がり、街中が焦げた匂いに包まれました。

私はニューヨークというのは、100以上の人種や言語が存在し、色々な人々が暮らす、多様性の街だったことから、この街は神様が作った実験地で、そこで皆と仲良くなれば世界は平和になると信じていたのです。ところがそこから何が起こったかというと、分断です。それまで一番先端に行っている場所だと思っていたニューヨークでアラブ系の人が差別を受け、移民の人でさえ、アメリカの国旗をドアに掲げ、まるで国粋主義のようになってしまい、一年間ぐらい鬱々と暮らしていました。目を瞑ると亡くなった人たちの姿が見えるようで、マンハッタンそのものが霊廟になってしまった、そんな感覚でした。

私はアメリカが大好きで住んでいたのに、それが嫌いになりそうで、憂鬱な日々を送っている時、本屋に行ってネィティブアメリカンの聖地の写真集を見て、直感的に何かを感じ、その聖地に行こうと思いました。それまでカメラを1年間全然触れられなかったのですけれども、凍り付いた心が解凍してゆくように、そこからまた写真を撮れるようになりました。

生き残った人に何ができるか、大きい事とか小さい事とか関係なく、自分に何ができるか、やらないより絶対やった方がいいと思って、争いの元の一つになった、それぞれの宗教や世界の聖地を一人で何回も訪れて、写真を撮ったり展覧会をしたりしてゆきました。その後、同時多発テロから5年後に、私は人々のご縁により、伊勢神宮に導かれました。初めて伊勢神宮に行った時のことは、忘れることはできません。お祭りは、緑の森の中で行われていて、木漏れ日の光が注ぎ、鳥のさえずりや風の音の中で、祈りを捧げるその様子を心から美しいと思いました。 自然のなかで全てが循環している調和の世界がそこにありました。私は今まで、世界中の聖地を訪れ、それぞれの聖地、祈りは美しいと思いましたが、私は神宮で強い衝撃を受け、ここで行われていることを学び、撮影したいと思ったのです。

伊勢神宮は3つの山に囲まれていて、川が伊勢湾の方まで流れていますが、その中に植樹の森、自然の森、そして伊勢神宮の祈りの森、田んぼ、塩田、豊穣の海というように、循環の世界が、本当に素晴らしいと感動しました。神宮では神様に捧げるものは、基本的に自給自足で行われていて、それは、五十鈴川がすべてを繋いでいました。伊勢の方々は循環とか自然環境とか、2000年間行ってきた日常でしたが、私に国外に長くいたので、その壮大な世界観に衝撃を受けたのです。

ニュースで皆様もご存じだと思いますが、私は現在、ウクライナでウクライナ人の有名な画家の作品と私が撮影した伊勢神宮の写真で、国交30周年の記念の展覧会をやっています。でも、現在展覧会がどうなっているか、私にもわかりません。侵攻が始まる前までは、展覧会には毎日ウクライナの方々が、沢山来てくださって、毎週お習字やお花のセッションなど、日本の文化の交流が行われていました。私は日々流れるニュースを見て、国外に避難した女性や子供たち、国内に留まっている人々、国を守るために戦うウクライナの男性、本当にウクライナの人たちのことを思うと心が苦しいです。そして、今何故、伊勢神宮の写真がキエフにあるのかということが、どういう意味なのだろうと凄く思います。

私はNY同時多発テロの目撃以来、世界の調和を求めて、様々なところに導かれてきました。そして、今日もここに導かれて、卓話の機会をいただいたことを本当に感謝しています。世界は厳しい状況は続きますが、色々な人たちの力を合わせて、これからの世界が、調和に向かってゆくことを、心から願っています。

ありがとうございました。

卓話『ウクライナ問題をどう見る?』令和4年3月14日

日本総合研究所 国際戦略研究所 理事長 田中 均様

(株)日本総合研究所 国際戦略研究所 理事長 田中 均様

ご紹介に与りました田中均でございます。わたしは外務審議官をしていた時に何回かプーチンさんとお会いしたことがあります。プーチンさんという人は決して自分から喋らず、相手の話をよく聞いて、自分の思想を組み立てていくという、まさにKGBであり、柔道家です。

今考えてみれば、プーチンのウクライナ侵攻は相当前から準備をしていたのだと思います。ロシア国民は大国志向で、マッチョな大統領が大好きということをプーチンは知っていて、まずは自分の権力基盤を固めることと、強硬な措置をとることで支持率を上げてきました。

プーチンの最大の課題は、NATOにどう対峙していくかということですが、これも時間をかけてやってきました。シリアとの関係はほぼ同盟に近い関係を維持し地中海を望む空海基地の提供を受けており、黒海艦隊の拠点であるクリミアを併合してNATOに対峙しています。もう、ロシアに対する脅威感が非常に強い旧東欧の国やバルト三国を超え、ウクライナやベラルーシ、ジョージアをNATOの取られるわけにはいかないとの思いが強いのだと思います。加えて中国との関係が最良だと言い続けているのは一つの布石で、経済制裁を受けた時に中国が一つの出口になるということです。

諸々の準備の中で、今回ウクライナの侵攻をしました。わたしの思いとしては、なぜ止められなかったのだろうということです。ロシアが侵攻したこともさることながら、アメリカが止められなかったということについて非常に強い喪失感を禁じ得ません。勿論核大国ロシアと戦争をする選択肢はないのでしょうが、何もあのように早い段階で兵力派遣の意図はないとロシアに明かす必要はなかった。おそらくアメリカの国内情勢から見て、もはや世界の警察官として海外に軍事的なコミットメントをする、あるいは海外に軍を派遣して戦争をすることはほとんど無理になった訳です。ブッシュの戦争の後、オバマ、トランプ、バイデンときた訳ですが、どの大統領も基本的な課題はいかに兵を退くかということでした。これは世界にとって相当大きな意味があります。今までは国連の安保理の決議により、国際法に違反した国や侵略をした国などに対して軍事的な行動をとることが望ましいということが国際社会の姿でしたが、それがロシアと中国の国連安保理の存在によって不可能になりました。果たして今後どのような形で安全保障体制になるかというのは、これからのウクライナがどうなるかに大きく関係していると思います。

わたしは、未だにウクライナで政治的な解決があり得ると思っています。長い間をかけてもウクライナの首都キエフは落ちず、その間、反露感情は強くなってきました。もうロシアによるウクライナの完全支配はないのだから早く戦争を止める必要があります。ロシアの暴挙に対して妥協での解決にさせないために、やはりNATOの主要国が直接交渉に参加すべきです。ウクライナの中立化、NATOとロシアが共にウクライナの安全を保障するという枠組みをつくることと、ロシアとNATOの間で偶発的な戦争が起こらないように軍事管理をすることが必要です。しかしこれは合理性に基づいた議論であり、いったん戦争が始まってしまえば歯止めがきかず、戦場で物事が決まるという不幸な結果になる可能性もあるとは思います。願わくば政治的な解決をしてもらいたいし、それはアメリカの大きな役割であると考えています。

ロシアのウクライナ侵攻、止められなかった世界は、今後どのような中長期的な影響があるのでしょうか。ヨーロッパでは中立していることが安全を保つ術だと思っている国がありますが、アメリカが世界の警察官としての役割を果たさず、同盟国ではない国との関係で兵力を出すことはしないとなると、同盟国の枠組みに入らなければいけないという動きが出てくる可能性があります。また、今回核を持ったロシアとの関係でアメリカの抑止力は働きませんでした。ロシアは最近になって原子力発電所を確保し、さらにNATO加盟国であるポーランドからほど近い、アメリカやNATOからの武器が集積されている場所を攻撃しました。場合によっては核兵器を使うかもしれないことを考えると、アメリカの抑止力は働きませんでしたが、実はロシアがNATOを阻止する抑止力は非常にあるのです。それは日本にとっても悩ましい問題です。中国が尖閣に侵攻すれば、条約上の義務としてアメリカは防衛しなければいけませんが、台湾はどうでしょうか。アメリカが今台湾に負っている義務は国内法上の義務であり、台湾防衛のために手を貸し、しかるべき措置を取るという曖昧戦略でしかありません。もし中国が台湾侵攻を実行したら、果たしてアメリカは来るでしょうか。

今アメリカが主導で行われているロシアに対する経済制裁措置はものすごく大事です。銀行間協会から排除し、ロシアが持っているドルを凍結すること、また石油やガスの輸入を禁止することなど、段階的に色々な措置がなされています。ロシアは冷戦後に色々な国際組織に加入してきましたが、いかにして国際機関から排除していくかをこれから考えていかなければなりません。わたしが危惧しているのは、ロシアは今の戦争を続ける限り徹底的に国際社会から排除されますが、もはや失うものはないと更に荒れる可能性もなくはないということです。しかし理不尽な行動をとると国際社会から排除されるという跡を作らなければいけないと考えています。

最後に日本の考え方についてお話します。日本は北方領土の問題があるからといってロシアに対する措置を緩めてはいけません。北方領土は戦略的に極めて重要な土地であり、アメリカと対峙が厳しくなっているロシアが返すのは難しいと認めざるを得ません。。プーチンの元では北方領土問題の解決はないということを心にしまって、国際的な日本の評価を守るためにも、ロシアに対して厳しい措置をとっていくことが日本に求められていることだと思います。

一番大事なことは、これから世界がどうなっていくのか、日本がどのような意識をもたなければいけないのかについて、きちんとした認識を持つことだと考えます。

本日はご清聴ありがとうございました。



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