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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2019年3月

卓話『ロータリー平和センタープログラムの現状』平成31年3月11日

地区ロータリー財団平和フェローシップ委員長 柴宮 克彦様

地区ロータリー財団平和フェローシップ委員長 柴宮 克彦様

私はロータリー財団に7年おりまして、その内6年平和フェローシップ委員会におりました。本日は平和フェローシップをご理解いただけるような形で進めたいと思います。

ロータリー財団というのは、国際ロータリーの両輪のひとつで、世界で良いことをしようということで始めたのがロータリー財団の基金です。ロータリー財団が立ち上がると寄付を募ることが通常の流れですが、ロータリーに参加して間もない方においては、親しみにくい部分があろうかと思います。ロータリー財団の中にあるのが、地区補助金やグローバル補助金の受付をし、補助金の寄付をするところを選考する補助金委員会、そして寄付を集める資金推進委員会、補助金等を管理する資金管理委員会があります。

この3つの委員会を考えただけでもお金のことばかり考えているように思われますが、実際にうちの地区のロータリー財団委員会は、この次に3つの小委員会がございます。少額VTT委員会では、地区としてグローバルブランドを使って、大学生や大学院生などの日本の優秀な方を選考して、毎年5、6名をヨーロッパや欧米に留学をさせるというプログラムを行っています。これはお金を集めることやお金の管理ではなく、若者の育成に直接関わっていると言えます。次にポリオプラス委員会です。ポリオは終息が近いと言われつつも、どうしても0にはなりません。地区の委員がインドに行き、生ワクチンを接種させるという活動をしております。そして平和フェローシップ委員会です。明日の平和の戦士を育成する、そして今日の平和の戦士を育成する。この二つを掲げて活動をしています。

ポリオ撲滅は、皆さんご存知のとおり、ロータリー全体の一番重要なコーポレートプロジェクトとして指定されています。ポリオプラスが決着していない段階で、平和センタープログラムを第二のコーポレートプログラムとは言えませんが、しかしポリオが終結したあかつきには、ロータリー全体として目指すところが、平和の戦士達を育成する、平和センタープログラムであると言われています。

ポール・ハリスが亡くなって50周年を迎えた段階で、国際ロータリー財団では、平和のための大学を造ろうという構想がありました。ただロータリーで大学を造るとなると、それ相応の資金や場所も必要となります。そこで、国際的な平和学に長けている7つの大学と提携を組みました。7つの大学に平和センターを設け、明日の平和戦士を目指すという2年間の修士号コースと、今日の平和戦士をさらに育成させるという3ヶ月の専門職コースを設立しました。修士号コースは毎年アメリカのエバンストンで選考が行われ、50名が決まります。この50名を10名ずつ平和センターに送り、平和について2年間勉強してもらいます。現在はイギリスのブラッドフォード大学、アメリカのデューク大学、オーストラリアのクイーンズランド大学、スウェーデンのウプサラ大学、そして日本の国際基督教大学です。

国際基督教大学は地区としては2750地区にあります。したがって2750地区の平和フェローシップ委員会というのは、国際基督教大学に来ている10名、2年間ですと20名の方々の色々なサポートを中心に進めています。2750地区のみで面倒をみている時期がありましたが、現在は東京近隣の併せて6地区でホストエリア連絡協議会を組成し、国際基督教大学で学ぶフェロー達をサポートしています。

違う側面から見てみますと、平和センタープログラムも基本的には人材の育成です。ロータリーは人材の育成に非常に力を入れており、青少年交換をはじめ、日本には米山奨学基金があります。そしてロータリー財団で行っている、地区の財団の奨学生です。こちらも毎年5、6名を地区から出しております。

平和センタープログラムは、世界中から50名を選ぶので、非常に厳しい選考をしています。選考は本部で行われます。先ほど全体では1200人以上が卒業生と言いましたが、国際基督教大学でも150名弱の卒業生がすでに勉学を終え、平和活動に勤しんでいます。非営利組織に40%弱、政府機関に20%、その他アカデミックな分野や研究、国際機関等で、自分達が目指す平和の構築に力を注いで活動をしています。この平和フェローは、生活費などすべてを含めますとひとりあたり約8万ドルかかりますが、現在はロータリー財団の基金ですべて賄っており、十分学生たちを送り出せるというシステムになっています。資金が集まっている現在、ロータリー本部は、短期のセンターをアフリカや中近東に増やそうと検討しています。

ロータリー平和フェローシップ委員長といたしまして、お願いしたいことがございます。1200人を超える卒業生が世界各地で平和活動に勤しんでいる中、日本人のフェローは今までで34名しかいません。選考条件としては、授業はすべて英語で行われるため、英語が堪能であるということが第一条件です。そして一定期間平和活動に従事している実績を持ち、リーダーシップの気質があることが求められています。ロータリーの中に平和活動に従事するというプログラムがあるということを知っていただき、さらに日本人のフェローをもっと増やすために、適しているという方がおられましたら是非委員会にご推奨いただけたらと思います。また2750地区でカウンセラーを出しておりますので、是非六本木ロータリーからも出していただきますと、より皆さまと近い形で平和フェローとの繋がりが持てるのではないかと考えています。

短い形でしたが、多少なりとも皆様にこの平和フェローセンタープログラムをご理解いただけたらと思っております。

ありがとうございました。

卓話『福澤諭吉のメッセージ』平成31年3月18日

慶應義塾大学 名誉教授 小室 正紀様

慶應義塾大学 名誉教授 小室 正紀様

福沢諭吉といえば、一万円札の肖像画として有名ですが、その福沢が人々に真に伝えたかったことが何であったのか。それは、実は、意外と知られていないのではないかと思います。そこで、今日は、彼が当時の人々に説き続けたことを考えてみます。結論を先取りすれば、それは福沢から現代の我々へのメッセージにもなっています。

天保5年に生まれ、明治34年に亡くなった福沢諭吉は、人生のちょうど真ん中に明治維新があり、江戸時代に33年間、明治時代に33年間生きた人です。今の大分県にあった中津藩の貧しい下級の武士の家に生まれました。子ども時代からあらゆる内職をして家計を支えたと言われています。前向きな人柄故に、チャンスを生かし幕末に長崎や大阪でオランダ語を学び、幕末開港後は独力で英語を学びました。幕末に、慶應義塾の前身となる学校を組織し新時代の若者を教育し、著作を書き、新聞を発行し、日本がどのような近代化の道を進むべきかを説き続けました。新撰組の近藤勇、土方歳三、三菱の創立者である岩崎弥太郎、坂本竜馬、そして天璋院篤姫などが同世代となります。そう言うと、かなり昔の人にようにも思えますが、その考えは、今でもわれわれに訴えるところが多いと言えます。

代表作『学問のすゝめ』冒頭の一文、「天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらずと言えり」は、人間の平等を説いた言葉として非常に有名ですが、これは必ずしも福沢が一番言いたかったことではありません。『学問のすゝめ』全体で説かれているのは、むしろ、そのような人間が平等な社会を実現するためには、これからの日本人はどうあらねばならないか、ということでした。

その点で、彼が生涯をかけて伝えたかったことは、一人ひとりが独立した人間にならなければならないということです。福沢は、この「独立」ということを、二つの面で説明しています。一つは、「他人の智恵に依らざる独立」。つまり、自分で考えることができ、自分の意見を持ち、たとえ偉い人や身分の高い人の指示であっても、それに盲従しない人間です。あるいは、周囲の雰囲気に従い、それに流されるようでは「独立」とは言えません。

もう一つは「他人の財に依らざる独立」です。江戸時代の武士のように、殿様から禄をもらうのではなく、自分で働いて自分で食べることが出来るということです。この二つがあって、初めて独立した人間だと言っています。

ところで、個々人がこのように独立するためには、学ぶ機会や働く機会が平等に与えられている必要があります。それには、力のある者が、他の人の自由を奪ってはいけません。殿様が大きな権力をもっているからといって、家臣の自由を奪ってはいけません。腕力のある力士が、自分の腕力を使うのは自由だと考えて、その腕力で他人の腕を捩じ上たとしたならば、力士の自由はあっても、腕を捩じ上げられた者は自由ではありません。つまり、人々の自由は、各人が他人の自由を妨げないように自分の自由を制限することによって保証されるのです。そのことを、福沢は『文明論之概略』の中で、「自由は不自由の際に生ず」と表現しています。

そして、当時、他人の自由を妨げている最も象徴的な事として、福沢は男尊女卑を強く批判しました。彼は、「世に生まれたる者は、男も人なり、女も人なり」と述べ、男女は同じ平等な人間であることを繰り返し説きました。それにもかかわらず、当時は、女は男に従うべきだという考えが強く、男の自由は大きく、女の自由を妨げていました。そもそも東洋道徳の手本のような、孔子や孟子も、男女平等に反することを唱えていました。女性は、幼き時は父母に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従えというのです。このような孔子や孟子について福沢は、「天理にもとることを唱うる者は、孟子にても孔子にても遠慮に及ばす、これを罪人と言って可なり」と厳しく断罪します。天が定めた男女平等に反するようなことを言うのは、孔子や孟子でも、遠慮せずに罪人と言っていいということです。

では、なぜ独立が必要なのでしょうか。福沢諭吉は、個々人が独立しなければ日本の独立が危ないと、非常に危機感を持っていました。当時アジアには、完全な独立国はなく、植民地か半分植民地のような国ばかりでした。そのような世界の中で、日本もいつ植民地にされてしまっても不思議ではない情勢でした。そうした中で日本の独立を守るには、個々人それぞれが自発的に、自分たちの自由や平等を支えている国を守ろうという強い意思を持っていることが必要だと考えられました。そのことを「一身独立して一国独立す」と言っています。一人ひとりが独立した人間になって、はじめて国の独立も守れるということです。

もう一つは、もっと大きな視点で、人類の文明の進歩との関係で独立が必要だと考えていました。個々人がそれぞれに独立した考えを持ち、色々な疑問を抱くと、さまざまな説が生まれ、それらの説相互の間に議論が行われます。それを福沢は「異説争論」とか「多事争論」の状態と言っていますが、そのような状態の中から新たな考えや知識が生まれ、文明が進歩するのです。福沢は文明を進めるものは「人民独立の気力」であり、「人民独立の気力」こそ「文明の精神」だと考えていたのです。

それでは、個々人が独立するには、どうすればよいか。福沢の答えは、まず、科学的な学問をすることです。自然でも社会でも人間でも文化でも、それらを科学的に考える能力を持つことが必要だと言っています。その基本は、ものごとを観察して疑問を持ち、その疑問に対して自分なりの説を考え、その説が妥当かどうか読書などにより情報を集め、そのような過程を経て得た知識を人々と交換し、さらに知識を深める。この5段階の全てがあって、初めて学問だと言っています。さらに、福沢は「活用なき学問は無学に等し」と警告していますが、学問の活用を考えないのであれば、それは学問をしていないのに等しいと言っています。このようにして、活用を頭に置きながら学問をすることで、初めて自分で考えられ、それが自分の経済力にも繋がり、知的にも経済的にも独立した個人になれるのです。

ただし、それだけでは、まだ十分ではありません。我々は、先人たちの努力による社会の進歩の恩恵を受けて生きています。そうだとするならば、人間は恩恵を受けてばかりではなく、その返礼に、今後の社会のために貢献することも必要です。更なる進歩のために、「心身を労して世のために事を為す」ということです。福沢諭吉はこんな風に言っています。「学問に入らば大いに学問をすべし、農たらば大農たれ、商たらば大商たれ、学者小安に案ずるなかれ」と。それぞれの道で、小さく満足せず、上を目指さなければいけないという意味です。

福沢諭吉が、このように当時の若者たちに訴えたメッセージは、今、実現しているでしょうか。現在の我々は、はたして独立した考えを持っているでしょうか。あるいは日本の社会で、考える力を養う教育が行われているでしょうか。経済的独立への志向性はあるでしょうか。男女平等の感覚はあるでしょうか。

福沢諭吉の時代へのメッセージは、現在でも我々の課題であるように思われます。

ご静聴、ありがとうございました。



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