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国際ロータリー第2750地区 東京六本木ロータリー・クラブ The Rotary Club of Tokyo Roppongi

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イニシエーションスピーチ

浅田 豊久さん2006年8月28日

板橋区に加賀一丁目、二丁目という地名があります。この町には加賀小学校、金沢中学校という区立の学校があります。帝京大学医学部・資生堂工場・東洋インキ製造会社などのメーカーもあります。

この町名の由来は江戸時代、加賀藩の下屋敷が存在していたことから今にその歴史の形が具体的に残されております、加賀藩前田家というのは江戸時代最大の外様大名といわれており、その財力をもってして実に数十万坪という広大な下屋敷を所有しておりました。

金沢を出発した旅人が江戸に向かうときは約1週間をかけて親不知子不知から新井宿、妙高を右に見ながら信州長野善光寺を左に見、軽井沢宿、横川へ、そして関東平野を突っ切ります。今の埼玉県、川口から荒川を渡り赤羽から板橋、加賀町へと入るのが通常のルートです。

因みに飛脚便はおよそ早飛脚で3泊4日、普通で5泊6日といわれております。さらにから南下しますとすぐ池袋へ、池袋から護国寺を左に見て有名な赤門の昔加賀藩上屋敷へ(今の東大キャンパス)と入ります。

全行程およそ百三十里520キロが江戸時代およそ一ヶ月に三回の定期便で結ばれておりました。この制度を「江戸三度」と申します。江戸三度は今で言う組合のシステムで色んな掟、しきたりがありました。

先ず加賀藩公認の唯一の物流制度であり、藩の公認ということは藩の重要書類を責任を持って持ち運ぶことが出来る制度であるということ、責任が重く万にひとつ間違いが勃発の暁には一命をおとすことも在りうる、という厳しさが有りあります。

そのためには組合員全員が株を所有すること、その株は代々世襲制であること、頭すなわち棟取りは皆の推挙で決めること、租税は免除され、加賀藩公認の藩札をもって各関所を通る資格が与えられていること、など硬軟とりまぜての掟、しきたりが存在しております。前置きがながくなりましたがこのような祖先をもつ浅田豊久と申します。

勿論いまでは江戸三度時代に培ったノウハウで慶應三年(1867年)に徳川幕府の終焉を見透かしたように我が祖先は時代の流れを見るに敏だったようです。良く見極めて飛脚業から宿屋の業態転換しこの商売としてはまだ140年というのが当家の沿革です。

中興の祖は亡くなった私の父でかれは実に百四年ぶりに一度撤退した江戸あらため東京赤坂へと昭和46年に進出したのです。と申しますのは板橋の下屋敷内に江戸三度棟取浅田屋伊兵衛経営の江戸店があった訳です。

荷物の仕分け、上屋敷行き、幕府老中○○家行き、受取荷物の保管、文書の保管、藩主の重要書類、藩主が使用する薬、夏冬の衣替え用衣類、金沢産のお菓子などなど今の物流と殆ど変わらないシステムが下屋敷敷地内で行われていたことが推察されます。

時代が変わり今浅田屋伊兵衛商店は日本料理それも加賀料理の世界で連日多くのお客様に愛されております。店舗数は赤坂、青山、名古屋と三店舗、従業員数は170名という規模の商いです。

ロータリー歴は33年前に金沢北ロータリークラブ創立会員として18年間、ビジネスの本拠地が東京になったことで東京西ロータリーへ移籍入会し15年間お世話になり昨年秋当クラブへまたまた移籍入会させていただきました。当クラブが私にとっては最後のクラブ、骨を埋める覚悟で参り、入会を認めて頂きました。

ロータリーへの貢献はまだまだ足りません。午年生まれでもありただ馬齢を重ねてまいっただけです。皆様のご理解ご指導を得て早く一人前になるべく努力を重ねたいと思っておりますので何卒よろしくお引き回しの程お願い致します。



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