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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2019年4月

卓話『私とポリオ、今私にできること。』平成31年4月1日

ポリオの会 世話役 丸橋 達也様

ポリオの会 世話役 丸橋 達也様

私は1965年の9月に、東京都昭島市に誕生しました。翌年4月、ポリオの生ワクチンを集団で接種しました。母子手帳を確認すると、生ワク投与、41年4月20日昭島市長と記載がありました。これが私の運命の日でした。

5月の初節句を迎え、母が私のおむつを取り替えようと足を持ち上げたところ、力なく垂れ下がってしまい、明らかにおかしかったということです。またその前に熱を出し、その後の麻痺であったので、慌てて病院を受診したところ、便の中からポリオウイルスが検出され、ポリオであることが判明しました。隔離病棟に緊急入院をし、面会も満足にできない状況で、母の記録には「5月から7月の2ヶ月間入院をし、久しぶりに会いに行ってもキョトンとした顔をしていて、父としても母としても辛い時期でした。」とあります。その後、足に麻痺が残ったまま退院をし、ポリオと付き合いながら幼少期を過ごしました。

小学校に入学する際、普通の学校には入学ができないという案内が届きました。納得のいかない母は教育委員会に何度も出向いて戦い、普通の学校に入学しました。しかし他の子とは違うことで好奇の目に晒され、嫌な思いをたくさんしたことを覚えています。母が毎朝学校まで送り届け、学校に入る時には松葉杖の先を拭いてくれました。そんな中で普通の子と同じように学生時代を過ごしてきました。

25歳の時に結婚をし、3人の子どもに恵まれ、このまま順風満帆に生活をしていけると思っていた矢先、40歳で身体に異変が起き始めました。なんともなかった右足にも力が入りにくくなり、身体のあちこちに異変が生じるようになり、自宅で転んだ際に右足の腓骨を骨折しました。両足が不自由な状態になり、入院生活を余儀なくされました。その時は原因がわかりませんでしたが、インターネットを通じてポリオの会を知り、小山代表と出会い、紹介いただいた病院で「PPS・ポリオ症候群」という診断を受けました。

それまで、自分がポリオだということを理解はしていましたが、全く意識の中にありませんでした。ポリオの会の会員の方はほとんどが野生株という自然の中で感染した方でしたが、私の場合は集団接種によるワクチン由来のポリオです。ポリオの会で話をしていくうちに、ポリオには不活化という安全なワクチンもあるが、日本ではそのワクチンを定期接種の中には取り入れていないということが分かりました。私のような人が毎年のように出続けているのに、なぜ生ワクチンを続けているのか。その答えを教えてくれる人はどこにもいませんでした。そこから私は小山代表と一緒に、今私にできることとして活動を始めました。

厚生労働省へ不活化ワクチンへの切り替えを求める陳情に何度も行きました。また、正しいワクチンを求める人たちが集まって呼びかけを行ったり、ポリオを知らない医師が多い現状の中で、医療関係の方が集まる会に参加し、ポリオを忘れないでくださいと訴える活動も続けてきました。そして罹患している小さな子どもが将来ポリオのケアが受けられるようにする為の活動もしてきました。活動が実り、2012年9月に生ワクチンが廃止され、不活化ワクチンに切り替わりました。その後11月から現在まで、4種混合として導入されています。

ユニセフのポリオ撲滅を目指す議員連盟に呼んでいただいた際、先生がおっしゃっていました。昭和55年の一例を最後に、現在まで野生株によるポリオウイルスによる新たな患者は出ていません、と。しかし55年以降にポリオ患者が出ていないわけではなく、ワクチン由来のポリオ患者はまだ日本にたくさんいるのだということを忘れないでほしいと思います。よく、ワクチンが不活化になって良かったね、と言われます。ポリオがもう終わって良かったね、と。しかしポリオは世界で数パーセント残っています。根絶をしない限り、いつ燃え上がるかわからない状況です。ロータリークラブの活動により、野生株の撲滅が達成されたとしても、まだ生ワクチンを使っている国はたくさんあります。正しいワクチンを正しく使うという知識が必要です。

今罹患している子ども達がいます。将来、私と同じようにPPSによって新たに麻痺が起き、身体に痛みが走り、動けなくなる時のことを考えると、あと何年か早く活動をはじめていたら、子ども達を救えたのではないかと、苦しく思います。ポリオは終わっていません。この世からポリオの発生がなくなったとしても、私たちポリオ患者にとっては、生きている限り、撲滅ではないと考えています。ポリオの最後の患者が息を引き取った時にはじめて、ポリオがこの世から消えるのだと考えています。ポリオを決して忘れてほしくない、そういう思いで活動をしています。

ロータリークラブの活動は、私たちにとってとても頼もしく、救われています。本当に感謝しています。

「ポリオと私。今私にできること」。幼少期、母が盾になって私を守ってくれたから、今の私があります。経験を活かし、たくさんの方に支えていただきながら、そして皆さまのお力をお借りしながら、今後も活動していきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『君はいなくても会社は困らない』平成31年4月8日

元日本放送協会会長 籾井 勝人様

元日本放送協会会長 籾井 勝人様

私は九州の嘉麻市という炭鉱の町で生まれました。皆さんが知っている言葉で表すと「川筋堅気」です。竹を割ったような性格、曲がったことが大嫌いで、単純、素直。荒っぽい言葉に聞こえますが、川筋というのはいい言葉であるとイメージを変えていただきたいと思います。

昭和40年に三井物産に入社しました。入社式での会長の訓示を未だに覚えています。「三井物産は自由闊達な会社です。会社のことだけではなく、世界のことを考えて仕事をしなさい。」現在の訓示というのは、立派な内容と思いますが、本当に新入社員が理解できるのかと思います。それに比べて、この話のいかに分かりやすいことか。曰く「自由闊達」とは「意見があったら課長に言いなさい。駄目なら部長に言いなさい。最終的には社長に言いなさい。」私にとっては非常に大きな言葉でした。

会社に入って仕事を始め、1年目に、上司である課長と合わないということに気が付きました。私のような単細胞の男は課長と一緒に仕事は出来ないと考え、訓示のとおり、部長に転勤を申し出ました。当時は東京から支店にいくという動きはほとんどなく、支店への希望者 がいることはありがたい話でした。即OK になり、昭和41年4月1日に八幡支店へ転勤しました。東京にはたくさんの同期がいて切磋琢磨していましたが、八幡には若い人はほとんどいません。皆東京で頑張っているのに、希望が叶えられて自分一人八幡に来た。ここからどうするのか。猛烈に勉強を始めました。鉄の勉強、貿易実務の勉強。結果、三井物産の海外修業生制度の試験に通り、オーストラリアヘ行きました。事の発端は上司に対する不満であったとしても、自分の希望を会社が聞いてくれて、やったことに対してどう責任を取るのかという、自分の気持ちの中にものすごい変化がありました。転勤を契機にモチベーションを高めることが出来たわけですが、人生においても、やはりモチベーションを高く持って生 活するということで、いかに生活のバリューが上がるかということを痛感しました。私の自己啓発の大きな一歩でありました。

オーストラリアでは得意でない英語を勉強しようと、毎日、新聞を買い、辞書を引きながら一面を読み、発音を勉強しました。また当時ものすごく発音が難しい銘柄のタバコが売っており、この発音が一発で通じるようになるまで買い続けました。目標を定めて勉強をすることで、人間はいろんなことが出来るようになります。オーストラリアに来て、すっかり重心が落ち着きました。

お礼奉公として配属されたメルボルン支店でも相変わらず生意気で、尊敬できないと思う上司がおり、転勤を申し出ました。すると「君の言っていることはわかる。でも、俺は彼がいないと困るんだよ。でもお前がいなくても全然困らない。」と言われ、そこで初めて、仕事とは、好き嫌い、気に入る気に入らない、そういうことで考えてはいけないのだと気付きました。目から鱗が落ちたような上司の言葉でした。彼のいいところを見て、いいところを学べと言われ、川筋の素直な性格の私が実行したところ、あっという間に上司との人間関係が良くなりました。

人間の気持ちというのは以心伝心。自分が嫌いと思えば相手も嫌い。いいところを見ようと 思うとそれも通じます。「君がいなくても会社は困らない」という言葉をいただいたことで、仕事とは何かを理解すると同時に、人間関係がいかに大事かを学び、好き嫌いは捨象して、 考え方の軸をしっかりと持つことができました。非常にありがたい言葉をいただいたと思っています。

私が携わって来た鉄鉱石の仕事というのは、もともと昔は商社に外貨割当があり、その外貨を使って資源を買い、その代わりに商社が口銭をもらうことで成り立っていました。私は毎月1回の昼食会で部長をやり込めるのが楽 しみでした。この仕事はいつまでも続くわ けではなく、これからの時代は投資じゃないですかと意見を言い、部長がそれに賛同する。事実、時代が移り変わるにつれ三井物産は投資に傾斜移動をし、それが今の三井物産の大きな収益源になっています。
生意気な意見を言っても、それをごく普通に捉えてくれた上司に恵まれ、非常にありがたい環境の中で仕事をさせていただきました。

物事を大きく変えようと思うと、やはり劇的にやらなければなりません。例を挙げると、トランプ大統領です。彼のやり口は非常に劇的で、そして相手を見て事を進めていきます。彼のやり方は物事を変えるときのやり方だと思っています。

私は楽しいサラリーマン生活を52年送らせていただきました。仕事を辞めるに際しまして申し上げていること。「未練はあるが、悔いはない。」

ありがとうございました。

卓話『小さな親善大使』平成31年4月15日

青少年交換留学生 タリア様

青少年交換留学生 タリア様

今回地区青少年交換委員会から今年度交換留学生としてメキシコから派遣されたタリアさんが「小さな親善大使」として六本木RCに来てくださいました。

ホストクラブは東京西南RC、現在堀越学園通っています。

今回は画像と一緒に母国メキシコについてや、文化、生活、家族についてお話くださいました。一年間の留学なので7月にはもう母国へ帰国されますが、また日本に勉強に来たいとおっしゃってました。コスプレやアニメが好きな明るいお嬢さんでした。

(記:齋藤会長)

卓話 小さな親善大使

※画像をクリックするとPDFが開きます。

友人との写真
家族の写真

卓話『アメリカの政治と日本』平成31年4月22日

コロンビア大学 名誉教授 ジェラルド・カーティス様

コロンビア大学 名誉教授 ジェラルド・カーティス様

記念すべき600回目の例会でお話ができることを光栄に思います。

今アメリカは、トランプ支持派と反対派が対立して、コンセンサスを作ろうとする勢力が弱くなり、社会が両極端に分断されつつあるのが現状です。なぜアメリカがこういう状況になっているのか、なぜトランプが大統領になれたのか、そしてそれがアメリカの何を示しているのかということについてお話したいと思います。

アメリカは多民族・移民の国です。それが我々の誇りです。しかし大統領がトランプになってから、移民に対して寛容さのない対応策をとってきました。トランプが大統領に就任してからアメリカは大きく変わりました。アメリカの外交も大きく変わりました。自由貿易主義から保護主義的に方向転換をしています。同盟国との関係も悪くなってきています。しかし、トランプが大統領になってからアメリカが大きく変わったというよりも、アメリカが変わったからトランプが大統領になれたという事実の方がより重要なのです。

トランプが当選したのは意外でしたが、オバマが大統領候補になると予測していた人たちは一年前までほとんどいませんでした。しかし「Hope and Change」というスローガンを掲げ、上手な演説で国民の支持を得ました。要するに、オバマになった時も、トランプが大統領に選ばれた時も米国の有権者は大きな変化を求めていました。オバマ政権の8年間が終わり、期待されていたChangeにはなりませんでした。そこで「Make America Great Again」というトランプを選びます。オバマやトランプが大統領になった背景には、構造的な変化、あるいは国民の共通した不満や不安があるからだというわけです。その背景にある構造問題はなんであるかについて分析してみたいと思います。

一つはGlobalizationへの反発。Globalizationは世界にとって素晴らしいことですが、問題点は、経済成長があってもその中で得をする人と大きな損をする人がいるということです。経済が成長しても、グローバル経済の中で成功する人たちもいれば、生活がより苦しくなる人たちは多い。工場が米国から賃金が安い国に移転して、労働者が仕事を失い、会社が儲かって、GDPが上がる。これがGlobalizationの副作用、マイナス面です。Globalizationを止めることはできない。トランプのようにGlobalizationを否定するのが非現実的です。アメリカでもっと議論すべきことは、Globalizationを進めながらその問題点をどう対応すべきか、ということです。時代の変化によって仕事を失った労働者が、どのようなスキルを得れば仕事ができるのか。再教育に投資をして、アメリカの競争力を高めることができるかが、今の課題だと思います。

二つ目は不平等への怒り。アメリカ人は日本人と違って、昔からそれほど平等主義を重視していない。与えられたチャンスは公平であれば、大いに成功する人が他の人たちより裕福になるのは当然だという考え方が支配的でした。要するに平等と公平は別だと考えます。しかし今問題となっているのは、あまりにも不平等が激しくなりすぎていて、システムは公平ではないと思われています。80%のアメリカ人の生活水準は30年間よくても停滞しています。戦後は経済成長率が高くて、将来の生活水準は間違いなく今より良くなるという期待がありました。ですが、今もこれからも先進国の経済はゼロ成長に近い構造になっています。今の先進国は、1%か2%の成長しか期待できません。この状況の中で不平等を緩和するためにどのような政策が必要なのか、もっと冷静に議論すべきだと思います。

三つ目はアメリカの人口構成の変化への不安です。1960年のアメリカの人口の85%は白人でした。今年は63%、2045年になると白人人口は半分以下になります。中西部の工場で働いていた、教育水準の高くない白人労働者が仕事を失い、ずっと支持してきた民主党が、悩みに対して対策を出さない。このフラストレーションがものすごくあります。不安や不満から出てくる怒りをあおり、それで支持基盤を固めようというのが、トランプのやり方です。人口構成が変わっていくことを問題にするのではなく、アメリカの新しいエネルギーにしようと国民に呼びかけることができるかが大きな課題であると思います。

4つ目は、今の国際秩序が本当にアメリカのためになっているのかという疑問です。米国は第二次世界大戦が終わって、世界の平和を守るために他の国々と協力をして新しい秩序を作る決心をしました。国際秩序は外国にとってとても良いものであり、しかし同時に得をするのはアメリカであるという自信がありました。戦争が終わって、経済的にも軍事的にも政治的にもアメリカが優勢でした。今もまだ世界で一番強い国でありますが、国際秩序が今のアメリカの利益にはなっていないという考えが強く、他の国々よりも負担が多いという不満がトランプ支持者に限らないアメリカ人にあります。トランプの返事は単純ではっきりしていて、国際秩序を否定すればいい、崩壊させればいいという考え方です。しかしそうすることによってアメリカの経済がより悪くなり、同盟国との関係が悪化します。国際秩序を崩壊するのではなくて、維持するためにどういう修正が必要かをアメリカと同盟国をはじめ世界のリーダーたちが知恵を出し合って考えていかなくてはなりません。

5つ目は、今の4つの問題―グローバルへの反発、不平等への怒り、人口構成の変化への不安、国際秩序に対しての疑問―を解決するための努力をしない政治エリートに対しての憤りです。その怒りが強いだけに中道的な路線を辿ろうとする政治勢力が弱くなって、右と左の両極端の勢力が強くなっています。

この状況の中で来年の大統領選挙が行われます。現時点では選挙結果の予測ができないばかりではなくて、民主党の候補者は誰になるか分かりません。共和党の場合、トランプ大統領が選挙に出ると決めれば、他に共和党から挑戦しようという人は出てこない。激しい選挙戦になることだけは間違いない。トランプを支持する有権者は過半数になっていませんので民主党は勝つ可能性はもちろんあります。しかし、民主党は反トランプの立場を取るだけなら当選しないだろうと思います。一番大事なのは今日お話しした構造的な問題の解決のために何をすれば良いのか。それを説得力でもって具体的に訴えることがトランプを負かせるために必要であると思います。



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