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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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卓話

2019年2月

卓話『再び同じ轍を踏む日本』平成31年2月4日

一般財団法人 鹿島平和研究所 会長(代表理事) 平泉 信之様

一般財団法人 鹿島平和研究所 会長(代表理事) 平泉 信之様

外交官出身の実業家だった私の祖父・鹿島守之助は、東西冷戦の真只中の1966年、「西側」の最前線に位置する日本が戦争に引き摺りこまれることを憂い、平和確保のための調査や研究、出版活動を目的とする鹿島平和研究所を、私財を投じて創設しました。その後、やはり外交官出身の政治家だった私の父・平泉渉が会長を引き継ぎ、私的な調査研究機関として運営してきました。2015年に父が亡くなり、評議員・理事の推挙により私が承継することとなりました。外交官や政治家の経験はありませんが、おもしろい政策提言をすべく日々模索を続けています。

ここから、同じ轍を踏む日本という話をします。戦前の日本の目標は、不平等条約を改正し列強の仲間入りを果たすことでした。戦略は富国強兵です。明治維新後36年間で日清・日露戦争に勝利し、所期の目的は完遂してしまいます。その後、薩長最後の元老である山縣と松方が死に、唯一政府を統合していた元老がいなくなると、統帥権独立を言い立てる軍を止める人がいなくなってしまいました。明治憲法において政府は、天皇に対抗する勢力ができないように非常に分権的でした。その結果が満州事変であり、最終的には敗戦という形となりました。

戦後日本の目標はもちろん戦後復興です。それを加工貿易立国という戦略で達成しようとしていたところ、これが大当たり。米国に次ぐ経済大国となり、日本が世界一(Japan as Number One)という本まで書かれる程の成功を収めました。しかし既にこの頃には日米貿易摩擦が生じており、「日本が世界一だ」と言われた段階で注意をすべきでした。1988年にアメリカに留学しましたが、現在の米中間と全く同様に、日本の不公正貿易について詰問される毎日でした。しかし、それ以前の1985年に米国からプラザ合意を突き付けられ、円高を呑まされていたのです。そして円高対策だった低金利政策がバブルを生み、1992年の資産バブルの崩壊へと繋がりました。よく「失われた20年」と言われますが、私は、「失われた20年」はまだ終わっておらず、未だに財政破綻、狂乱物価へと向かう大きな賭けの途上ではないかと危惧しています。

戦前の富国強兵といい、戦後の加工貿易立国といい、大成功でしたが、その結果、国際環境すら変えてしまいました。その環境変化に合わせて戦略を変えるべきところを、同じ戦略を貫いたために敗戦や「失われた30年」を招来したのです。要するに、戦後の日本も戦前と同じ轍を踏でいる訳です。現在、鹿島平和研究所では、シンクタンクPHP総研と共同で、新時代ビジョン研究会を行っており、随時経過を月刊Voice誌上に連載していますが、その目標は、如何にして環境変化に合わせて戦略を変えることができる日本をつくるかです。

戦前の轍を踏み環境変化に合わせて戦略を変更しなかった結果、今日の日本は4つの大問題を抱えていると考えています。4つに共通するテーマは、発展途上国型から、成熟国型に移行であり、それが円滑に進んでいないのが問題だと考えています。先ず産業の面では、ものづくりから、IT、資産運用、医療や介護、高等教育、クリエイティブ産業等、高付加価値のサービス業への移行が課題です。また、後述しますが、ものづくりにおいては、製造・組立から、商品企画・設計と販売への重心の移行です。

次に社会保障です。朝鮮戦争から石油危機までの間は、人口動態が味方して高度成長ができました。高齢者は少なく、社会保障も問題ありませんでした。しかし現在は少子高齢化に伴う労働力不足、低成長の中、社会保障給付の効率化が課題となっています。

第三に、上の2つの問題の帰結としての財政難です。今後地方分権や民営化を進めることにより、この問題をなんとか緩和してゆかなければなりません。

そして最後に自然災害リスクです。日本は世界の主要国の中でも、地震や台風など、非常に大きな自然災害リスクを抱えています。財政が悪化する中でリスク耐性も小さくなり、震災復興の進み具合にも如実に現れていると思います。

再び産業に着目すれば、日本企業は相対的に低収益です。国際比較ではアメリカの営業利益率が約15%、ヨーロッパ約10%、日本は約5%と、収益力に格差があります。主因は、産業における工程または価値連鎖と収益性の関係を表す曲線「スマイリングカーブ」だと考えます。例えばAppleは儲かる商品開発・設計(上流)や販売(下流)の部分はアメリカで行い、利の薄い製造・組立の部分は中国に外注しています。日本ではユニクロがデザインはアメリカや日本、縫製は中国やバングラデシュ等で行い、日本で販売するという形で高収益を上げています。しかし、日本はモノづくりから脱しないと、スマイリングカーブを活用できません。神戸大学の三品和広教授は、日本企業には戦後70年を経て成熟化した企業の業態転換の必要性を説いています。業態転換ができない理由の一つに、日本の経営者の任期が短過ぎる(上場企業平均7年、過半が4年未満)という点があり、その中で業態転換の過程を見届けることは難しいということがあります。衆議院(2.5年)や参議院(3年)、首相(3年)もまた同じことが言え、同教授の著書の題名ではありませんが「経営は十年にしてならず」で、短過ぎる任期では大改革は出来ず、産業の高付加価値化、社会保障や財政難、自然災害などの長期に亘る構造的な問題は先送りせざるを得ないのではないでしょうか。

私は、お得意先の企業の過去20年間の人事を遡って分析してみました。すると6つの部門(技術開発、製造、販売、国際、経理、総務・人事)の利益代表で取締役会が構成されていることが分かってきました。よく役所を指して縦割りと言いますが、企業も同様なのです。戦前の軍隊では、陸軍と海軍は仮想敵国が違いました。陸軍はソ連、海軍はアメリカだったのですが、これで本当に同じ戦争を戦えたのか疑問です。企業の中においても6部門の利害は必ずしも一致せず、その結果として、業態転換や収益が見込める新規事業への参入が進まず、収益力が上がらない原因となっているのではないかと考えています。

ご清聴ありがとうございました。



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