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卓話

2018年5月

会員卓話『皇室の思い出――即位の礼と大嘗祭を中心に』平成30年5月28日

苅田 吉夫会員

苅田 吉夫会員

はじめに

陛下のご退位まで一年間を切る。
30年近く慣れ親しんできた「平成」が変わることに感無量
会長から御即位に関連した皇室の話をしてほしいとのご依頼を受けたので、私の宮内庁での初仕事だった平成の御代替わりにつき記憶をたどりながらお話ししてみたい。

天皇の御代替わり

今回の御代替わりは特別。すなわち生前御退位
生前御退位は歴史上は10回ぐらいあった。明治憲法で近代国家が成立し、皇室典範で皇室制度が明確になってからは、御退位の規定が設けられず、常にご逝去をもって御代替わりが行われてきた。
今回は天皇陛下ご自身が記者会見で生前御退位の意思を示され、国民の多数は長い間ご苦労された陛下がご退位をなさることを支持した。これを受けて、政府もその方向で動いた。
法律的には天皇は国政に参画しないという規定との整合性の問題で決めるのに手間取ったが、ご希望どおりのところに落ち着いた。

今回の御即位と平成の御即位との相違点。

  • 御葬儀と御即位が分かれる。御即位の日をあらかじめ決めることができる。
    昭和天皇の場合長くご病気が続いたので、不安定な時期が長かった。在外公館の準備。悲しみの中のおめでたい行事。
  • 前回は新憲法下の初めての即位の礼 すべてを新憲法の規定に照らし吟味し、新しいルールが設けられた。今回は前例がある。前回の方式であまり問題が生じなかったので、ほぼ前回の踏襲で行われるであろう。
  • 退位式 初めての儀式 今回まったく新しく決める。H19.4.30
    新天皇の即位の儀式 H.19.5.1
  • 即位の礼 H19.10.22大嘗祭H19.11.14-15と決定、発表された。
    具体的実施方針等はこれから。
    ほとんど平成の方式が踏襲されると思われる。

平成の御即位

1989年(昭和64年)1月7日にご逝去。
同日に剣璽等承継の儀、125代天皇として皇位を承継
剣璽とは天の叢雲の剣と勾玉。神鏡は賢所安置
1月9日即位後朝見の儀 三権の長に対し宣言し、総理からお答えする。
2月に大喪の礼 1年間の宮中喪

私は昭和天皇のご逝去のころまだ外務省におり、大喪の礼や1年間の喪中の大半をワシントンの駐米大使館の公使として勤務。平成2年のはじめに帰国。宮内庁に式部副長として出向することになった。

宮内庁では、喪明けとともに秋の大礼行事の準備に大わらわ。右も左もわからぬまま準備作業に巻き込まれた。私は外事担当の副長だったので、外国人記者団の応対にかなり時間を費やした。

60年余にわたり、戦前、戦後を通じて天皇の地位にあった昭和天皇の崩御は大変に大きな出来事で、一つの時代の終わり、国の内外で各人にいろいろな思いがあった。外国人記者担当をしていたので、特に外国人記者がどういうところに関心を持っていたかがよくわかった。昭和天皇はどんな人?天皇が神格化された時代があったので、本当に神と思われていたのか?宮中祭祀、特に即位の際の大嘗祭の意味、具体的に何がおこなわれるのか?この点は国内的にも、大嘗祭の宗教的色彩、憲法の政経分離との関係、当時は国内の保守革新間で天皇の地位役割に関してもいろいろ議論があり、戦争責任論なども議論に上ることもあった。

こういう内外情勢に配慮しながら何が最もふさわしい形の式典になるかが、宮内庁を含め、政府各関係部局で慎重に検討された。検討の様子が外に漏れるといろいろな雑音が入るということで、極秘裏に検討が進み、ギリギリまで発表は抑えられた。

こうして新しい即位の礼、大嘗祭の細目が決定。
大原則。過去の伝統を最大限に継承する。長い歴史を持つ伝統は極力続けていきたい。
新憲法に照らし、変更を必要とする箇所のみ変更を加える。
規模、予算については現状に照らして決める。
このような原則のもとに新しい方式が決定された。

即位の礼については、それほど古くから決まった形があるわけではなく、時代に応じて変遷がある。時の権力との関係、仏教とのかかわり、などで変遷がある。現在の形になったのは大正天皇の即位の礼から。大正天皇の即位礼が法律化され、これをベースに検討され、それに近い形となった。
外国の賓客を招くのも大正天皇から。その時は40名弱。
前回は国交のあるすべての国に招待状を出し、158か国の代表が出席。元首66か国、祝賀使節等95か国、(国連、EUを含む)
高御座たかみくら、御帳台みちょうだいが京都御所から皇居に運ばれて、修復後皇居正殿に安置。
賢所大前の儀、皇祖に即位のことを報告。
正殿の儀 中心行事。国の内外に即位について闡明し、国の内外からの祝福を受ける。(人目に付くように廊下を歩く)

祝賀御列の儀 宮殿から赤坂までパレード 国民の祝福を受ける。
饗宴の儀 外国使節を招いての宴会、3日間にわたり2900人。
園遊会 外国の元首以下の賓客、国の要人を招待。チャールズ皇太子とダイアナ妃もご出席。

即位の礼の準備の一年間といってもその他の行事も沢山あり、第一年目から多くの宮中行事に巻き込まれた。即位の礼の前に、その年は一年間の喪のために賓客を呼ばなかったこともあって外国からの訪問客が多く、スウェーデン国王、アラブ首長国連邦大統領(国賓)、大韓民国の蘆泰愚大統領、シアヌーク殿下、メキシコ大統領、ルクセンブルグ殿下など多くの外国賓客が訪れている。宮中儀式もいろいろあり、こうした行事などを通じて、少しずつ宮内庁の雰囲気にも慣れてきた。両陛下のお人柄やお考えに接する機会もかなり多くあった。しかしまだ副長で、陛下と直接打ち合わせをするのは式部官長が圧倒的に多く、気楽な面もあったが、その中で私が直接仰せつかった案件が一つあった。それは、アメリカの著名な科学雑誌サイエンスから陛下に対して寄稿の要請があり、これを受けて江戸時代の日本における科学の発達に関する寄稿をされることになり、その英語の相談役を仰せつかった。このため猛烈な勉強や調査をすることになったが、ほとんど毎日のようにお召しがあって、英訳についてご相談したおかげで、陛下のきわめて緻密なお人柄、些細なことでもとことん納得できるまで極めるご性格がよく理解できた。

即位の礼苦労話。

外国プレスへの記者ブリーフ。英語でやらねばならぬ。今まで外交で使っていたのと全く違う言葉が次々と出てくる。宮中三殿。賢所。大嘗祭。
外国賓客の席順。150人をプロトコール順に並べる。王室の元首、大統領、首相、着任順で処理できる。しかし応用問題が多い。皇太子と大統領、大統領の中では着任順。カナダ、オーストラリアのような英連邦国家の総督、原則をきちんと立てて説明ができる範囲で配慮する。
事務方の最大の苦労は饗宴の儀の席割。何百人のゲストが一応不満を持たないような順序を考える。途中でどんどん変更や欠席が出る。その都度作り直し。毎晩ほとんど徹夜でした。と言っていた。

大嘗祭について

大嘗祭は稲作事業を中心にしたわが久野の社会に古の昔から伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの。天皇陛下がお即位後初めて大嘗宮において東西の地方から収穫したお米や粟を皇祖及び天神地祇にお供えになり、自らも召し上がって、五穀豊穣、国民の安寧を感謝し、祈念される儀式である。

現在の姿になったのは比較的新しい即位の礼に比べて、大嘗祭は10世紀ごろにははほぼ確立し、それが今まで続いている。
大嘗祭の意義 天皇陛下が即位後初めて大嘗宮で新穀を皇祖・天照大神と天神地祇に供え、自らも召し上がり、神々に安寧と五穀豊穣を感謝し、その継続を国家国民のために祈る。

悠紀殿、主基田(東日本、西日本の水田)皇居の神殿前庭で、斉田点定の儀で方向が決まり、場所、人を決定。作られた新米約20キロを皇居に運び込み、ご飯、白酒、黒酒を造り、お供え。神饌として備えられ、宴会の席に並べられた。

大嘗宮の造営。地鎮祭、古代と同じ形式で建設。

大嘗祭の当日

夕刻6時半に悠紀殿の儀が始まり、約3時間で終了、3時間の休息ののち、同様に主基田の儀が約3時間行われた。
男子皇族と同じ部屋に着床、女子皇族は別の部屋に着床。
陛下は悠紀殿にお入り、楽師が古来からの音楽を奏し、
神饌行立開始。27人の嘗典、采女が供え物を2列になって悠紀殿へ。米、粟、鮮魚、干物、果物、お汁、ご飯、白酒、黒酒・・・
7時ごろ、嘗典がオーシーと発声、神楽歌が流れ、白い帳が下される。
中の様子は誰もわからないが、御座に座られた陛下は相対しておかれた皇祖・天照大神をお迎えする神座に神饌をお供えし、拝礼して五穀豊穣を感謝し、国民の安寧を祈念するお告文を読み上げられた。自ら米粟のご飯を食べ、白酒、黒酒を直会をされたという。3時間のお休みののち、主基田で同様の所作を繰り返された。
ぼんぼりの薄明りのみの神秘的な雰囲気。楽部の奏する緩やかの古代の調べ。
雪洞の明かりが消されて我々の部屋は真の闇。

この大嘗祭は即位の直後に行われる一回限りの行事であるが、毎年、新嘗祭として秋に皇居の賢所の一郭にある建物で行われているものと基本的には同様の目的の祭祀である。宵の儀、暁の儀各2時間ぐらい。

新憲法にいう国家と国民の統合という位置付けは古来の天皇制の姿をよくあらわしていると思う。日本人にとっても精神的なよりどころとしての天皇の存在は大きい。
農耕民族である日本人の素朴な神への信仰を集約したのが皇室における宮中祭祀。皇室の行事の中でもとても大きい。それを最も完璧な形であらわすのが大嘗祭。このことがよく理解できた。大嘗祭は即位後一回限り、一世一代の行事。毎年の新嘗祭も本質は全く同じ。宗教というよりも民族の自然な神への祈り。文化と歴史の象徴でもある。今後も末永く続いて行ってほしい。天皇制も日本あってのもの。日本人がしっかりこの日本の国土と文化を守り抜いてほしい。

卓話『注目!今がトレンドの「日本ワイン」』平成30年5月21日

田辺 由美様

ワインアンドワインカルチャー(株) 代表取締役 田辺 由美様

何故日本のワインが急に注目されるようになったのか、それには幾つかの理由があると思います。ひとつは政府が地方創生の力によって日本のワイナリーをもっと活性化させようという思い、地方創生のお金が、たくさんワイナリーの方に、あるいは葡萄栽培の方に回りました。それともうひとつは、日本のものを海外に売るという国の政策の戦略のひとつに、日本酒だけではなくワインも入っております。特にヨーロッパのような、ワインの先進国で日本のワインを売り込んで行こうということで盛り上がりを見せております。

では「国産ワインを活性化させるために、どうすれば良いのだろう」と考えて、今から15年程前に国産ワインコンクールというものを始めました。日本の中で一番ワインの生産量が多いのは山梨県で、全体の8割ぐらいを生産しております。その山梨県の県庁が音頭を取り、日本中のワインの生産者に声をかけて、ワインを出品してもらい、審査員としてソムリエや、ワインのジャーナリストなど、ワインの専門家をお呼びして審査し、良いものには賞を与えるということをいたしました。最初の頃は500種類ほど出品された内の半分ぐらいが、「これワインなの?」というような出来で、こんなワインを造っていたら、とても世界に打って出るなんて恥ずかしくて出来ないようなワインばかりでした。ところが今は出品されるワインの8割以上が素晴らしく、本当にどれに賞を与えるか迷うほど品質が良くなってきました。

国の支援はまだあります。例えば今、日本酒の酒造免許を一切国税庁は与えていません。何故かというと日本酒の今ある蔵を守るということで、いくら日本酒を作りたいと思っても、免許はおりません。ところがワインに関しては、造りたいと手を挙げたら、ほとんど免許がおります。

しかもワイン特区という制度もあります。普通ワインの酒造免許は6000リットル以上の生産能力が無いと与えられないのですけれども、市町村段階で特区を申請して認められますと、なんとその三分の一の2000リットルでワインの免許がおります。この制度によって、急激にワイナリーの数が増えました。

それと日本人は本当に自分の国の物が大好きということもありまして、今日本のワインがトレンドとなって、日本のワインの大ファンという方が現れてきています。

それに伴い、今まで非常に甘かった日本のワイン法というものが厳しくなります。今までは日本で瓶詰されたワインは国産ワインであるという、ひとつの国税庁のなかので括りがあったのです。したがって日本の葡萄を使っても国産ワイン、外国からタンクローリーでワインを持ってきて、日本で瓶詰したワインも国産ワインとして、ひとつの括りで統計資料などが作られておりました。今年の10月30日から法律上「国産ワイン」という言葉は無くなります。日本の原料を使った「日本ワイン」と、海外の濃縮果汁や輸入ワインなどの原料を使ったワイン、この2つに大きく分かれます。

そして「日本ワイン」、すなわち日本の原料を使ったものには、葡萄の収穫地や品種名やヴィンテージを書くことが出来ます。今まで国産ワインと言われていたものは、ラベルにきちんと濃縮果汁を使用、輸入ワインを使用、ということを消費者の見やすいところに書くことになります。そして産地名や品種名や収穫年などを書くことは許されません。これによって、日本で今まで飲んでいた国産ワインが、如何に海外の葡萄、海外の原料、海外のワインを使っていたかということがよく分かるようになります。これは法律ですから、守らないと当然捕まって罰を受けるということになります。これは日本で初めての大きな意味での法律の改正、初めて日本でのワイン法というものが出来たということになります。

我々が10月30日から「日本ワイン」と呼ぶもの、それの原料である葡萄の品種は甲州とマスカット・ベーリーAが全体の33パーセントを占めます。甲州はもともと中国から渡って来た、葡萄品種なのですけれども、マスカット・ベーリーAというのは、川上善兵衛という方が新潟で開発した品種なのです。1890年ですから、今から130年ぐらい前の話ですが、新潟の雪深いところでも出来やすい葡萄を作ろうということで交配して作りました。

それからアメリカから渡って来たジュースなどにする葡萄の品種で、ナイアガラ、コンコード、デラウェア、キャンベルアーリーなどがあります。そして最近はメルローという品種が長野で少しずつ広がって来ております。そしてシャルドネは、これから日本の生産者が栽培して、ワインを造りたいなと思っている葡萄品種です。

日本にはなんと283のワイナリーがあり、年々増えております。日本のワインの産地はなんといっても甲州とマスカット・ベーリーAの山梨県で、今80近いワイナリーがあります。それから長野には有名なヴィラデストワイナリーと、その周りのワイナリーの人たちが非常に素晴らしいシャルドネやメルローを作っております。北海道では今どんどんワイナリーが増えておりまして、なんと言ってもピノ・ノワールという品種を、楽しみにしていただければと思います。その他にも、山形や新潟、大阪などにも素敵なワイナリーがたくさんあります。奈良、徳島、佐賀を除く44県でワインを造っておりますので、どこかへ行った際には是非ワイナリーにお寄りいただければ楽しいかなと思います。

これを機会に美味しいワインをたくさんお飲みいただければと思います。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『日本をめぐる エネルギー事情』平成30年5月14日

望月 晴文様

東京中小企業投資育成(株) 代表取締役社長 望月 晴文様

私がつくづく思いますのは、エネルギー政策というのは経済政策の勿論一部ではございますけれども、その根幹にある価値観とか考えるべき基礎というのは経済政策を超えているのではないかなと思います。勿論皆さまよくご理解のように、エネルギーというのは、とにかく全ての人が生活する基礎の物資でありますし、よく言われるように水や空気と同じように無くてはならないものであるし、一瞬たりとも途絶えてはならないものであるということなのです。

その割にはエネルギー政策というのは歴史的にもそんなに注目を浴びてこなかったのですけれども、最初にエネルギー政策がこの戦後の日本で注目されたのは1973年秋のオイルショックだと思います。

あの時日本は産油国の輸出禁止対象国の一つになりかかったのですが、当時の日本のエネルギーの石油依存度というのは、全エネルギーの7割という状況でした。石油エネルギーの上に日本の高度成長が成り立っていたので、これが止まると日常の直接使うエネルギー以上に、ありとあらゆる日本の産業の生産活動や輸送にも影響が及ぶので直感的に奥様たちが思ったのが、トイレットペーパーが無くなるということでした。エネルギーというものが如何に生存の基礎にあったかということなのです。

それを何とかしなければいけないというので、当時の政府は相当機動的だったと思うのですけれども、半年以内に臨時国会で石油需給適正化法や国民生活安定緊急措置法などの法律をつくりました。石油の値段も1リッターあたりの値段を国が決めたのです。それぐらいの大混乱が起こって初めて、エネルギー政策に対する注目が集まりました。その時の価値観は、「エネルギーは安定供給しないと大混乱に陥る」ということでした。

80年代後半から90年代にかけて経済構造改革の議論が国会でも散々ありましたが、ひとつの結論はどうも日本の経済の高コスト構造に問題があるということでした。

国際的な先進国同士を比べてみると、日本は電気代が高かったのです。それまでエネルギーを安定供給することが最大の目的でしたから、高くてもとにかく手に入れるのが大事という政策だったのですけれども、経済性のあるもでなくてはいけないのでは、ということになりました。電力会社が独占だから高いのだ、独占解体しようという話しまで出始めたものですから、電力会社が必死になってコストを下げて、電気代を下げました。数年で3、4割下がって、イギリスやフランスなど他の先進国に比べて、遜色の無いエネルギー価格になってきたのです。その時のエネルギー政策の価値観は「経済性」だったのです。

ここでエネルギー政策は、そもそも安定供給が大事だということと、それから経済性も同時に成立させなければいけないと、若干矛盾するところもあるのだけれども同時成立を目指そうということになったのです。

そしてもうひとつ、地球温暖化問題、気候変動が起こってきたときに、その原因は温暖化ガスといわれる、CO2を中心としたガスがどんどん増えているから、それで地球が温まっているのではないかと学者の間で大議論になりました。

最後は国連で、今から手を打つ必要があるのではないかという結論になり、それに対して世界中がCO2対策すべきということになりました。CO2はエネルギーを使うところから出てくるものが大体8割以上ですから、CO2対策はエネルギー対策なのです。

それで「地球環境問題」というのが3番目のエネルギー政策の価値観になったのです。

問題はエネルギー政策の価値観が「安定供給」、「経済効率」、「環境適合」の3つだとしたら、じゃあどんなエネルギーを使ったらいいかという議論になったときに、答えが割れるのです。

エネルギー源には、石油、天然ガス(LNG)、石炭、原子力、再生可能エネルギーというものがありますが、それぞれの特性があり、弱みと強みがあります。これをどれかひとつに、決め打ちしてやっていいかという問題があるのです。したがって、国民の安全、幸福を考えると、先進国ほとんどの国が、政策上これらをバランス良く使っていく必要があるだろうということなのです。基本的にはいろんなプラスマイナスやリスクがあり、どこでどんな問題が起きるか分からないので、なるだけ分散していかないと、国民の生命安全は守られないというのがエネルギー政策の基本です。

それから巨額の投資を長期間やらなければならないので、ある程度国民コンセンサスを得たうえで、安定的に政策を実行するという基盤を早くつくるということが一番大切なのです。

原子力については東日本大震災の影響で大事件が起こりましたが、それを何とかどこかで収める必要があります。アメリカではスリーマイルアイランドの事故が起こってから、やはり同じように議論が起こったのですが、今アメリカでは原子力発電が物凄く稼働していますし、新しく建設もしています。その雰囲気になるまで10年かかりました。日本は今アメリカがスリーマイルを克服したような状況になるかどうかの瀬戸際なので、国民全般に知識を広めていき、ご理解をいただいて穏当なところに収めるということが一番大切なのではないかと私は思います。

ありがとうございました。

卓話『eスポーツの未来と可能性』平成30年5月7日

古澤 明仁様

(株)RIZeST 代表取締役 古澤 明仁様

私はeスポーツと出会う前にパソコンの周辺機器メーカーに勤めており、その時に、eスポーツ向けのマウス、キーボード、ヘッドセットを扱うビジネスに携わっておりました。右も左も分からない状況でeスポーツの業界に飛び込んだのは2013年の春です。ネットカフェなどに毎週末ファンが集まって、いろいろなゲームの大会が行われていますので、私は製品を携えてお客様と一緒に参加しました。ある時に千葉県のネットカフェでゲーム大会をしたのですが、この時初めて「eスポーツって凄いな、可能性があるな」と感じました。その時、小さな部屋の中には20名程しかいなかったのですが、インターネットを通じて戦いの模様を見守ってくれるお客様が約1500名もいたのです。今このIT社会の中で、必ずしもその会場にいなくても、スマートフォンやパソコンやタブレットを通じてまるでそこにいるかのような臨場感を体験できるといったところも、eスポーツの魅力なのかなと気づきました。

そして2013年に20人程しか集まらなかったeスポーツのイベントは、たった数年で2017年夏には幕張メッセで4000人の会場規模で行われ、数日でチケットがソールドアウトし、インターネットを通じて20万人以上がこの大会を見守りました。

eスポーツをプレイしている人を見ているファンの数というのは2017年末時点で、世界で3億8500万人います。東京オリンピックが開催される2020年には、6億人に達する勢いです。ゲームはもはやニッチなものではく、eスポーツというのは世界で楽しまれているスポーツジャンルであるといったことが申し上げられると思います。

皆さんの中にはゲームってそもそもスポーツなのか、とお考えの方が非常に多いかと思いますが、日本におけるスポーツの解釈と欧米諸国におけるスポーツの解釈というのは、大きく異なっているのです。これが認知の大きな乖離を生んでいると考えておりまして、欧米だと「スポーツ」=(イコール)「競技性を持ったもの」であり、必ずしも身体を動かすものだけではなく、チェスなどのマインドスポーツといわれるものもスポーツとして捉えられています。そもそもスポーツは、狩猟社会のときには格闘技などの身体系の競技、農耕社会になるとフィールド競技、更には工業社会ではモータースポーツが生まれ、そして現代、情報社会ではeスポーツという風に歴史的、社会的な変化に合わせて新たなものが生まれてきております。eスポーツが現代の情報社会における、最先端のスポーツであるということは、歴史的な背景から見ても全く不思議なものではないと私は考えております。今年2月に冬季オリンピックが開催された平昌でeスポーツの大会が行われました。eスポーツは身体的な能力や年齢は一切関係ありません。その大会で優勝したのが24歳のカナダ人の女性でした。これはスポーツ業界にとって、大きな躍進であり、大きな発見であると思います。

eスポーツは国籍、人種、言語、宗教、性別といった違いとされるものを全て超越したスポーツなのです。

今、様々な企業がeスポーツ業界に参入してきております。その理由のひとつとして、eスポーツはプレイをメインにする方の8割が35歳以下、男女比は7:3です。観戦をメインにする方は、35歳以下が72パーセントで男女比は6:4です。現在テレビ離れですとか、若者の関心が多様化していますので、若者に人気があるeスポーツというジャンルにアプローチするために様々な企業が投資し、参入しています。

事実、ヨーロッパのサッカークラブチームの多くがeスポーツのチームを発足しています。アメリカのバスケットボールのNBAのチームもeスポーツのチームを持っています。国内でもeJリーグという、サッカーゲームの大会も行われています。

教育分野では、アメリカだけではなく、アジア諸国そしてヨーロッパでeスポーツの大学、専門学科も出来ております。最近ですと中国の名門大学である北京大学もeスポーツ学科を設立しました。日本も2016年にeスポーツの専門学校ができました。

ようやく国内でもeスポーツの統合団体として、日本eスポーツ連合、「JeSU」という団体が発足しました。eスポーツの普及、発展、産業の振興を目的にした団体です。こちらの団体は、主に経済産業省から大きな支援をいただいております。そしてこの団体が向こう数年力を入れていく事業が、eスポーツプロライセンスの発行、高額賞金の付与、そしてJOC(日本オリンピック委員会)への加盟というのも水面下で目指しております。

今年アジア競技大会がジャカルタで開催されますが、そこでもeスポーツがデモンストレーションとして行われる予定です。そして2020年東京オリンピックでも文化啓蒙の座組みとしてeスポーツを取り上げていこうと準備を進めています。2022年の次回のアジア競技大会では正式なメダル種目になりました。2024年の夏季オリンピックでメダル競技にしたいと、IOCと協議をしている最中であります。

東京オリンピックが開催される2020年というのが日本にとって、大きな産業の起爆剤になるであろうといったことは皆さんご承知の通りだとは思いますが、2020年がeスポーツのパラダイムシフトの年でもあり、オリンピックだけでなく、5Gネットワークのような新たな国を挙げての産業とのコラボレーション、IOTのようなテクノロジーもeスポーツとの相性は非常に良いので、文化的な啓蒙だけでなく、経済的な発展もeスポーツから生まれてくるのではないでしょうか。

是非皆さんにはeスポーツって盛り上がっているのだなと、一人でも多くの方にeスポーツの可能性について啓蒙いただき、機会がありましたら、eスポーツのビジネス、社会的な貢献についてお話しする機会をいただければと思います。

ご清聴ありがとうございました。



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