「楽しく一緒に気分よく」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2021年10月

卓話『データで知るロータリー』令和3年10月4日

国際ロータリー第2750地区 2021-22年度山の手東グループ ガバナー補佐 宮村 和加子様

国際ロータリー第2750地区 2021-22年度山の手東グループ ガバナー補佐 宮村 和加子様

メータRI会長の推進事項

今年度のシェカール・メータRI会長のテーマは「奉仕しよう みんなの人生を豊かにするために」
RI会長の推進事項の一つとは「世界のロータリーの会員数を130万人に」
次の4つのイニシアティブ
*女児のエンパワメント
*ロータリーの成長:Each One, Bring One(みんなが一人を入会させよう)
*ロータリー奉仕デー
*重点分野をテーマとする会長主催会議

地区の会員数を5,000名に

第2750地区は三浦眞一ガバナー、所属は東京八王子西ロータリークラブ
今年度の地区のスローガンは、「奉仕の心でつながろう 地域と世界と」です。
地区の重点目標は12項目(ガバナー公式訪問のときに、ガバナーから直接お話)
その一つとして2024年6月末までに地区の会員数を5,000名にするという目標をたてられています

山の手東グループ11クラブは622名

今日の卓話テーマは「データで知るロータリー」、ロータリーを数字によって纏めてみました。
皆様が所属されている山の手東グループ11クラブの会員数は現在622名。
2750地区は現在96クラブ、会員数は約4,500名。これを3年後まで5,000名に増やす目標。
日本全体には34の地区があり、クラブの数が2,223、会員数は約85,000名。
世界全体では、約200か国に534の地区がある。クラブの数は約37,000、会員数は約116万人。
メータRI会長は、これを130万人にする目標を立てられています。

2750地区は第2位

世界のどの地区にどれぐらいの会員がいるか。世界の中でアジアが全体の約33%、次にアメリカ・カナダ・カリブ海諸国で約28%、欧州・アフリカ・中東が約25%、中南米約8%、グレートブリテン・アイルランド約4%、オーストラリア・ニュージーランド約3%、という比率です。
日本国内には34の地区がありますが、我が2750地区は4,544名で、残念ながら第2位。1位は愛知の2760地区で、4,709名。3位は福井・京都・奈良・滋賀の2650地区で、4,353名です。

会員数は少しずつ減少

次に会員数の推移をご説明します。
世界の会員数は、2017-18年度に120万人に到達していましたが、残念ながらここ数年減少して、現在は約116万人まで減少。
地区でも2017-18年度から少しずつ減少し、現在は約4,500名。
我々の山の手東グループは、2019-20年度浅田ガバナー年度に会員拡大が進み、667名まで増えたましたが、その後3年間減少。

女性会員の比率

女性会員の比率は、山の手東グループで約18%、残念ながらこの数字は5年間伸びていません。
全世界の女性会員の比率は約24%。
2750地区は約12%で、約半分です。
2750地区の国内の8つのグループの中では、我々山の手東グループがトップ。
2750地区にはパシフィックベイスンのグループがありますが、こちらは約34%と非常に高い女性比率となっています。

外から見たロータリー

最後に、「外から見たロータリー」についてご紹介いたします。
世界15か国の一般の方々に対して、「どのような奉仕団体に入会したいか」という調査が行われました。また「ロータリーについて聞いたことがあるかどうか」も尋ねました。
回答者のうち74%の方が、「ロータリーについて知っている」と答えました。
世界の著名な社会奉仕団体としては、ユニセフ、ライオンズクラブ、ロータリー、YMCAなどがありますが、そのうち認知度としては、ロータリーは第3位でした。
課題も明らかになりました。「ロータリーとは自分たちのような人のための団体だと考えている」人は、たったの35%でした。「ロータリーがどのように世界でよいことをしているのか具体的なことは知らない」ということでした。
ロータリーは、人と人とのつながりに基づいた奉仕団体のパイオニアであるにもかかわらず、つながりを求めている多くの人にとって、選ばれる団体にはなっていないということです。
これはとても残念なことです。そのためには各クラブが取り組む会員増強や奉仕活動を通じて、世の中にもっとロータリーを知ってもらうことが重要になってきます。
私たちの周りには、社会に貢献したいという人がたくさんいます。ロータリーの活動を世の中にもっと知ってもらい、ロータリーのネットワークと絆で、世界で良いことをする行動人の仲間を増やしていきましょう。

データで知るロータリー

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卓話『バギオ基金にご理解を』令和3年10月11日

一般財団法人 バギオ基金 淺田 豊久会長

一般財団法人 バギオ基金 淺田 豊久会長

1903年(明治36年)ロータリーが出来る2年前、日本人125名を載せた東洋汽船の香港丸と言う一隻の客船がフィリピン・マニラ港に錨を降ろしたのが始まりです。バギオ山頂に続くベンゲット道路は,大変な難工事で、なかなか進みませんでした。そこで、日本人がまじめで勤勉なのを知り、労働者を募集したのです。50メートルに一人、人柱が出来るほどの難工事でしたが無事完成し、残った人達は現地の人と結婚したりしてフィリピンにしっかり根をおろし、各地に豊かな邦人社会を形成しました。延べ2,000人の日本人労働者が工事に関係し約700人の人が犠牲になったと言われています。

戦争前の日本とフィリピンは、お互い手を携えてフィリピンの道路、橋、水道、電力、教育などに手を携えて国作りをして来ました。ところが1941年12月に始まった太平洋戦争は両国の関係を見事に敵と味方に分けてしまったのです。

太平洋戦争が終結して今年で76年になります。

太平洋戦争の時、日本軍はフィリッピンに60万人が上陸しました。生還したのは10万人でした。その最後の激戦地がバギオであった訳です。バギオには日系フィリピン人が大勢いたので、壊滅直前の日本軍は、日本語が出来、日系人である彼等に協力させたのです。

そして、戦争が終結した1945年8月を境に両国の関係は悲惨な傷跡として残りました。日本軍の敗戦後、彼等日系フィリピン人は、日本軍に協力した事で現地住民の迫害を受け、自分が日本人であることをひた隠しに隠し、バギオ山中に逃げ込んで生活をしていました。それをバギオに赴任したシスター テレシア海野が知り、自ら山中に分け入り一人一人救出されたのです。救出された日系人も山中に住んでいたのですから、学校はありません。彼等の一番の希望は自分たちの子供を学校に入れ、教育を受けさせる事でした。

シスター テレシア海野は「比国、バギオの子供達への教育」をテーマに、悲惨な環境下に陥った日系の子供達を山の中から救い出し、食べるものを与え、学校に行けない子供達への支援を続けていました。

今からちょうど40年前にそれを知った当時のロータリー258地区の先輩達は、シスター海野のがんばりをいくらかでも支援しよう、「これこそロータリーの奉仕のテーマだ」と声が上がりました。竹田恒徳初代名誉会長(東京北RC)、服部禮次郎会長(東京銀座RC)をリーダーに全国のRCに声をかけたのでした。国内34の地区から理解を得て、賛同戴き1981年9月に「バギオ基金」が設立されたのでした。それ以来40年、ロータリー活動の日本を代表する組織と運動と実績を誇る団体となり、2009年7月1日より、「一般財団法人比国育英会バギオ基金」となったのです。

10周年、15周年、20周年記念の後5年おきに周年祝賀行事を行い、フィリピン政府からは大統領から表彰状を授与され日本国外務大臣からも感謝状を授与されるなどロータリーの活動として世界レベルの国際支援事業を評価されたのでした。

具体的には
奨学金の授与(大学、高校への授業料の贈呈送金)
留学生への支援(学生の目的に叶った学校へ推薦、生活に必要な資金援助等々)
【奉仕事業の概略(基金創立以前の4年を含む)】

1.奨学金の提供額 581,100ドル+380万円
2.現物提供 学用品、衣類等を訪問の都度提供
3.バギオ訪問事業 実施39回 参加延人員1,267名
4.対象奨学生 3,674名
5.対象奨学生の進路
 医師、看護婦、弁護士、公務員、軍人、建築士、秘書、農業、電気・電子、コンピューター、自動車、商業、教育等の各分野。
6.受入留学生(2008年4月より) 14名
 敦賀短期大学、京都ノートルダム女子大学、(学)石川学園専門学校大育、沖縄JCS学院、亜細亜大学卒業生は、介護福祉士・看護師・調理師の資格を取り日本で就職。または語学力を生かし日本やフィリピンの日本企業に就職。

今後ともバギオ基金へのRC、ロータリアンからのご理解、ご協力を切にお願いします。

ありがとうございました。

【バギオ基金の概要】

≪基金事業の目的≫
本会は、フィリピンにおける日系及び一般青少年のために、育英資金を提供しその勉学を援助、日本への留学を支援すると共に、併せて日比両国の親善友好を増進することを目的とする。

≪基金事業の内容≫
1.育英資金の原資を確保するために、本会設立の趣旨に賛同する後援者等の増強を図り、寄付金の募集に努める。
2.寄付金の保全及びその運用によって、育英資金の増大を図る。
3.育英事業と日本への留学を援助するためフィリピン側との連絡を密にし、その適切な実施に努める。
4.日比両国の親善友好を増進するため、必要な各種活動を行う。
5.前各号に付帯する必要な事業。

≪基金の現況≫(2018年6月30日現在)
1.基本財産額(2009年財団設立時)259,341,977円
2.基金構成
 後援・関係ロータリークラブ 385クラブ
 後援・関係地区 34 全地区
 後援者数 4,017名
3.基金の提携先
 バギオ・ロータリークラブ
 バギオサマーキャピタル・ロータリークラブ
 (財)北ルソン比日基金

卓話『奉仕の心でつながろう 地域と世界と』令和3年10月18日

三浦 眞一様

国際ロータリー第2750地区 2021-22年度 ガバナー 三浦 眞一様

三浦ガバナーの卓話のテーマ、『奉仕の心でつながろう 地域と世界と』
茨城県の地区のガバナーが提案した海岸清掃の活動が、次第に全国各地に広がり、世界にも発信されていく話など、ロータリーの奉仕活動が地域や世界と繋がっていくものであることを、豊富な具体例とともに分かりやすくお話しいただきました。

奉仕の心でつながろう 地域と世界と

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卓話『児童養護施設出身者の私が直面した進学・就職時の本当の話』令和3年10月25日

フェアスタート 篠田 有加様

【はじめに】
ただいまご紹介にあずかりました。篠田有加と申します。よろしくお願いいたします。

【プロフィール】
初めに簡単にプロフィールを紹介させていただきます。
1991 年に東京都で生まれました。小学5年生の時に児童養護施設「マハヤナ学園撫子園」へ入所し、そこで高校を卒業するまで生活していました。退所後は児童養護施設の職員を志し千葉の大学へ進学しました。卒業後は POLA と個人事業主として委託販売契約を結び、化粧品販売とエステの施術を行っています。現在はショップマネージャーを務めております。

【児童養護施設へ入る経緯】
私は父、母、弟の 4 人で暮らしていました。私が小学 2 年生くらいの時に両親が離婚しました。私は母と東京で、弟は父と千葉県でと別々に暮らすことになりました。その後、再び家族 4 人で暮らすことになったのですが、小学 4 年生の夏休み期間に父がいなくなり、私と母と弟の 3 人での生活がはじまりました。知らない土地で知人も、頼れる父親もいなく、母は精神的に不安定になり始めました。
ある日私が熱を出し寝込んでいて、目を覚まし、母を見ると、うつ伏せになり右手で包丁を持ち左手首に当ててそれをじっと眺めている光景が目に入りました。それが初めて見た母の自殺行為でした。その後も母の自殺行為は続きました。最後は自宅のクローゼットで父のネクタイで首を吊っていました。それを発見したのは私と弟です。今でも当時の夏休みのことは全て覚えています。一番大切な人がこの世からいなくなる辛さ、寂しさは言葉にできません。精神的に苦しかった母の気持ちもよくわかりますが、自殺という行為は残された者も苦しいんだなと今でも思います。

【児童養護施設での生活】
母が亡くなってからは父方の祖父母の家に引き取られましたが、小学5年生の時に都内の児童相談所に連れて行かれそこで一時保護されてから、児童養護施設での生活がはじまりました。母の件を知った児童養護施設の職員の方々は、万全なサポートで迎えてくれ、家にいたら経験できなかったことをたくさん経験でき、学びもあり、施設での生活が無ければ今の私はいないと思います。また、弟も施設のおかげで高校を卒業できたのだと思います。

【大学へ進学】
その後は、児童養護施設の職員を目指すために高校 3 年間でアルバイトをした貯金と奨学金を元に千葉の大学へ進学しました。自分で選んだ道ではあったのですが入学金を自分のアルバイト代から払った時はなんとも言えない気持ちになりました。お金の大切さを知ると共に、世の中の 9.9 割のことはお金で解決できるのでは…という辛い現実が突きつけられました。また、私には帰る所がなかったので大学 4 年間はとにかく生活をすることに必死でした。
施設の職員の中には私が卒業できないと思っていた人もいました。とても悔しかったですし、信用されていないんだなと悲しい気持ちにもなりました。
大学 1 年生の冬に父が亡くなりました。母の葬儀の時に「子どもを裏切ったママのことを俺は許さない」と初めて父の涙を見たのですが、「私たち兄弟はまた大切な人に裏切られたのか、あの時の父の言葉はなんだったのか、、」という気持ちでした。
父が亡くなったことにより奨学金の支給が何ヶ月か止まり、家賃を滞納したことは今では笑い話です。学生なのに生活のためにフリーターの極みか?というほどアルバイトをしていて、授業の単位もギリギリでしたがなんとか卒業することができました。

【POLA と委託販売契約】
大学 3 年生の時にご縁がありアルバイトという形で POLA で働いていました。当時は児童養護施設の職員になりたいと思っていたので経験の 1 つと考えていました。
児童養護施設では高校を卒業した後は進学か就職の二択です。もし私が施設の職員になり子どもへ就職支援をすることになったら一般社会を全く知らない職員からアドバイスをもらっても響かないなと思いました。少なくとも私だったらそんな職員には就職のことは相談しないです。なので、一般企業で働いて社会を学んでから施設で働こうと決めました。POLAで働いていくうちに「マネージャーにならない?」と今のオーナーから声を掛けていただきました。ですがマネージャーになるほどの自信はなく辞めようと思っていました。そして、その時に施設で働くことを再び考えました。悩んでいても仕方がないと思い、立川の児童養護施設で宿直のアルバイトを始めました。
私は施設出身ということは隠していましたがどうしてもその要素が溢れてしまい子どもにちゃんと寄り添えませんでした。子どもが掛けて欲しい言葉ではなく、子どもたちを鼓舞するような支援しかできなかったです。そして、今の私にできることってなんだろう?と考えた時に施設の子どもたちの希望になることだと思いました。施設出身者というハンデがあっても社会で活躍できること、お金を稼げることを伝えるべく再び POLA でマネージャーへの道を選びました。マネージャーは責任もプレッシャーもより重くなるので、やるなら一生続けようと腹を括りました。

【児童養護施設出身者として】
周りの方々にたくさん応援していただき、今もマネージャーとして何とかやれてます。本当に感謝しています。立川の施設での経験から、子どもたちの希望になること、そしてまずは目の前の子どもを大切にしようと思いました。そのため自分がいた施設へしょっちゅう行っていました。今はコロナで出禁ですが、お菓子やケーキを持っていったり、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントを持っていたりしていました。
また POLA でマネージャーとして認められた時にいただいた盾も施設へ持って行き、子どもたちに仕事についていろいろと話したりしました。このように身近な立場として子どもたちと話をすることも心がけていて、ロールモデルになればと思っています。職員の言葉は響かなくても同じ立場の私の言葉は響いたりするので、社会で学んだ大切なことを私なりに伝えています。
また、私は周りの友だちをはじめ、施設の職員の方々、職場の方々や、永岡さんなど、周りの方には本当に恵まれてきました。両親はいなくても周りには常にたくさんの大人がいました。そのため施設にいる子にもそうなってほしいと願っています。施設にいる間にたくさんのロールモデルに触れて自分の視野を広げることも大切だと思います。なので、フェアスタートが行っている支援がもっと広がればと思っています。そして、1 人の人として応援される子になってほしいです。
児童養護施設出身ということを隠す子も中にはたくさんいますが、私は武器になると思っています。「施設出身なのに大学を卒業して偉い」と褒められることが多いです。しかし、その逆もあり「施設出身だから挨拶ができない、食事のマナーがなっていない、礼儀がない」ということも言われやすいです。良くも悪くも施設出身者と一括りにされやすいです。それも子どもたちへ伝えています。

【社会を経験して】
施設にいる間はたくさんの大人に守られて、経済的にも精神的にもとても恵まれていると思います。貴重な心理カウンセリングなども受けられます。施設以外の方々からの物品や食べ物など寄付や、後援会の方々のサポート、旅行や季節ごとの催し事などもあります。ですが施設を出た瞬間に急に 1 人にされるのです。もちろん施設の職員の方々のサポートもありますが、限界もあります。私が感じたことはやはり金銭面の厳しさと帰る所がない辛さです。私は卒園した施設へ泊まらせてもらうことも多かったのでまだ心強かったのですが、私のように甘えられる子ばかりでもないのです。こう言い始めるとキリがないのですが・・・。施設でも課題にはなっていますが、卒園後のサポートがもっともっと必要だと思います。たくさんの大人の方々のおかげで施設では何不自由ない生活を送れていましたが、施設を出た後のほうが長いので、施設を卒園してからも大人の方々のサポートは必須だと思います。

【今の私】
自分の生い立ちの話をした時によくいただくのは「今までよく頑張ったね、これからは幸せになってね」という言葉です。この言葉を聞くと、「もしかして他人には不幸に見えているのか?幸せには見えないのか?」と不安になります。でも、両親がいなかったからこそ出会えた方がたくさんいて、私はとても幸せです。両親の死のおかげで私自身や施設の子へ対して、生きているだけで偉い!立派!と思えます。人としてまだまだ未熟なのでこれからも周りの皆様のお力をお借りできたらと思います。そしてお借りした分、今度は私が誰かの力になっていきたいです。

【最後に】
お声を掛けていただいた畑中様、永岡さんありがとうございました。少しでも児童養護施設について知っていただける方が増えたら嬉しいです。本日はご清聴ありがとうございました。



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