地域貢献と奉仕の理想を追求する 東京六本木ロータリークラブ…「ロータリーで友情を育もう」

国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

文字サイズ変更



イニシエーションスピーチ

河野 拓さん2007年10月29日

先日パソコンで名刺を作ってみました。名前と携帯電話とメルアド。小さくguitarといれてあります。本会の職種登録は石油です。実際社会に出て30余年、石油業界以外で所得を得たことはなかったと思います。もともと石油会社に入ったのではなく総合商社で、たまたま石油部門に配属され、なんとなくそればっかりやってきました。

私がやっていたのは石油トレーディングといわれる国際取引で、油田の利権も処理をする製油所もない商社なので、ひらたく言えば安く仕入れて高く売る、売りたい(希望としてはですが)ということを生業にしてきました。後半の15年あまりは縁があって、この業界では大手の国際石油取引グループのパートナーとして、東京とシンガポールで売っただの買っただの言っていました。この職種も割りと新陳代謝がさかんで、50歳を過ぎたころから燃え尽きたというか、あまり楽しくもなくなり一線を退きました。

ここ4~5年打ち込んでいるのが、ジャズギターです。専門学校で若いミュージシャンの卵達と学び、卒業後も精進しつつライブ活動もしています。全く今までと違う世界で、新しい人生をもらったようで興奮しています。よろしくお願いいたします。

渡辺 知行さん2007年10月29日

小学校時代を米国で暮らしたことで、ものの考え方に多大な影響を受けました。旭硝子という大手企業に入り、暫くして国際機関を志望するようになったものの、メンターであった方から、大反対され、断念しました。人生で唯一後悔の念があるのは、その時の決断でしょうか。20代後半に、旭硝子の海外新規事業に人事総務部長として、工場建設、1,000人の採用を経験しました。30過ぎで、ハーバードビジネススクールに留学をし、強烈なカルチャーショックを受けました。

米系企業の人事・広報担当取締役を経て、12年前から、エグゼクティブ・サーチコンサルタントをしております。日本ではまだまだ馴染みの薄い職業かと思いますが、企業トップの良き相談相手となることを目指し、世界中の素晴らしい仲間達とともに、クライアントのリーダーシップチームの構築に取り組んでおります。このプロフェッションの重要性を日本にも根付かせたいと願っています。2000年からは、日本における次世代リーダーの輩出を目標とした特定非営利活動法人の立ち上げに発起人・理事として参加し、今も中心メンバーの一人としてオフの時間に参画しております。

週末は、妻と、9歳と6歳の男の子と一緒に小学校のサッカークラブで、コーチとして汗を流しており、また某大学体育会サッカー部OB会のOVER50チームでプレイしております。困ったことに音楽も大好きで、自分のロックバンドをつくり、上手くもないのに、毎年2回程度、ミニライブを開いております。

素晴らしいお仕事をされていらっしゃる諸先輩方ばかりの六本木ロータリークラブに若輩の身で入会させて頂き、大変光栄と思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

マークエステル・スキャルシャフィキさん2007年11月26日

私は1943年2月26日にフランスのパリで生まれました。私の祖先はヨーロッパ人であり、父の祖先は10世紀に教皇派としてドイツからやって来ました。ジェノアで国作りをした7つのファミリーの一つです。母はフランス人とスペイン人の血が流れており、父は30年間フランスのホテルを経営していました 。そして私は南フランスにある世界的に有名なキャプ・エステルホテルで育ちました。パリ大学でロシア語と中国語、経済を学び、初めにラオスに外交官として赴任、その後モーリス・シューマン大使の秘書になりました。

1970年に来日した時、この国とここに住む人々に惚れ込み、その後3ヶ月に1度日本に来るようになりました。清水寺で掛け軸を見た時、芸術家を目指し、日本の墨絵にある滲みの技法を油絵を使い私の育った南フランスの美しい色で表現したいと決心しました。

何年ものあいだ世界の国々で絵画、陶磁器、ガラスアート、布地、漆塗り、ブロンズ等の展覧会に出展した後、日本の神話を絵画で表現した作品集「日本の神話」という本を出版しました。これには古事記を7ヶ国語で訳した解説がされており、日本でも初めての本になると思います。現在この本にある50作品ほどを21もの神社に寄贈しております。そして今年、神社庁より文化奨励賞を授与されました。

現在、私は同じように中国と韓国の神話を題材にした作品製作に当たっております。幸い、北京に出来る2つのテンポ美術館を開く機会を得ました。これは私の作品を永くにあたり広める事が出来ます。そしてこの日本、中国、韓国での3つの活動が他の美術館にも広がり、本来あるべきアジアの繋がりに貢献し、世界の全ての国々の平和に、貢献出来ればと思っております。

現在、私はアフリカのトーゴにあるストリートチルドレンの為の2つの学校と、同じくアフリカのバーキン ファッソにある2つの学校の援助をしております。

私はロータリーの素晴らしいメンバーでありたいと思っております。

立石 有樹子2007年11月26日

私にとりましてのロータリーは、実家の亡き父との思い出から始まります。歯科医であった父はその当時、大阪のあるロータリーに入っており、カナダのビクトリアに父が別荘を持っていたので、私は子供と夏休みはビクトリアで過ごし、父の現地にてのメーキャップにゴルフ場やテニスコートにあるロータリーの集まりに私は私の子供も連れて父と一緒に行き、現地のロータリアンの皆様にとても温かく迎えて頂きました。今ではその事も父とのビクトリアでの良い思い出の一つにもなっています。

大阪で生まれ、芦屋に育ち、甲南女子大学に在学しながら3年生の20歳で主人と結婚し、今年で結婚30周年を迎えました。結婚後、大阪歯科大学にも入学しましたが、主人の東京、ロータリーの発祥地のシカゴへの転勤に伴い中退し、それ以降、海外駐在、通算13年間アメリカ、カナダ、オランダに滞在しておりました。本帰国をしましてから8年がたちます。

書道は全日本書道連合会の参与をいたしております。また、海外でも日本でも華道、フラワーアレンジメントを習ってまいりまして、資格も頂いております。

主人の文雄は、オムロン創業者の立石一真の7人兄弟の末っ子で、現在、オムロンのインダストリアル・オートメーション・ビジネス・カンパニー社長をしております。子供は2人で、長女の結子は27歳で2年半前に広島に嫁ぎ、孫玲子は1歳半です。言葉を覚え始め、広島に行く度に語彙が増えています。又、長男の幹人は慶応義塾大学で3年生の20歳で、高校から始めた音楽活動で、来年のお正月明けに自主制作CDを出せるようになり、そのCDの裏面に私の書道ものせてくれるようでございます。

今、私には4つの楽しみがございます。1つ目は、娘、孫に逢いに広島に行くこと。2つ目は、いろいろな音楽も好きですが、今は息子幹人のオリジナル曲を聴く事。3つ目は、昔、美術の好きな両親によく美術館やデパートの美術展などに連れられていた影響で、私も子供達を連れて海外の美術館を巡り、日本に帰国しましてからも、書道の美しさも含め、日本の芸術また日本から見た海外の芸術にも興味が湧いてきています。そして、最近新たに増えた楽しみの4つ目は、ここにいらっしゃるロータリーの皆様にお会いする事です。これからも末永くよろしくお願いいたします。



▲ PAGE TOP